シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

いまを生きる

2005-09-02 | シネマ あ行

ここでも何度か取り上げましたが、先生と生徒ものというのは永遠のテーマ。ひとつのジャンルと言っていいでしょう。

教師というのは本来、体制側の人間、戦うべき相手というイメージがあるのだけど、その教師が反体制の人間だったりすると、生徒はついて行くが必ず学校や親と対立することになり、摩擦がおき、そこにドラマが生まれる。

この作品、原題は"Dead Poets Society"私立のエリート校に赴任してきた型破りな教師キーティング先生ロビンウィリアムスがこの学校の卒業生で、彼が学生時代に結成していた秘密のグループ"Dead Poets Society"を彼の生徒たちが再結成するというところから来ている。これは日本語の題名にはしにくいですよね。というわけで、「いまを生きる」は先生が劇中で生徒たちに言う「カーペディエム」(今を生きろ)というラテン語からとったのでしょう。

お金持ちのエリートの家庭に育ち、規則にがちがちに縛られてきた生徒たちに、教科書を破り捨てさせたり、屋外に連れ出して授業をしたりと生徒たちも戸惑うほどのことをし、生徒たちに文学(アート)の素晴らしさに触れさせ、自分が望む人生を歩むことの素晴らしさを説く。

彼に触発された生徒たちの姿がなんともすがすがしい。生徒の一人ニールロバートショーンレナードが父親からの誕生日プレゼントの文房具セット(こんなものが親からの誕生日プレゼントでがっかりなのだ。くれるだけ恵まれてるんだけどね。)を屋根から投げ捨てる映像は見ているこちらにもカタルシスを与える。このニールくん、自分は親の望む道ではなく役者になりたいと思い始め、舞台にも立つ。しかし、名門のおうちの子がヤクザな役者稼業なんてもってのほか。親に無理やり陸軍士官学校に入学させられそうになった彼は自殺してしまう。

この自殺、賛否両論あるだろう。もちろん、生きて戦うべきだという人の気持ちも分からなくはない。でも、ニールは高校生。多感な時期だ。しかも、今までお人形のような人生を生きてきて、初めての大きな壁。自分の全てを否定されたような気になって、どこへも行き場がなくなって息ができなくなってしまったのだろう。親に対する最大の抗議の意味もあったのかもしれない。

そして、その責任をすべてキーティングに押し付けて彼を追い出したい学校側は生徒たちに踏み絵をさせる。権力側にいる大人は本当に汚い。彼が出て行くとき、生徒たちが"Oh, captain, my captain"と言ってひとりひとり机に乗るシーンはありがちだけど、涙が止まらない。

「コーラス」でもそうだけど、最後に学校を追い出される先生という図。これは敗北を示すものなのだろうか。結局、権力には屈するしかなかった一人の教師とそれをどうすることもできない生徒。確かに敗北かもしれない。どんなに頑張っても権力にはかなわないという例を生徒に見せてしまったことになる。

でも。
やはり、その教師と生徒たちという絆は本物なわけだし、その人と人とのつながりにまで権力が介入することはできない、ということを生徒が学んだんだとワタクシは信じたい。