電脳筆写『 心超臨界 』

手本は人を教える学校であり
他からは何一つ学べない
( エドマンド・バーク )

人間学 《 知識と見識と胆識と――伊藤肇 》

2024-07-10 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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いうなれば見識が高ければ高いほど、低俗な人間が反対するのだ。そこでこれを実行するためには、あらゆる反対、妨害を断乎として排除し、実行する知識や見識が必要となってくる。それを胆識という。「決断力や実行力をもった知識や見識」のことである。もし、この胆識がないと、せっかく立派な見識をもっていても、優柔不断に陥って、事を成すことはできない。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p106 )
第3章 応待辞令の人間学

◆知識と見識と胆識と

以上、「応待辞令」について、さまざまな角度からのモデル・ケースを書いてきたが、つきつめていえば、「応待辞令とは、知識、見識、胆識の反映」ということになる。

知識と見識とでは似ているようで全く違う。

知識というものは、薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られる。学校へいって講義をきいているだけでも、あるいは参考書を読んだだけでも得ることができる。しかし、知識だけでは、人間の信念とか、行動力にはならない。もっと根本的な、もっと権威のあるものが加わらぬといざという時にはこれは役にたたない。

ある一つの問題についていろいろな知識をもった連中がいろいろな解答をする。だが、それはあくまでも知識であって、「この問題はかくあらねばならぬ」あるいは「こうすべし」という判断は、人格、体験、あるいは、そこから得た悟りなどが内容となってくる。これが見識である。

ところが、この見識だけでも、まだ不十分である。どうしても反対がでる。いうなれば見識が高ければ高いほど、低俗な人間が反対するのだ。そこでこれを実行するためには、あらゆる反対、妨害を断乎として排除し、実行する知識や見識が必要となってくる。それを胆識という。

「決断力や実行力をもった知識や見識」のことである。もし、この胆識がないと、せっかく立派な見識をもっていても、優柔不断に陥って、事を成すことはできない。
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