電脳筆写『 心超臨界 』

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ドクター・スース

教えない歴史3 《 「授かりもの」と扱われた江戸時代 》

2024-03-04 | 04-歴史・文化・社会
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いろいろな事柄の中で外国人の筆者たちが一人残らず一致することがある。それは日本が子供たちの天国だということである。この国の子供たちは親切に扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供たちよりも多くの自由をもち、その自由を濫用(らんよう)することは少ない。赤ん坊時代にはしょっちゅう、お母さんになり、他の人なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎(とが)められることも叱られることもなく、うるさく愚図愚図(ぐずぐず)いわれることもない。


〈 近代日本と子どもたち 〉
◆「授かりもの」と扱われた江戸時代――鍵田洋子さん

『教科書が教えない歴史3』
【 藤岡信勝、産経新聞ニュースサービス (1997/5/1)、p14 】

最近は凧(たこ)あげをする子供の姿が減りました。凧あげ、メンコ、あやとりといった昔なつかしい遊びが広まったのは江戸時代です。当時の子供たちにとっては、どれもこれも目新しく熱中できる遊びばかりだったに違いありません。『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』という本の中には「小児が遊びを好むのは世の常。その遊び方に害がない限り、むやみに押さえて子供の興味関心を奪ってはならない」というようなことが書かれています。

ところで、江戸時代における農民の子供たちの生活は、一体どのようなものだったのでしょうか。

まず、子供は誕生するということ自体が大きな喜びとして迎えられていました。農家にとって、米や特産物を作る働き手の増加は収入を豊かにすることだったからです。今に残る子安地蔵は、安産と子供の健やかな成長を願う人々の心の表れともいえるでしょう。同時に「子供は天からの授かりもの」とも考えられていました。幼児には、お七夜(しちや)・宮参り・七五三などの数多くの通過儀礼(大人になるための儀式)が行われていました。赤ん坊は直接大人の地肌(じはだ)に背負われ、その上から着物を羽織られていました。まさにスキンシップです。このように体温を感じ合うように背負われて、子守や母親のする仕事を見ていました。「七つまでは神の内」という言葉通り、幼児は大切に扱われていました。今でも七歳を節目として、七五三を祝い、宮参りする行事が残っています。

七歳になった子供は、地元の子供集団に仲間入りをしていました。その一つに、天神様があります。これは、七歳から十五歳までの子供が集まり、菅原道真にちなんで習字をしたり、子供たちだけでたいたご飯に梅干しを乗せてお供えしたりする行事です。そして共に食事をし夜遅くまで遊ぶのです。道真を祭った天満宮の普及とともに広まったといわれます。

また、江戸時代後期の農民の子として有名な人に二宮金次郎(尊徳)がいます。薪(たきぎ)を背負って本を読んでいる像がまだ校庭に建っている学校はありませんか。彼は、幼いころから生家を再興するために農作業の傍ら寸暇を惜しんで勉学に励みました。大人になってからは委託された小田原藩の再建も見事に成し遂げた人です。江戸時代には金次郎とまではいかなくとも、彼のように勤勉な人が数多くいました。

ところが、江戸時代の子供像といえば、次のように思い浮かべることがないでしょうか。重い年貢のため、口減らしの身売りに出されたり、日常的にむごい扱いされたりしていたかわいそうな子供像です。しかし、これは飢饉(ききん)などの例外的なできごとから誇張してつくられたごく一部の印象にすぎないのです。

明治初期、アメリカ人E・S・モースはその著『日本その日その日』の中で次のように述べています。

「いろいろな事柄の中で外国人の筆者たちが一人残らず一致することがある。それは日本が子供たちの天国だということである。この国の子供たちは親切に扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供たちよりも多くの自由をもち、その自由を濫用(らんよう)することは少ない。赤ん坊時代にはしょっちゅう、お母さんになり、他の人なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎(とが)められることも叱られることもなく、うるさく愚図愚図(ぐずぐず)いわれることもない」と。

これから近代日本の子供たちの姿を紹介します。
[ 鍵田洋子 ]
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