電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
『生き上手 死に上手』
( 遠藤周作、文藝春秋 (1994/4/9) )
◆私はあなたの人生の傍役
芝居には傍役(わきやく)というものがある。傍役はいうまでもなく、主役のそばにいて主役のためにいる役である。その勤めは主役と共に芝居の運行をつくっていくのだが、また主役を補佐したり、主役をひきたてるためにもある。
「あたり前だ。わかりきったことを言うな」とお叱りにならないでいただきたい。
しかしなぜ私がこんなわかりきったことを書いたかというと、我々は我々自身の人生ではいつも主役のつもりでいるからだ。
たしかにどんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役のつもりでいる。だが胸に手を当てて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。あなたの友人の人生にとって、あなたは決して主人公(ヒーロー)ではない。傍をつとめる存在なのだ。
「あたり前じゃないか。またくだらんことを言うのか」とまたお叱りを受けるかもしれない。
だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れ勝ちなものだ。たとえば我々は自分の女房の人生のなかでは、傍役である身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞っていはしないか。
5、6年前、あまりに遅きに失したのであるが、女房をみているうちに不意にこの事に気がつき、「俺・・・お前の人生にとって傍役だったんだなァ」と思わず素頓狂な声をあげた。
「何が、ですか」女房は何もわからず、怪訝(けげん)な顔をした。
「いや、何でもない」 気づいたことを言っては損すると思ったからそれ以上は黙った。
しかし私はまるでこれが世紀の大発見のような気がして日記にそっと書きつけておいたほどである。
以後、女房にムッとしたり腹がたつ時があっても、「この人のワキヤク、ワキヤク」と呪文のように呟くことにしている。すると何となくその時の身の処し方が決まるような気がする。
夜、眠れぬ時死んだ友人たちの顔を思いだし、俺はあの男の人生で傍役だったんだな、と考え、いい傍役だったかどうかを考えたりする。もちろん、女房の人生の傍役としても良かったか、どうかをぼんやり思索もしてみる。
こんなことに気がついたり、考えたりするのは私が人生の秋にさしかかったためであろう。
最後に ―― この傍役の話は結婚式の披露宴に役立ちますよ。お使いください。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
『生き上手 死に上手』
( 遠藤周作、文藝春秋 (1994/4/9) )
◆私はあなたの人生の傍役
芝居には傍役(わきやく)というものがある。傍役はいうまでもなく、主役のそばにいて主役のためにいる役である。その勤めは主役と共に芝居の運行をつくっていくのだが、また主役を補佐したり、主役をひきたてるためにもある。
「あたり前だ。わかりきったことを言うな」とお叱りにならないでいただきたい。
しかしなぜ私がこんなわかりきったことを書いたかというと、我々は我々自身の人生ではいつも主役のつもりでいるからだ。
たしかにどんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役のつもりでいる。だが胸に手を当てて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。あなたの友人の人生にとって、あなたは決して主人公(ヒーロー)ではない。傍をつとめる存在なのだ。
「あたり前じゃないか。またくだらんことを言うのか」とまたお叱りを受けるかもしれない。
だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れ勝ちなものだ。たとえば我々は自分の女房の人生のなかでは、傍役である身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞っていはしないか。
5、6年前、あまりに遅きに失したのであるが、女房をみているうちに不意にこの事に気がつき、「俺・・・お前の人生にとって傍役だったんだなァ」と思わず素頓狂な声をあげた。
「何が、ですか」女房は何もわからず、怪訝(けげん)な顔をした。
「いや、何でもない」 気づいたことを言っては損すると思ったからそれ以上は黙った。
しかし私はまるでこれが世紀の大発見のような気がして日記にそっと書きつけておいたほどである。
以後、女房にムッとしたり腹がたつ時があっても、「この人のワキヤク、ワキヤク」と呪文のように呟くことにしている。すると何となくその時の身の処し方が決まるような気がする。
夜、眠れぬ時死んだ友人たちの顔を思いだし、俺はあの男の人生で傍役だったんだな、と考え、いい傍役だったかどうかを考えたりする。もちろん、女房の人生の傍役としても良かったか、どうかをぼんやり思索もしてみる。
こんなことに気がついたり、考えたりするのは私が人生の秋にさしかかったためであろう。
最後に ―― この傍役の話は結婚式の披露宴に役立ちますよ。お使いください。
おかげさまで、今日でブログ3ヶ月目に入りました。三日坊主だった私にとってよく続けられたものだと思います。最初、メディアを自由にできる思い上がりと、エントリーを書く緊張感にまるで自分が主役(著作者)になったような優越感に浸っておりましたが、ある時、アクセスしてくださる方、コメントやTBを下さる方があるからこそエントリーを続けることができるのだ、ということに気づきました。
それにしてもブログの力はすごいですね。chorinkaiさんとも旧知の友人のようになれましたし、アメリカ(娘ですが)やカナダからもコメントが届くなど、まさに「多逢勝因」の醍醐味を味わっています。
二ヶ月続けてみて、これは自分の脳内整理であり、自分史づくりであり、遺書づくり?ではないかと思っています。それも楽しく、ワクワクしながら・・・。
これからもよろしくお導きください。感謝合掌
PS:昨3日のエントリーで紹介したSAYAさんは毎日、毎日生を生きようとがんばっています。脇役は多い方が舞台が華やかになるのではないかと思い、彼女の承諾も得ずにエントリーしました。