電脳筆写『 心超臨界 』

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それがだめでも少なくとも人を傷つけてはならない
( ダライ・ラマ )

名馬は千里を走って千里を帰ると言いますが、零戦こそまさに名馬でした――百田尚樹

2024-08-05 | 04-歴史・文化・社会
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零戦がこれほどまでの航続距離を持っていたのは、広大な太平洋上で戦うことを要求された戦闘機だったからです。海の上では不時着は死を意味します。だから3千キロもの長い距離を飛び続けることが必要だったのです。それにまた広い中国大陸で戦うことも想定されていました。中国大陸での不時着も死を意味するということでは海の上と同じです。


◆名馬は千里を走って千里を帰ると言いますが、零戦こそまさに名馬でした

『永遠の0』 http://tinyurl.com/bv9xub5
( 百田尚樹、講談社 (2009/7/15)、p68 )

――なぜ「零戦」と呼ばれたか、ですか。

零戦が正式採用になった皇紀2600年の末尾のゼロをつけたのですよ。皇紀2600年は昭和15年です。今は誰も皇紀など使う人はいませんね。ちなみに、その前年の皇紀2599年に採用になった爆撃機は九九(きゅうきゅう)式艦上爆撃機、その2年前に採用になった攻撃機は九七(きゅうなな)式艦上攻撃機です。いずれも真珠湾攻撃の主力となりました。零戦の正式名称は三菱零式艦上戦闘機です。

零戦は素晴らしい飛行機でした。何より格闘性能がずば抜けていました。すごいのは旋回と宙返りの能力です。非常に短い半径で旋回できました。だから格闘戦では絶対に負けないわけです。それに速度が速い。おそらく開戦当初は世界最高速度の飛行機だったのではないでしょうか。つまりスピードがある上に小回りが利くのです。

本来戦闘機においては、この二つは相反するものでした。格闘性能を重視すると速度が落ち、速度を上げると格闘性能が落ちます。しかし零戦はこの二つを併せ持った魔法のような戦闘機だったのです。堀越二郎(ほりこしじろう)と曾根嘉年(そねよしとし)という情熱に燃える二人の若い設計者の血のにじむような努力がこれを可能にしたと言われています。

また機銃は通常の7・7ミリに加えて強大な20ミリが搭載されていました。7・7ミリ機銃弾は飛行機に穴を開けるだけですが、20ミリ機銃は炸裂弾でしたから、敵機に当たると爆発します。相手は一発で吹き飛びました。ただ20ミリは発射初速が遅く、弾数が少なかったのが難点でしたが。

しかし零戦の真に恐ろしい武器は実はそれではありません。航続距離が桁(けた)外れだったことです。

3千キロを楽々と飛ぶのです。当時の単座戦闘機の航続距離は大体数百キロでしたから、3千キロというのがいかにすごい数字か想像がつくでしょう。

余談ですが、ドイツはイギリスを攻め落とすことはついに出来ませんでした。ドイツに海軍力がなかったからですが、そのため爆撃機でイギリスを攻めました。いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」です。連日のようにドイツ軍爆撃機がドーバー海峡を越えてイギリスに攻め込みましたが、イギリス空軍は総力を挙げて遊撃し、ついにルフトバッフェはイギリス空爆を断念しました。

ドイツ空軍がイギリス空軍に敗れたのは、戦闘機が爆撃機を満足に護衛できなかったからです。重い爆弾を抱えている爆撃機は、速度も遅く小回りも利きませんから、敏捷(びんしょう)な戦闘機に襲われればひとたまりもありません。そのために爆撃機には護衛戦闘機が必要なのですが、ドイツの戦闘機はその任務を十全にこなせなかったのです。

ドイツはメーサーシュミットという素晴らしい戦闘機を持っていましたが、この戦闘機には致命的な欠点がありました。それは航続距離が短いということです。そのためイギリス上空で数分しか戦闘出来なかったのです。戦闘が長引くと、帰路ドーバー海峡を渡りきれず、海の藻屑(もくず)となってしまったようです。わずか40キロのドーバー海峡の往復が苦しかったなんて――。

ゼロ戦なら、ロンドン上空で一時間以上戦うことが出来たでしょう。完全にロンドン上空を制圧することが出来たはずです。こんな仮定は馬鹿げていますが、もしドイツ空軍が零戦を持っていたら、イギリスは大変なことになっていたでしょう。

零戦がこれほどまでの航続距離を持っていたのは、広大な太平洋上で戦うことを要求された戦闘機だったからです。海の上では不時着は死を意味します。だから3千キロもの長い距離を飛び続けることが必要だったのです。それにまた広い中国大陸で戦うことも想定されていました。中国大陸での不時着も死を意味するということでは海の上と同じです。

名馬は千里を走って千里を帰ると言いますが、零戦こそまさに名馬でしたな。

卓越した格闘性能、高速、そして長大な航続距離、零戦はこのすべてを兼ね備えた無敵の戦闘機でした。そして更に驚くことは、陸上機ではなく、狭い空母の甲板で発着できる艦上機ということです。

当時、工業国としては欧米にはるかに劣ると言われていた日本が、いきなり世界最高水準の戦闘機を作り上げたのです。これは真に日本人が誇るべきものだと思います。
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