電脳筆写『 心超臨界 』

人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( バーナード・ショー )

自分を鍛える! 《 富を手にする最も確実な方法は「勉強」することだ――ジョン・トッド 》

2024-08-01 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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富を追求していけば、人はますます自分本位の人間になっていく。手に入れた富を偶像のごとくあがめるかもしれない。今日手に入れた富が何世紀も一家に残り、さらに増え続けていくかもしれないと思えば、いっそう富は偶像化されることになるだろう。しかし、若い人たちに言っておきたいのは、もし富を得ることを人生の目標としているのならば、やり方を誤っているということである。勉強することがなによりも容易にすみやかに富を手に入れる方法なのだ。ただし、ふつう学生は学業を放り出さない限り金持ちになることはできない。


『自分を鍛える!』
( ジョン・トッド、三笠書房(2002/02)、p227 )
8章 あなたも“自分の壁”を破れる

◆富を手にする最も確実な方法は「勉強」することだ

富を追い求めることはそれほど堕落したことではないが、不滅の魂にとってふさわしいこととは言えない。

富を追求していけば、人はますます自分本位の人間になっていく。手に入れた富を偶像のごとくあがめるかもしれない。今日手に入れた富が何世紀も一家に残り、さらに増え続けていくかもしれないと思えば、いっそう富は偶像化されることになるだろう。

しかし、若い人たちに言っておきたいのは、もし富を得ることを人生の目標としているのならば、やり方を誤っているということである。勉強することがなによりも容易にすみやかに富を手に入れる方法なのだ。ただし、ふつう学生は学業を放り出さない限り金持ちになることはできない。

野望の成就を生きがいとし、時間と労力とひきかえに称讃を得たいという誘惑ほど強いものはあるまい。この泉から湧き出る水ほど、この世で甘美な水はあるまい。しかし、この水を飲みに来る人間を危険が待ち受けているということに、人々はあまり気づかない――矢をつがえた射手が待ち伏せているというのに。

野望を打ち砕くものは無数に存在しているので、野望以上に高尚な人生の目標を持っていないと、これを追求することには危険が伴う。なんと多くの人々が希望にあふれ、限りない期待を抱いて人生を始めながら、あっという間に失望に打ちひしがれ、やる気をなくしてしまうことか。自分の登ろうとしていた木が予想していた以上に高く、その果実を手に入れるのが思っていた以上にむずかしいということに気づくからだ。

しかし、仮にうまく事が運んで、ある程度、野望が成就し始めたとしよう。その人のそばに寄ってみると、遠くからでは見えなかった欠陥や、一見華々しく見えたものの背後に隠れていたあらが見えてくる。これらの弱点を人が見逃すはずはなく、それは吹聴され、誇張され、倍増され、ついにはかくも多くの欠点をそなえているのにいったいどうして偉いはずがあるものか、ということになる。こうしたことがその人の悩みの種となる。一日中足もとにまつわりつき、夜は夜でおちおち眠らせてくれない子犬たちのようなものだ。

しかし、この程度のことなら耐えることはできる。人格上のあらを人前で言いふらされても生きていくことはできる。だが、山を登る時、一歩足を踏みあやまったらどうか――谷底にまっさかさま、ということになろう。人に称讃されることだけを生きがいにしていながら、その目標を達成する手段が間違っていたために、若いうちに早々とすべての希望が打ち砕かれてしまう人間がなんと多いことか。

だが、称讃を求めて生きると生ずる最悪の事態とは、このことではない。いかなる称讃も長続きしないものだということである。称讃とは常にはかないものであり、はじめてそれを勝ち得るのと同様、それを維持することもきわめてむずかしいのである。

何年も苦労を重ねてやっと名声を得ても、それを保っていくにはそれ以上の困難を要する。ますます高まりつつある名声でなければ、名声というのはすぐに落ち込み、消えてしまうものだ。どんなに立派な業績をあげても、それ以上のことが要求され、どんなに最善を尽くしても、まだそれ以上の努力が要求される。それができなければ名声は消えてしまう。たとえ思い通りに仕事ができても、結局のところ、人の期待にそうことはなかなかできないのである。

ある人が処女作を書き上げるとする。誰もそれに期待などしていなかったので、好意的に受け入れられ、称讃すらされるかもしれない。しかし、二作目は前作の出来具合をもとに評価されるわけではない。世評を基準として評価される。他の新進作家が文壇で注目をあびつつあれば、それは彼にとっては致命的なことになる。人の称讃を求めて生きていく以上、こうしたことは避けられない。

人は誉めなくてすむなら、けっして誉めようとはしないものだし、機会があれば称讃を撤回しようとする。将来、無視されるようなことになっても、傾いていた天秤が元に戻ったのだからしかたあるまい、と考える。

野望を抱いて生きることは、嫉妬のために生ずる心をむしばむ不安。高い望み、不断の欲望、苦い失望に、絶えずさいなまれながら生きるということだ。魂は永遠に満たされることはない。虚空をつかもうとすることに等しい。
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