電脳筆写『 心超臨界 』

明日への最大の準備はきょう最善を尽くすこと
( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

セレンディビティの予感 《 裏長屋の呑んだくれ大工――安岡正篤 》

2024-07-16 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


人間というものは心掛け一つで、真剣になってやりさえすれば、どんなにでも道が開けるものだ。そういうふうに物を考えると、目先の現実をそのままに取り上げて、つまりこれに対する何ら積極的建設的な、また根本的な考え方をしないで、ただあるがままに現実の問題としてこれをどう救済するかとか、保証するかということを論議するのとは全然違うので、物の目のつけ方によって全くその正反対になる。


◆裏長屋の呑んだくれ大工

『活眼 活学』
( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p92 )

大阪によく路地というのがある。つまり裏長屋というやつだ。横丁の狭い所を入ってゆくと、両方に九尺二間の裏店(うらだな)がずっと並んでおって、大体最後は袋小路になっておるものだが、そういうある裏長屋の行き止まりの所に、貧乏大工の呑んだくれがしけこんでおった。これは非常に腕がいいんだけれども、何さま酒癖が悪い無精者で、朝から酒ばかり呑んで働かん。そのためにだんだん人に見放されて、情けない路地奥の九尺二間にくすぶっておった。

それをもったいないというので、家主がある日、長屋を訪れたら、この大工、酔っぱらっておって「何しに来た。家賃の催促か」と、もう目に角を立てている。「いや、今日は催促に来たんじゃないんだ」「じゃあ、何しに来たんだ」「まあそう言うな。いい相談があって来たんだ。お前は元来非常にいい腕を持っておる」「よけいなことを言うな」と一々からむ。

「わしがこれからお前に毎日一本ずつつけてやる。お前の飲むに事欠かんようにしてやる。家賃もまけてやる。その代わりわしの言うことを聞かんか」「それは何だ」「お前も一日そう只酒を食らっておっても面白くなかろう。夕方になったら気持ちよく呑ましてやるから、朝起きたら道具をかついで、この長屋中を一軒一軒尋ねて歩いて、どこか板が外れておらんか。台所の流しが壊れておらんか。戸ががたがたしておらんか、屋根が傷んでおらんか、床が抜けておらんかと聞いて歩いて、悪い所を修繕してくれ。もちろん料金をもらっちゃいかん。その代わりにわしが家賃をまけて、夕方になったら一本呑めるだけの手当をやる」「そんなことは何でもない」「そんならやれ」というので、奴さん早速やり出した。

するとたちまち長屋中のおかみさんやら親父やら、野郎えらい感心だ。おれの所へ来て台所を直してくれた。床を直してくれたという。しかも礼を取らんものだから皆気の毒になって、昼になったら何かお菜を持ってきてくれる。お八つになると何か出してくれる。晩になるとやはりお菜を持ってきたり、一本持ってきたりする。奴さん、家主からもらうばかりじゃなしに呑みきれんくらい酒が集まったり、食物も豊かになった。家主のくれる手当が残るようになった。

そうすると、いつの間にかそれが隣の路地にも聞こえ、向こう横丁にも聞こえて、そんな腕のいい、気心のいい大工さんがおるなら、こちらにも来てもらえんか、こっちにもきてもらえんかと引っぱりだこになって、そうすると張り合いがあるものだから、先生あんまり酒も呑まんようになった。あっちこっちで人気がいいものだから、すっかり気持ちをよくして精出した。一人では足らんようになって、弟子が二人も三人もできるようになって、そのうち堂々たる大工の棟梁になったという話を聞いて、私は非常に面白いと思った。

人間というものは心掛け一つで、真剣になってやりさえすれば、どんなにでも道が開けるものだ。そういうふうに物を考えると、目先の現実をそのままに取り上げて、つまりこれに対する何ら積極的建設的な、また根本的な考え方をしないで、ただあるがままに現実の問題としてこれをどう救済するかとか、保証するかということを論議するのとは全然違うので、物の目のつけ方によって全くその正反対になる。
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