電脳筆写『 心超臨界 』

知識が増えるほど不思議が深まる
( チャールズ・モーガン )

自分がここにいる縁を楽しむ――片岡礼子

2024-06-21 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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今、NHKの夜の連続ドラマ「どんまい!」に出演し、周りの俳優陣に刺激を受けながら、自分がここにいる縁を楽しめている気がします。「病気をしたつらい経験は、俳優の仕事に生きるはずだよ」と夫は言ってくれます。いつかそんな日が来るよう、焦らず一歩一歩歩いていきます。


◆自分がここにいる縁を楽しむ――片岡礼子

「焦らずに一歩一歩」女優 片岡礼子さん
2005.12.11 日経新聞(朝刊)「患者の目」

手術が成功し、2002年2月に退院しました。ただ脳内出血の原因である異常血管に取り残しがあり、放射線治療を受ける必要があった。この治療が終わり、主治医から「治療完了」と太鼓判を押してもらうには、さらに2年かかりました。

現場復帰までの道のりも平たんではありませんでした。退院後、傷が癒えても気持ちがついていかない。主演映画「ハッシュ!」で大きな賞を受賞し、周りの期待も感じていました。

でも、自信のなさから、台本を読もうとすると目がチカチカする。「よーい、スタート」と監督の声がかかっても、期待に応えられない気がして、セリフが出てこない。芝居ができず、とぼとぼ家に帰ることが何度もありました。

「命がたすかったのだから、ありがたいと思わないと」と周囲は励ましてくれます。でも治療が終わるまでは頭に爆弾を抱えているようで、不安でたまらなかった。現場にもどる自信がなくて、アルバイトをしたり、陶芸教室などに通ったりしました。

転機が訪れたのは2003年12月。映画「帰郷」の出演を依頼されたのです。監督もプロデューサーも病気のことを知った上で「この役は君しかいない。心配なことは相談してくれたらいいから」と言ってくれた。この言葉が胸に響き、出演を決めました。時間の経過も手伝ってくれたのかもしれません。

「この映画が最後のチャンス」と臨んだ現場で芝居をやり遂げ、大きな自信になりました。「俳優は心を扱う仕事、観客の気持ちを動かすには自分の心が元気でないとだめなんだ」と思い知らされました。

うれしいことが続きました。二人目の妊娠がわかったのです。主治医に相談すると、「脳動静脈奇形に気づいていなかった一人目の方が危険だった。今回は大丈夫」と言われ、家族が見守る中で無事出産しました。

今、NHKの夜の連続ドラマ「どんまい!」に出演し、周りの俳優陣に刺激を受けながら、自分がここにいる縁を楽しめている気がします。「病気をしたつらい経験は、俳優の仕事に生きるはずだよ」と夫は言ってくれます。いつかそんな日が来るよう、焦らず一歩一歩歩いていきます。
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1 コメント

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みいちゃんへ (仔猫ねこねこ)
2005-12-14 06:49:07
おはようございます。

かわいい足跡(TB)をありがとうございます。

みいちゃんのブロガーとしてのスタートを祝福致します。

これからもよろしく。

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