電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

聖と俗のはざまで変幻自在の絵を描く――雪舟

2007-01-19 | 04-歴史・文化・社会
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「雪舟は大名の使者?――処世術備え遊び心豊か」
【 [文] [化] 】2006.09.30 日経新聞(朝刊)
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【没後500年 見直される実像】
水墨画の神様、漂白の画聖――。そんな言葉で神格化
されてきた雪舟の実像が見直されている。没後5百年
を機に「神話」がぬぐいさられ、激動の時代を生き抜
く等身大の姿が見えてきた。
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◆山口で暮らす◆

雪舟は国宝6点と日本美術史上、最高の評価を受けている。ちなみに次点は3点の狩野永徳、長谷川等伯、俵屋宗達、池大雅の4人。だが、気鋭の雪舟研究者、島尾新氏(多摩美術大学教授)はこう言う。

「スパイとまでは言わないが、天下をうかがう大内氏のスタッフだったとみなされます」

雪舟はなにより地方の画家だった。京都で禅と水墨画を学んだが、画家人生の大半は大内氏の本拠、山口で過ごしている。応仁の乱が起こり、室町幕府が傾く時代だ。

「近代の芸術家のように自分の意志で諸国を訪ねられる時代ではない。移動しやすい禅僧は大名の使者ともなった。雪舟もそうでしょう」

地元の山口県立美術館では、島尾氏を委員長とする「雪舟研究会」を10年前に組織し、地道な調査を続けてきた。史料と研究成果を蓄積する「雪舟研究所」にいずれは発展させる構想だ。いまだ不明の部分が多い雪舟の生涯が少しずつ解き明かされている。

たとえば国史研究の今泉淑夫氏は研究誌上で、文明13年(1481年)の美濃(岐阜県)への旅を分析した。「山寺図」という絵の描かれた場所が美濃であることから、この時期の旅行先はすでに特定されていた。だが、目的は不明だった。今泉氏は謎につつまれる雪舟の動きを史料から追跡し、土岐・斎藤氏の美濃経営の実情を視察する狙いがあったと推定する。山口の大内氏、美濃の土岐氏は雪舟派遣の4年前、ともに戦乱の京都を引き払っていた。

島尾氏の見解によれば、雪舟は西行や松尾芭蕉と並び立つ「脱俗の漂泊者」という美術家像に後世あてはめられ、理想化された。だが転機となった中国留学にしても、水墨画修行のため自らの意志で行ったというより、大内氏の使節に加わってと考えるのが自然。

◆江戸期に神格化◆

名高い「天橋立図」はいつ、だれのために描かれたのか、わかっていない絵だが、「風景画としては情報量が多すぎる」(島尾氏)。これを下絵とする軍事目的の風景画があった可能性も否定できないという。

“雪舟スパイ説”をとれば、戦乱の世を生き抜く処世上手の画家の姿が見えてくる。当時、諸国を行き来する連歌師や芸能者が大名や公家の使者を務めることは珍しくなかった。島尾氏はそうした視点から、「画聖」の生涯を書き換える著作の刊行を準備している。

脱俗というより、聖と俗のはざまで変幻自在の絵を描いた。そんな人間像の転換が進みそうだ。

雪舟の神格化は江戸時代に進んだ。画壇を支配した狩野派が祖と仰ぎ、大名家が「雪舟の一枚も持たねば」とことのほか珍重したからだ。それゆえ雪舟作と伝えられる絵は膨大な数に上るが、写し(摸本)が多く、真作は30点ほどしかないとされる。「雪舟でない雪舟の絵」を見て語る「仮想現実」が一人歩きしていたとも言える。

高尚な雪舟のイメージを劇的に転換した一枚の絵がある。禅宗の開祖、達磨(だるま)を描く「慧可断臂図(えかだんぴず)」がそれ。壁に向かって修行しているところに慧可(禅宗第二祖)が現れ、腕を切って誠意を示し、入門を願いでる場面だ。

◆奔放な筆致も◆

岩肌の荒々しさ。達磨の衣を縁取る一気呵成(かせい)の線。モダンな感覚を感じさせる力強い絵だが、あまりに奔放な筆致に加え、落款が達者でないという理由から、雪舟の作ではないとの見方さえあった。

「雪舟は後に競って真似されたから、落款が上手なものこそ、にせものが多い。それより絵を実際に見れば、すごさがわかる。これぞ雪舟の真骨頂、国宝でないのはおかしいと言い続けた」

そう語るのは、美術家の赤瀬川原平氏と共著「雪舟応援団」を出した山下裕二氏(明治学院大学教授)だ。「雪舟を人間宣言させることができた」と力が入る。

こうした再評価のきっかけとなったのは、50万人を動員した4年前の特別展(東京国立博物館、京都国立博物館)だった。「慧可断臂図」も改めて注目を浴び、その2年後に6枚目の国宝に認定されている。この秋には山口県立美術館で没後5百年記念展「雪舟への旅」(11月1-30日)が開かれる。出品は60点余りだが、国宝全点をふくむ主要作が見られる貴重な機会となる。

代表作の一つ「山水長巻」を所蔵先の毛利博物館(防府市)で、間近に見る幸運に浴した。修復され、しわのとれた美しい画面を記録撮影する折だった。融通無碍(むげ)で生々しい筆致に幻惑される。山口県立美術館の担当学芸員、江開津(えがいつ)通彦氏はその魅力をこう語る。

「巻物の最後の方で脱力した不思議な線が出てくる。筆の動きが持っている遊びの感覚で描き始めている。そういう独創が雪舟の本当の面白さでしょう」

(編集委員・内田洋一)

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