電脳筆写『 心超臨界 』

変化することは
真の学習がみな到達する最終結果である
( レオ・ブスカーリア )

私が初めて九相図を見たのは大学4年生の時だった――山本聡美

2024-08-06 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


私が初めて九相図を見たのは大学4年生の時だった。「何だ、これは?」というのが第一印象だったが、間違いなく目を引く図像であった。大学院でも周囲からは「よく、そんな気持ち悪いものをテーマに選ぶね」と言われたものだ。それから15年、美術史学という自分の専門分野にとどまらず、国文学研究の成果にも学ぶことによって見えてきた世界がある。


「九相図」に魅せられて――山本聡美・金城学院大学准教授
(「文化」09.04.28日経新聞(夕刊))

◇鎌倉時代に出現・屍の白骨化描く、文化の神髄感じる◇


野に打ち捨てられた死体が腐敗し、白骨となって朽ち果てていく。その過程を九つの段階に分けて描いた絵画を「九相図(くそうず)」という。


#  #  #

新たな作品の存在続々

時に小野小町という絶世の美女が零落するイメージにもなぞらえられ、近世以前の日本で長らく描き続けられてきた主題だ。皮膚がただれ、虫がわく様子をリアルに描いた絵は気持ち良いものでないが、その源流は仏教にある。

肉体が滅びる九つの段階を脳内にイメージし、煩悩滅却を目指す「九相図」という修行に基づく。日本では、主に女性の屍(しかばね)が描かれ、遅くとも鎌倉時代に出現。江戸時代には版本としても広く流布した。

日本美術史を専攻する私は大学院生時代から15年にわたって、この主題を研究している。近年、新たな作品の発見が相次ぎ、九相図研究にも新展開の兆しが見えてきた。

文亀元年(1501年)7月29日の年記がある「九相詩絵巻」もその一つで、古書市場に出たものを九州国立博物館が購入し、その存在が知られるようになった。

この絵巻には、死体の変化が次の九段階に分けて描かれている。

①死後間もない死体が横たわる「新死相(しんしそう)」②充満するガスで体が膨張する「膨張相(ぼうちょうそう)」③皮膚の裂け目から血が流れる「血塗相(けつずそう)」④肉体が腐乱する「肪乱相(ぼうらんそう)」⑤カラスや犬の餌食になる「噉食相(たんじきそう)」⑥ミイラ化する「青瘀相(しょうおそう)」⑦白骨化する「白骨連相」⑧骨が散乱する「白骨散相(さんそう)」⑨骨が焼かれて灰になる「成灰相」――の九つの段階だ。

さらに詞書には、九相観を基に成立した「九相詩」と、九相を詠んだ和歌が添えられている。

室町時代には、このように九相図を漢詩・和歌と共に鑑賞することが流行したらしく、ほかにも大阪府の大念佛寺などに同様の作例が残る。もともとは修行の道具であったはずの九相図に、無常観を和漢連句として詠んだ文芸的要素が加えられたのである。

#  #  #

高貴なパトロンの影

九州国立博物館蔵「九相詩絵巻」は、室町時代に大和絵の有力画派であった土佐派の画風を示している。みずみずしい動植物、透明感のある霞(かすみ)や山並みなど叙情性あふれる優美な作品で、良質な顔料に加え金・銀の絵の具も用いている。

このような贅沢(ぜいたく)な絵巻は、相当の経済力を備えた高貴なパトロンなくしては制作できない。京都の公家・武家の関与がうかがわれる。

慶安4年(1651年)12月6日の年記がある滋賀県・佛道寺住職個人蔵「九相詩絵巻」も、近年知られるようになった作品の一つだ。巻末には京狩野の絵師、狩野永納(1631―97年)の落款・印章があり、永納の絵巻としては現在確認されている中で最古の作例である。

この九相図には、全場面に死体を見つめる直衣(のうし)姿の男性が描かれている。その構図からは和歌の名手を描いた「歌仙絵」が連想される。古典文学において、恋の始まりを予感させるモチーフである「垣間見(かいまみ)」を思わせる場面もある。彼は、野に捨てられた女性の亡骸(なきがら)が滅びゆく姿を見て、この世の無常を和歌に詠もうとしているのだろう。

九相図を文学の領域へと昇華させた近世文化人の機知が読み取れる作品だ。


#  #  #

初の資料集成を刊行

こうした九相図を集めた「九相図資料集成」(岩田書院)をこのほど刊行した。国文学を専門とする西山美香さん(明治大学兼任講師)との共編で、鎌倉時代から江戸時代初期に成立した掛け軸、絵巻、版本を網羅的に収めた。このような資料集は前例がない。

私が初めて九相図を見たのは大学4年生の時だった。「何だ、これは?」というのが第一印象だったが、間違いなく目を引く図像であった。大学院でも周囲からは「よく、そんな気持ち悪いものをテーマに選ぶね」と言われたものだ。それから15年、美術史学という自分の専門分野にとどまらず、国文学研究の成果にも学ぶことによって見えてきた世界がある。

かつて日本人は九相図に、生と死、聖と俗、男と女といった対極的な世界の境界を見たのではないか。九相図制作の歴史は幕末まで続いており、その息の長さは、源氏絵と肩を並べるほどだ。

宗教的な題材を文芸的なものへと昇華させ、先行する図像を和歌の本歌取りのように新たな作品に織り込みながら描き継がれた九相図は、日本文化の神髄をついている。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不都合な真実 《 「国際連合... | トップ | 田原坂とその周辺では、とき... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事