電脳筆写『 心超臨界 』

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( トニー・ロビンズ )

歴史を裁く愚かさ 《 「新しい歴史教科書をつくる会」の記者会見――西尾幹二 》

2024-05-20 | 04-歴史・文化・社会
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「声明」には、米ソ二超大国の歴史観をあいまいに国内に共存させてきたことに自己喪失の原因があると書かれているが、考えてみればあいまいな共存のおかげで日本列島は代理戦争の流血の巷(ちまた)になることを免れたのだともいえるだろう。自分の歴史意識を犠牲にすることで、列島を内乱の破壊から守ったのである。そしてそれはそれで幸福であったと言えなくもないが、おかげで日本人は、他方において、自分の歴史なんかどうでもよく、豚のようにでもただ生きていればそれでよいという人種になり下がってしまったのである。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p52 )
第2章 なぜ私は行動に立ち上がったか
1 新しい歴史教科書の戦い

◆「新しい歴史教科書をつくる会」の記者会見

平成8年12月2日(月)午後1時、東京の赤坂東急ホテル珊瑚の間で「新しい歴史教科書をつくる会」は、あえて記者会見をし、発会式とした。

あまり大きくない会場は満員で、2百人近くいたのではないかと思う。テレビ会社も数社来ていたし、新聞、雑誌、放送と席も分かれていたようだが、私にはどこに誰が坐っているのか分からなかった。朝日、毎日、日経、共同などには案内が届けられていたはずだが、「家永裁判支援の会」とか「きけわだつみの会」とか格別こちらから呼びかけなかった人々もあとから質問したので、来ていることが分った。

期待し喜びをもってわれわれを迎えてくれた人もいただろうし、警戒し猜疑の目をもって待ち構えていた人もいたであろう。最初から会場をつつんでいた熱気と関心の度の強さは、記者会見をやるほうからすれば、ともあれたいへんにありがたいことだった。

司会者の挨拶のあと、私が指名されて、「声明」を読みあげた。少し長いが、下に全文を引用する。

  「新しい歴史教科書をつくる会」創設にあたっての声明

  歴史教育の問題は、先の大戦に敗れてから半世紀にわたり繰り返し
  論じられてきたにもかかわらず、その歪みが正されるどころか、近
  年ますます歪曲混迷の度を深めている。

  とりわけ、この度検定を通過した中学7社の教科書の近現代史の記
  述は、日清・日露戦争をまで単なるアジア侵略戦争として位置づけ
  ている。そればかりか、明治国家そのものを悪とし、日本の近現代
  史全体を、犯罪の歴史として断罪して筆を進めている。例えば、証
  拠不十分のまま「従軍慰安婦」強制連行説をいっせいに採用したこ
  とも、こうした安易な自己悪逆史観のたどりついた一つの帰結であ
  ろう。とめどなき自国史喪失に押し流されている国民の志操の崩落
  の象徴的一例といわざるをえない。

  いったいなぜこういうことになったか。日本人は戦後50年間、世
  界を二分した米ソ二超大国の歴史観をあいまいに国内に共存させて
  きた。歴史教科書の記述はこの二つの混交の良い一例である。本来
  原理的に対立しながら、対日戦勝国として日本の歴史的過去を否定
  する二つの歴史観が戦後日本の知識人の頭の中では合体し、共存し
  てきた。その結果として、日本自身の歴史意識を見失ったのである。

  周知の通り、冷戦終結後の東アジアの状況は猶予を許さない。どこ
  の国にも独自の歴史像があり、それぞれ異なる歴史意識があり、他
  国との安易な歴史認識の共有などあり得ない。ことに幼いナショナ
  リズムを卒業しているわが国と、いま丁度初期ナショナリズムの爆
  発期を迎えている近隣アジア諸国とが歴史認識で相互に歩み寄ると
  したら、わが国の屈服という結果をもたらすほかはないだろう。そ
  れは、先に述べた歴史喪失症状にさらに輪をかけ、病を重くするだ
  けである。

  われわれはここに戦後50年間の発想を改め、「歴史とは何か?」
  の本義に立ち還り、どの民族もが例外なく持っている自国の正史を
  回復すべく努力する必要を各界につよく訴えたい。われわれは日本
  の次世代に自身をもって伝えることのできる良識ある歴史教科書を
  作成し、提供することをめざすものである。

  心ある各界各層のご指導とご支援をお願いしたい。

     1996年12月2日

書かれていることに誤解の余地はないだろう。四段目の、「どこの国にも独自の歴史像があり」以下に、「歴史の相対主義」に道を通じる危惧への指摘が支持者のなかからもなされていたが、短い紙数で歴史哲学の大問題を論じ尽くすことはできない。

加えて、各種の「歴史の普遍主義」が無効になった時代をいまわれわれは迎えていると言っても過言ではないことをも認識してほしい。さらに、いまの東アジアの状況がやはりきわめて特殊なので、こうでも言うしか仕方がないという思いが私にはいぜんとしてある。

「声明」には、米ソ二超大国の歴史観をあいまいに国内に共存させてきたことに自己喪失の原因があると書かれているが、考えてみればあいまいな共存のおかげで日本列島は代理戦争の流血の巷(ちまた)になることを免れたのだともいえるだろう。自分の歴史意識を犠牲にすることで、列島を内乱の破壊から守ったのである。

そしてそれはそれで幸福であったと言えなくもないが、おかげで日本人は、他方において、自分の歴史なんかどうでもよく、豚のようにでもただ生きていればそれでよいという人種になり下がってしまったのである。

ドイツや朝鮮のような分裂国家の悲劇をわれわれは永いあいだ哀れんできたが、いまになってみると、「代理戦争の流血」はおそらくこの両国にとってけっして無駄ではなかった。両国には歴史意識がきちんとある。自分を世界の誤解から守ろうとする片意地なまでの自己主張の心根がある。つまり生命力がある。日本の最大の問題は、日ごとに進行していく生命力の衰微である。
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