電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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マックス・ヴェーバーは『職業としての学問』の中で、学問的に価値のある達成というものは、専門の中に閉じこもることによってのみ可能であると述べ、「自分の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所(かしょ)の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である」と断定している。誰でも知っている有名な一文である。わずか半日間のことではあったが、年代推定を終えてわれに返った私は、このヴェーバーの言葉を思い出して、ああ、自分は学者になれるかもしれない、と思った。
◆町田経宇の書簡
学問を決意したころ――東京大学教授・北岡伸一
(「あすへの話題」09.08.27日経新聞(夕刊))
大学院の博士課程で、私は明治大正期の陸軍の研究をしていた。そのころ、文学部の伊藤隆先生が、薩摩出身の陸軍の有力者だった上原勇作に寄せられた書簡を研究する会を組織され、私もその末端に加えていただいた。そして偶然、上原の右腕ともいうべき町田経宇という軍人の書簡を担当することになった。数十通にのぼるその書簡はいずれも大変に内容豊富なものだったが、とくに明治末期のある書簡は、陸軍の現状と将来に関する彼らの考え方や、ライヴァルである長州藩の動きについての詳しい分析を含む、素晴らしいものだった。しかし、惜しいことに、日付と消印のところが破れていて、年月日が特定できない。それでは資料の価値は半減してしまう。
それで、書簡の中の挨拶(あいさつ)や周辺的な記述から時期を絞り込み、封筒にわずかに残った消印や筆の後などから、ある年月日のものと確定することができた。この間、総合図書館などで参考資料や関連資料を探して、半日ほど駈けずり回っただろうか。
マックス・ヴェーバーは『職業としての学問』の中で、学問的に価値のある達成というものは、専門の中に閉じこもることによってのみ可能であると述べ、「自分の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所(かしょ)の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である」と断定している。誰でも知っている有名な一文である。
わずか半日間のことではあったが、年代推定を終えてわれに返った私は、このヴェーバーの言葉を思い出して、ああ、自分は学者になれるかもしれない、と思った。三十数年前のことである。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。
マックス・ヴェーバーは『職業としての学問』の中で、学問的に価値のある達成というものは、専門の中に閉じこもることによってのみ可能であると述べ、「自分の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所(かしょ)の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である」と断定している。誰でも知っている有名な一文である。わずか半日間のことではあったが、年代推定を終えてわれに返った私は、このヴェーバーの言葉を思い出して、ああ、自分は学者になれるかもしれない、と思った。
◆町田経宇の書簡
学問を決意したころ――東京大学教授・北岡伸一
(「あすへの話題」09.08.27日経新聞(夕刊))
大学院の博士課程で、私は明治大正期の陸軍の研究をしていた。そのころ、文学部の伊藤隆先生が、薩摩出身の陸軍の有力者だった上原勇作に寄せられた書簡を研究する会を組織され、私もその末端に加えていただいた。そして偶然、上原の右腕ともいうべき町田経宇という軍人の書簡を担当することになった。数十通にのぼるその書簡はいずれも大変に内容豊富なものだったが、とくに明治末期のある書簡は、陸軍の現状と将来に関する彼らの考え方や、ライヴァルである長州藩の動きについての詳しい分析を含む、素晴らしいものだった。しかし、惜しいことに、日付と消印のところが破れていて、年月日が特定できない。それでは資料の価値は半減してしまう。
それで、書簡の中の挨拶(あいさつ)や周辺的な記述から時期を絞り込み、封筒にわずかに残った消印や筆の後などから、ある年月日のものと確定することができた。この間、総合図書館などで参考資料や関連資料を探して、半日ほど駈けずり回っただろうか。
マックス・ヴェーバーは『職業としての学問』の中で、学問的に価値のある達成というものは、専門の中に閉じこもることによってのみ可能であると述べ、「自分の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所(かしょ)の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である」と断定している。誰でも知っている有名な一文である。
わずか半日間のことではあったが、年代推定を終えてわれに返った私は、このヴェーバーの言葉を思い出して、ああ、自分は学者になれるかもしれない、と思った。三十数年前のことである。