電脳筆写『 心超臨界 』

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( セネカ )

不都合な真実 《 再説・皇室の「藩屏」再建のため――小堀桂一郎 》

2024-05-15 | 05-真相・背景・経緯
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幸ひにして筆者と憂慮を同じくし、皇統永続の願ひを共有する真の保守派の人々もいつしか数は増えてゐて、夫々(それぞれ)に論策を公にし、実際の手続きについての法的な目途はつけたといふ向もある。今は其等の知恵を結集し組織する政治家の出現を待つばかりである。


〈 年頭にあたり 〉
◆再説・皇室の「藩屏」再建のため――小堀桂一郎・東京大学名誉教授
(「正論」産経新聞 R04(2022).01.04 )

皇室の「藩屏(はんぺい)」の再建が喫緊の国家的課題である事を、本欄を借りて筆者が説いたのは平成15年11月が初回だつた。高円宮憲仁親王の薨去(こうきょ)一年祭という機会を捉へて夙(つと)に胸裡にあつた年来の所懐を述べたのであつて、それが今から19年の過去の事になる。

〈 旧皇族復帰の特別措置法を 〉

「藩屏」の再建とは具体的に言へば昭和22年10月に米占領軍の皇室解体政治工作の第一打として臣籍降下を余儀なくされた、当時の皇族11宮家のうち、男子の御子孫を有しておられる4家に皇籍を回復して頂き、つまり皇族といふ氏族集団を再建しなくてはならないとの要請に出た提案だつた。

初度の拙稿の直接の動機は高円宮殿下の過労を危惧し仕(つかまつ)つてといふことにしてあるが立論の目的は当然ながら皇位継承権を保有せられる皇族男子の数を確保しておかなくてはならない、との切羽詰つた要求だつた。当時はまだ秋篠宮家に悠仁親王の御誕生を見てゐない時期だつたからである。

皇族男子の数を確保する手段としては、「元皇族の男系男子孫による皇族の身分取得に関する特別措置法」を制定し、それに基いて皇族への復帰候補者を選定の上、皇室典範にわづかの改訂を施して上の特別措置法によつて適格と認められた方を皇族の身分を得たものと認める、といふ方法が法的に可能であり、社会的にも合意は得られようと考へた。

この趣旨を筆者は爾来(じらい)主として本紙の本欄を借りて度々世に問ふて来た。他ならぬ昨令和3年の年頭所感も同じ意見の再説であつた。これにはいささか忸怩(じくじ)たるものがあるが、低くか細い聲(こえ)の主張も反復によつて多少の効果を狙ふ事ができると思つたからである。

只、初期の数年間は無視黙殺の扱ひ、といふよりも稀(まれ)に反応を得たとすれば、女性・女系の天皇を認めるならば皇位継承の困難は解決する、とか、男子皇族方の公務の御負担は女性宮家の創設を以て肩代わりできる等の、我が国の皇室伝統を真向から否定してしまふ体の反駁(はんばく)が多かつたのだが、数年前から少しく風向が変つて来た。

〈 真に守るべきものの危機に 〉

本紙自体の論説を見ても平成24年1月に当時の野田佳彦政権が女性宮家の創設といふ本来取り上げる事すら避けるべき論題について識者からの意見聴取を開始した時、本紙論説委員の石川水穂氏が土曜日の論説欄で「旧皇族の復帰の検討も必要だ」と明白な題名で野田内閣の姑息(こそく)策を批判した事が強く記憶に残つてゐる。

かうして真の保守主義を奉ずる言論人達は、皇室をお守りする事が即ち我が国固有の文明の形態を守る道であるとの信条を奉じて、その道を強化するための論策を積み重ねて来た。真の、ではない偽装の自称保守主義者とは、唯自己の既得権益の防護のために保守の姿勢をとる人々であつて、その真贋(しんがん)はやはりその人の口にする言葉を通じて自づから見分けのつくものである。その差は真に守るべきものが危機に遭遇した時に、どの様な立場をとるかで判る。

現今、皇嗣殿下といふ二つと無い貴重な御存在である秋篠宮家に生じた不幸な家族関係について、真の保守派の言論人は、皇室の永続こそが我が国の永続の保証であるとの第一原理から離れて事態を見る事はない。家族の分断といふに近い終局はたしかにお氣の毒の極みに違ひない。然しそれなればこそ又私共には、後に残された秋篠宮御一家を、殊に姉上様に去られた少(わか)い親王殿下の将来についての親身な同情の立場に立つて物を見る事が要請される。

〈 皇統永続の願ひ共有する 〉

即ち、親王には現在も将来も、お話し相手になり頼りになる同年輩の親戚が必要である。一般の庶民にしても誰しもが、従兄弟といふ間柄の親戚とのつきあひにより、何かと教へられたり励まされたりした幼年時代の記憶をお持ちであらう。更にこうした血縁関係が、成人して後の渡世の難路などで思ひがけぬ力杖になつてくれた事なども経験されてゐよう。

秋篠宮家の少い親王にとつて、従兄弟といふ血縁関係は事実上無理であるとしても、皇族といふ身分を持たれてゐるが故の親身の存在が出現する事は可能である。その縁結びはやはり早い方がよい。皇籍に復帰し、皇族といふ自分を得られるであらう旧皇族の後裔(こうえい)の方々にしても、自らの新しい身分の特殊性に慣れ、その境遇にふさはしい行動の様式を身につけられるには相当の期間が必要であらうし、ましてや将来の天皇といふ御存在と昵懇(じっこん)の間柄を築くためには歳月といふよりも世代を越えての繋(つなが)りの継続が必要かもしれない。

それを思へば事は急を要する。幸ひにして筆者と憂慮を同じくし、皇統永続の願ひを共有する真の保守派の人々もいつしか数は増えてゐて、夫々(それぞれ)に論策を公にし、実際の手続きについての法的な目途はつけたといふ向もある。今は其等の知恵を結集し組織する政治家の出現を待つばかりである。
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