電脳筆写『 心超臨界 』

手本は人を教える学校であり
他からは何一つ学べない
( エドマンド・バーク )

こころのチキンスープ 《 走れ、パティ!――マーク・V・ハンセン 》

2024-07-10 | 03-自己・信念・努力
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「先生、わかってください。ただの気まぐれで走っているんじゃないの。無理してでもやりとげなくてはいけない理由があるんです。わたし自身のためだけじゃないわ。自分で自分に手かせ足かせをはめてしまっている人たちを自由にしてあげたいの。何とか走り続ける方法はありませんか?」


◆走れ、パティ!

「こころのチキンスープ」愛の奇跡の物語
( ジャック・キャンフィールド & マーク・V・ハンセン、ダイアモンド社、p216 )

パティ・ウィルソンは若く感じやすい年頃に、てんかん症と診断されました。そんな彼女がある日のこと、毎朝ジョッギングをしている父親に言いました。

「ねえ、お父さん、わたし毎日お父さんと一緒に走ってみたいんだけど、発作が起きるのが心配なの」

「お父さんがいれば手当してあげられるから、一緒に走ってみようよ」

こうして二人は毎日走り始めました。二人で共通の体験を持つことはとても素晴らしく、また、走っているときは発作もまったく起きませんでした。数週間たつと、パティはこういい出しました。

「お父さん、わたし、女子の長距離マラソンの記録を破ってみたくなったわ」

父親がギネス・ブックを調べると、女子の最長記録は128キロでした。高校1年生のパティはこう宣言しました。

「今年、オレンジ郡からサン・フランシスコまで走って(約640キロ)、2年生になったら、オレゴン州ポートランドまでを(約2,400キロ)、3年生では、セント・ルイスまでを(約3,200キロ)、そして卒業する年には、ホワイトハウスまでを走ってみせるわ(約4,800キロ)」

これは、パティの背負ったハンディキャップからみれば無謀なチャレンジでしたが、絶対にやりとげるつもりでした。彼女によれば、「てんかん症という障害は、単なる『不自由』でしかない」のでした。パティは、失ったものにこだわるのではなく、残されたものに目を向けたのです。

その年、パティは、「てんかん大好き」と書いたTシャツを着て、サンフランシスコまで走りました。父親がその全工程を伴走し、看護婦の母も、万一にそなえてトレーラーで後をついていきました。

2年生になると、クラスメートの応援で、「走れ、パティ!」という超大型のポスターができあがりました(この言葉は、この時から彼女のモットーになり、後に書いた本の題名にもなりました)。

ところが、この2回目の長距離マラソンの時、ポートランドをめざして走っている途中で、彼女は足の骨を折るというアクシデントに見舞われました。医者はそれ以上走ってはいけないと言いました。

「すぐに足首をギプスで固定しないと、とりかえしがつかなくなるよ」

「先生、わかってください。ただの気まぐれで走っているんじゃないの。無理してでもやりとげなくてはいけない理由があるんです。わたし自身のためだけじゃないわ。自分で自分に手かせ足かせをはめてしまっている人たちを自由にしてあげたいの。何とか走り続ける方法はありませんか?」

医者はギプスをする代わりに、テープで固定する方法を教えてくれました。ただし、これだとひどく痛い上に、こすれて水ぶくれができるかもしれないとも言いました。それでも、パティは耐えました。

こうして、ポートランドまで走りぬき、最後の1キロはオレゴン州知事が一緒に走りました。「超人ランナー、パティ・ウィルソン、17歳の誕生日にてんかん症に挑む長距離マラソン完走」という新聞の見出しをご覧になった方も多かったことでしょう。

この後、パティは西海岸から東海岸まで、4か月間ほとんどぶっとおしで走り続けました。そして、ついにワシントンに到着し、大統領と握手してこう訴えました。

「わたしは皆さんに、てんかん症患者は普通の生活をしている普通の人間だということを知ってもらいたかったのです」

実は、少し前に、わたしがあるセミナーでこの話をしたところ、講演の後に、ある大柄な男の人が目をうるませてやって来て、私にぶ厚い手を差し出してこう言うではありませんか。

「マーク、わたしはジム・ウィルソンです。今あなたがお話になったのは、わたしの娘のパティのことです」

その父親の話によると、彼女の血のにじむような努力が実を結び、設立に数百万ドルかかるというてんかん症センターがアメリカ全国19か所でオープンしたそうです。

パティ・ウィルソンがハンディキャップを負いながら、あれほどのことを成し遂げたことを考えると、健康な皆さんには、今よりもどれだけ素晴らしいことができることでしょう。

     マーク・V・ハンセン
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