電脳筆写『 心超臨界 』

天才とは忍耐するためのより卓越した才能に他ならない
( ルクレール・ビュフォン )

かけがえのない家族 《 父になって思うこと――三浦豪太 》

2024-08-04 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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  世の中でいちばん大切なものは家族と愛
  ( ジョン・ウッドン )
  The most important thing in the world is family and love.
  ( John Wooden )


◆父になって思うこと――三浦豪太
(「探検学校」08.05.10日経新聞(夕刊))

4月30日、エベレストで“高度順化”するため標高6000メートルの第1キャンプへ登っていたとき、ベースキャンプで通信を担当する兄の雄大から連絡が入った。「子供が生まれた!」。日本で生まれた僕の最初の子供は、男だった。

父の雄一郎とベースキャンプまで引き返す4時間、自分自身が父親になったことが夢のように感じられた。僕にとっての三浦雄一郎とは、ずっと、冒険における相棒であり、ライバルであった。しかし自分が親になってみた今、三浦雄一郎とはどのような父親だったのか、と考えてみた。

父がエベレスト大滑降をした1970年、僕はまだ3歳に満たない赤ん坊だった。父が滑った斜面を初めて見たのが5年前のエベレスト遠征時。平均斜度45度というその場所は、斜面というより蒼(あお)い氷の“壁”だった。

何万年もの間に積み重なった氷河はナイフの刃も通さないほど硬い。その“壁”の上を、父はパラシュートを装着して真っすぐに滑り降りた。というより“落ちた”。

スタートから45秒後、転倒した父を救ったのがひとつの岩だった。岩に激突し、新雪にスキーをひっかけて止まった。おかげでその下にあるクレパスに落ちずに済み、一命を取りとめた。当時の父の手記には、「人生はすべて夢だった」と書いてある。危機一髪助かったと分かったときは、「また人間として戻ったきた」と感じたそうだ。一般的にみれば「なんという無責任!」となるのだろうが、自分の信じる道や決めた目標に真摯(しんし)に向き合うこんな姿こそ、僕が抱く父親像だ。

父はエベレストで命を救ってくれた岩を「親子岩」と名づけた。父は家族を軽んじて、ひとり気ままに冒険を続けていたのではない。命懸けの冒険に家族を連れ出すこともたびたびあった。恐らく、どんなときでも自分の命を引き留めてくれる存在として家族をとらえていたのだと思う。

父は現在、高所特有のせきに悩まされながらエベレストの頂上を目指している。一流の登山家でも苦労する難所に全身で挑む。来る前には2度の心臓手術も受けた。

家族を口実にすることなく、信念や目標を貫いてこそ一人前の父親だ。僕はそんな思いを込め、息子を「雄豪」と名づけた。
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