電脳筆写『 心超臨界 』

嘘と作り話の上に自己を築くことほど
この世で恥ずべきものはない
( ゲーテ )

生きるための杖ことば 《 喫茶去・喫茶来――松原泰道 》

2024-07-13 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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去る第二次世界大戦のときである。シドニー湾内に特殊潜航艇で進入する命を受けた一人の若い海軍の水兵がいた。母艦を去るとき、彼は母の丹精の梅ぼしを細かくさいて、友人と別離の茶を服するのである。そのときの彼の辞世二首を紹介する。「喫茶」の厳粛なこころを読みとってほしい。

  敵の地に深く入りける艦内に ふくささばきの音のしずけさ

  つつましく薄茶をたてるたたかいの そのひとときのひまのなごやか


◆喫茶去・喫茶来(きっさこ・きっさらい)

『生きるための杖ことば』http://tinyurl.com/mfzv34
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p8 )

「喫茶去」も「喫茶来」も、ともに“お茶を召しあがれ”である。去と来は、いずれも喫茶を強める助辞で意味はない。喫茶去を「お茶を飲んだら帰れ」、喫茶来を「お茶を飲みに来い」と訳したら、笑い話だ。

わが国の茶祖の珠光(じゅこう)(1502年没)は、はじめは茶の葉を医薬として用いていたが、服茶には礼法が大切であると痛感したのが、茶の湯のはじめだという。そのころ、珠光は一休和尚(1841年没)に参禅していたが、一休は彼に「趙州喫茶去(じょうしゅうきっさこ)」の公案(こうあん=禅の修行者に師が与える命題)を与える。その公案の意味はこうだ。

趙州和尚(中国唐代の禅僧、897年没)は、師を訪れる修行者に誰彼の区別なく「喫茶去」と呼びかける。なぜひとしく「喫茶去」とあいさつするのか、というのが一休が珠光に与えた問いである。よく「茶禅一味(ちゃぜんいちみ=茶と禅の奥義は相通ず)」と言われるのは、一休と珠光の出合いがあったからだ。

いずれにしても真剣な実践の積み重ねの結果、はじめて得られる答えであるから、文字やことばで、その奥義は説明出来るものではない。そこで、世間的にいう喫茶も、ただ「茶を喫(の)む」ですませるのはわびしい。「喫(きっ)す」は、毎日の食後の番茶でも必ず両手で茶碗を持ち、心中で合掌して「頂く」敬虔さを呼び起こす行為であると私は言いたい。

去る第二次世界大戦のときである。シドニー湾内に特殊潜航艇で進入する命を受けた一人の若い海軍の水兵がいた。母艦を去るとき、彼は母の丹精の梅ぼしを細かくさいて、友人と別離の茶を服するのである。そのときの彼の辞世二首を紹介する。「喫茶」の厳粛なこころを読みとってほしい。

  敵の地に深く入りける艦内に ふくささばきの音のしずけさ

  つつましく薄茶をたてるたたかいの そのひとときのひまのなごやか

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