電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
木々とは聖なる天空に語りかけようとして
絶え間なく努力する大地の姿である
( ラビンドラナート・タゴール )
Trees are the earth's endless effort to speak to the listening heaven.
( Rabindranath Tagore )
◆木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
(『致知』2013年2月号、p96 )
「人生を照らす言葉」連載(50)――鈴木秀子・文学博士
今回は詩人であり随筆家、翻訳家としても知られる田村隆一(1923~1998)の『木』という作品を味わってみることにします。
木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか
見る人が見たら
木は囁(ささや)いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない
若木
老樹
ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目ざめている木はない
木
ぼくはきみのことが大好きだ
このように木は黙っているから、歩いたり走ったりしないからといって、決して無機物的な存在というわけでなく、生命力に満ち溢れているのです。作者の田村氏はミステリー小説の翻訳で知られ、私生活の面でも破天荒な人生を送った人ですが、詩人が持ち合わせる少年のような純真な心で木々にメッセージを摑(つか)み取っていたのでしょう。
私は「木は愛とか正義とかわめかないから好きだ」という一節を読みながら、東日本大震災の被災地を訪れた時のことを思い出しました。被災地では何人もの方から「正義をかざす人ほど困ったものはない」という声を聞きました。被災地に乗り込んで一方的に放射能の恐怖などを声高に叫び続けるような人たちをたくさん見てきたというのです。正義を口走った時に生まれるのは調和ではなく、分裂や闘争心。だから「正義とわめかないでほしいと頼みたくなる」というのが被災地の方々の本音でした。
正義を振りかざす人たちを見つめながらも、木々はただ黙ってそこに立っているだけです。「その考えが正しい」とも「間違っている」とも主張するわけではありませんが、深い心でその声を感じ取っていくと、大自然の心が伝わってくるはずです。愛とも正義とも言わないけれども、それらをすべて包み込むような大きさや豊かさのようなものが感じられるのではないでしょうか。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
木々とは聖なる天空に語りかけようとして
絶え間なく努力する大地の姿である
( ラビンドラナート・タゴール )
Trees are the earth's endless effort to speak to the listening heaven.
( Rabindranath Tagore )
◆木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
(『致知』2013年2月号、p96 )
「人生を照らす言葉」連載(50)――鈴木秀子・文学博士
今回は詩人であり随筆家、翻訳家としても知られる田村隆一(1923~1998)の『木』という作品を味わってみることにします。
木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか
見る人が見たら
木は囁(ささや)いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない
若木
老樹
ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目ざめている木はない
木
ぼくはきみのことが大好きだ
このように木は黙っているから、歩いたり走ったりしないからといって、決して無機物的な存在というわけでなく、生命力に満ち溢れているのです。作者の田村氏はミステリー小説の翻訳で知られ、私生活の面でも破天荒な人生を送った人ですが、詩人が持ち合わせる少年のような純真な心で木々にメッセージを摑(つか)み取っていたのでしょう。
私は「木は愛とか正義とかわめかないから好きだ」という一節を読みながら、東日本大震災の被災地を訪れた時のことを思い出しました。被災地では何人もの方から「正義をかざす人ほど困ったものはない」という声を聞きました。被災地に乗り込んで一方的に放射能の恐怖などを声高に叫び続けるような人たちをたくさん見てきたというのです。正義を口走った時に生まれるのは調和ではなく、分裂や闘争心。だから「正義とわめかないでほしいと頼みたくなる」というのが被災地の方々の本音でした。
正義を振りかざす人たちを見つめながらも、木々はただ黙ってそこに立っているだけです。「その考えが正しい」とも「間違っている」とも主張するわけではありませんが、深い心でその声を感じ取っていくと、大自然の心が伝わってくるはずです。愛とも正義とも言わないけれども、それらをすべて包み込むような大きさや豊かさのようなものが感じられるのではないでしょうか。