電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

自分のための人生 《 大人どうしのつきあいができる家族——ウエイン・W・ダイアー 》

2024-06-26 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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誰でも一度は父親から先生から自分を隔てる歩みを踏み出さねばならない。誰でも孤独の辛さをいかほどか感じなければならない。……(中略)……両親とその世界から、自分の美しい幼年時代の「明るい」世界から、私は激しい戦いをせずに別れ、徐々に、ほとんど目立たぬうちに、それから遠ざかり疎遠になった。それは私を悲しませ、故郷を訪れたときにはしばしば辛い思いの時を過ごした。( ヘルマン・ヘッセ )


◆大人どうしのつきあいができる家族

『自分のための人生』〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p257 )

  どんな関係であれ、二人の人間が一つになるような関係になると、
  半人前の人間が二人寄り集まったことにしかならない。

9章 自主性と責任感を育てる
3 大人どうしのつきあいができる家族

自立することに心を傾けている家族では、それぞれが自分というものをしっかり持った人間になろうとする傾向が見られる。権威に反抗しようなどという傾向は見られない。いつも誰かにべったりとくっついていたり、いつも誰かを必要とするような面はあまりない。同様に、単に家族の一員であるという理由だけで、子供が永久に忠実であることを要求されることもない。その結果、家族の者は無理やりではなく、心から一緒にいたいという気持ちになる。

すべてを共有することを強制されるというよりは、むしろ一人ひとりのプライバシーが尊重されるような家庭では、女性は、妻や母である以上に自分自身の生活というものを持っている。

子供のためとか、子供を生きがいとして生活するよりは、みずから充実した生活の手本を子供に示している。そういう家庭の両親は自分自身の幸せが何よりも大切で、自分たちの幸せなしでは家族の幸せもあり得ないと思っている。したがって、ときどき両親だけで外出するし、いつも子供と一緒にいなければならないとは思っていない。

そういう母親は奴隷のようにはならない。自分の子供たち(特に娘)に奴隷のようになってほしくないからだ。もちろん、自分も奴隷になりたくない。いつも子供のそばにいて、何から何まで子供の要求にこたえてやらなければならないとは思っていない。

自分が充実した人生を送り、家族のために尽くし、男性と対等の立場で社会や文化に貢献していれば、自分の子供たちによりいっそう感謝することができるし、子供たちも自分に感謝するだろうと考えるのである。

このような家庭では、罪の意識にうったえたり威嚇することによって子供を親に依存させたり、親に対して責任の気持ちを抱かせるようなことはしない。子供が一人前になっても、義務感からならば、親のところへ訪ねてきてもらわなくても結構だと思っている。それに、両親は自分たちの人生を有意義に過ごすことに忙しいので、子供や孫が顔を見せ、自分たちに生きがいを与えてくれるのを座って待っているような暇はないのである。

このような親は、親たる者は子供の苦労をすべて取り除いてやるべきだ、などとは思わない。自分で苦労して、はじめて自信と自尊心を持つことができることを知っているからである。自分の子供たちからそのような貴重な経験を取り除くことなど、夢にも思わないのである。

このような親は、自分から望んで苦労しようとする子供の気持ちを健全なものだと考え、否定したりはしない。甘い親のように、一から十まで面倒をみることをせず、必要な助けだけを与える。ヘルマン・ヘッセは自立にいたるさまざまな道程について次のように書いている。

  誰でも一度は父親から先生から自分を隔てる歩みを踏み出さねばな
  らない。誰でも孤独の辛さをいかほどか感じなければならない。…
  …(中略)……両親とその世界から、自分の美しい幼年時代の「明
  るい」世界から、私は激しい戦いをせずに別れ、徐々に、ほとんど
  目立たぬうちに、それから遠ざかり疎遠になった。それは私を悲し
  ませ、故郷を訪れたときにはしばしば辛い思いの時を過ごした。
                   (『デミアン』高橋健二訳)
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