電脳筆写『 心超臨界 』

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( マハトマ・ガンジー )

般若心経 《 舎利子に入団を決意させた言葉――松原泰道 》

2024-06-26 | 03-自己・信念・努力
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アッサジは、釈尊がわが師であると告げ、その教えは、ただ「すべてのものは、縁にしたがって生じるものである。縁にしたがって生じるから、縁にしたがって滅びるものである――このように、縁起の法(真理)を師は説かれる」と伝えます。懐疑論者の舎利子は、アッサジの答えを聞いてびっくりします。それもそのはずで、当時は舎利子のように、一切に疑問を持ち続けるか、あるいは、すべてのものは神によって創られるとする学派があるだけで、縁起論の合理的で明快な発想など、それまで誰からも聞いたことがなかったからです。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p172 )
5章 色即是空 空即是色――いかに虚無感を乗り超えるか
舎利子 色不異空 空不異色
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
(1) 無情感から無常観へ
舎利子 色不異空 空不異色
しゃりし しきふいくう くうふいしき

◆舎利子に入団を決意させた言葉

さらに、舎利子をどうしても心経に登場させなければならない、大きな理由があるのです。

舎利子は、最初から釈尊の弟子であったわけではありません。彼は当時、世間を風靡(ふうび)していた懐疑(かいぎ)論の立場をとる思想家の一人でした。懐疑論は不可知論ともいい、物ごとの本質や実在の最後の根拠はわからないとして、経験を超えた問題は扱わない、また、有るとか無いとかを断定的に判断することを差し控える――立場を取ります。

舎利子は、当時有名なある懐疑派の哲学者の門に入り、生来の聡明と雄弁で、たちまち一流の懐疑論者となりました。ある日、彼は路上で、はからずも釈尊の弟子アッサジに出会います。アッサジは、釈尊の青年時代からの友人で、苦行林(くぎょうりん)で他の4人とともに苦行に励んだ仲間の一人です。

釈尊は激しい苦行を6年間にわたり実践した結果、「人生の苦悩を解脱(げだつ)するのにふさわしくない」として苦行を捨て、あらためてブッダガヤの菩提樹の下で坐禅をして、さとりを開きます。

アッサジら5人の釈尊の友は、難行を捨てた釈尊を軽蔑して、彼らだけで苦行を続けるのです。さとりをひらいた釈尊は、この5人の旧友に自分のさとりの内容を伝えようと、ブッダガヤから2百キロ余り離れた鹿野苑(ろくやおん)の苦行林に、苦行中の旧友を訪ねます。彼らは、はじめのうちは釈尊を批難しようと意気ごんでいたのですが、釈尊がさとりによって得た品性や、理をわけての説法に敬服して、ついに5人とも釈尊の弟子になるのです。この5人の友が、釈尊の最初の弟子です。その一人がアッサジです。

舎利子が、アッサジに会って得た第一印象は、アッサジの修行がよく熟して、その徳が彼の身体全体に現われているというものでした。舎利子は、心からアッサジを尊敬するとともに、この人の師はさらに立派であるにちがいないと考え、師の名と、その教えはどのようなものであるかを彼に問います。

アッサジは、釈尊がわが師であると告げ、その教えは、ただ「すべてのものは、縁にしたがって生じるものである。縁にしたがって生じるから、縁にしたがって滅びるものである――このように、縁起の法(真理)を師は説かれる」と伝えます。

懐疑論者の舎利子は、アッサジの答えを聞いてびっくりします。それもそのはずで、当時は舎利子のように、一切に疑問を持ち続けるか、あるいは、すべてのものは神によって創られるとする学派があるだけで、縁起論の合理的で明快な発想など、それまで誰からも聞いたことがなかったからです。

彼はアッサジの学ぶ縁起の法を知れば、このように落ち着いた人間になれるのかと、あらためて感歎するとともに、かれがそれまでに抱いていた疑問を解く端緒(いとぐち)を得たような気がしました。舎利子は自分から進んで親友の目犍連(もっけんれん)(目連)を誘い、つれだって釈尊の教団に入ります。二人が後に、釈尊のすぐれた弟子に教えられるようになったことは、先に記したとおりです。
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