電脳筆写『 心超臨界 』

良い話し手になるゆいつの法則がある
それは聞くことを身につけること
( クリストファー・モーレー )

若き日の体験が「シンクロニシティ」について考察する発端となる――ユング

2008-05-03 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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「ユングは知っていた」
【 コンノケンイチ、徳間書店、p18 】

ユングの母親は直感が非常に鋭い人で、また母親の両親、とくに祖母は霊能力が高いことで有名だった。だが、ユングは医者を志していたので、当然のように科学的な考え方を信奉していた。とくに若いころは、占いやオカルト的なものはほとんど信じなかった。

しかし、ユングの方向性を劇的に変えてしまう現象が起きた。23歳(1898年)の夏の日のことである。

自宅の書斎で本を読んでいたとき、母が編み物をしている部屋で不意にピストルを撃ったような、鋭く大きな音がした。驚いて部屋に駆け込むと、母親はびっくりして編み物を取り落としていた。音の原因を調べてみると、テーブルが縁から中央にかけてザックリ裂けていたのである。70年も経て枯れ切ったクルミ材でできたテーブルが、そのようにして割れるというのは、納得のいかないことだった。母親はユングに「これは何か意味があることなのだ」と言ったという。

2週間後の夕方、また奇妙な事件が起こった。食器棚の中に置いてあったパン切りナイフの刃が、突然四つに砕けたのだ。町の刃物師はそのナイフの破片を見て「鋼には何の異常もなく、自然に四つに砕けることはありえない。誰かがユングをからかっているのだろう」と言った。

その後もユング家には異常現象が続発した。こうした出来事が偶然の一致とは考えられず、ユングはそれを超自然のなせる技と考えた。このナイフの四つの断片は今もユング家の記念物として居間に飾られている。

この若き日のユングの体験は鋭い問題を彼に突きつけ、後の心理学研究を深い洞察へと導くものとなった。この当時の体験はユング自身によれば驚嘆すべきことであり、若かったユングの唯物至上主義を打ち破った。この体験が、ユング理論の基盤の一つである「シンクロニシティ」について考察する発端となったのである。

ユングは1902年の論文のなかで、次のように強調している。

「私は、当時の学問で流行していた、科学が説明できないものは全部イカサマだといいう馬鹿げた間違いを犯すことだけは絶対したくなかった」

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