電脳筆写『 心超臨界 』

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ドクター・スース

日本史 古代編 《 「歌合)」の判定に悶死した壬生忠見——渡部昇一 》

2024-09-09 | 04-歴史・文化・社会
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日本に平安時代が現れるまでは、どこの国でも女性の地位が低くて、男女で争う場などは考えられなかったのである。事実、日本では、比較的身分の低い女流歌人和泉式部(いずみしきぶ)の歌が、勅撰集に238首も入っているのに、最高権力者であり、書も歌も上手であった藤原忠通(ただみち)のものは70首ぐらいしか入っておらず、「和歌の前に平等」の原則は、まことによく守られていた。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p248 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(1) 和歌に見る文化的洗練の達成

◆「歌合(うたあわせ)」の判定に悶死(もんし)した壬生忠見(みぶのただみ)

男女を相争わせない、というのは、昔からどこの国でも、どこの民族でもやってきたことであるが、近ごろは男女共学で、入試などは男女相争うことになっている。

しかし、こういうことが始まったのは、平安時代の歌合(うたあわせ)からであったろうと思われる。日本に平安時代が現れるまでは、どこの国でも女性の地位が低くて、男女で争う場などは考えられなかったのである。事実、日本では、比較的身分の低い女流歌人和泉式部(いずみしきぶ)の歌が、勅撰集に238首も入っているのに、最高権力者であり、書も歌も上手であった藤原忠通(ただみち)のものは70首ぐらいしか入っておらず、「和歌の前に平等」の原則は、まことによく守られていた。

歌合といえば、『百人一首』の平兼盛(たいらのかねもり)の歌、

  忍(しの)ぶれど 色に出(い)でにけり わが恋は 
     ものや思ふと 人の問ふまで

と、壬生忠見(みぶのただみ)の歌、

  恋すてふ 我(わ)が名はまだき 立ちにけり
     ひと知れずこそ 思いそめしか

にまつわるエピソードなども、時代の風潮を示していて面白い。いずれも「忍(しの)ぶ恋」の歌としては、実にうまいし、調(しら)べもよい。

このときの判者(はんじゃ)は勝敗をつけかね、村上(むらかみ)天皇におうかがいすると、天皇は、ちょうど「忍ぶれど……」と口ずさまれたところであった。判者はこれで勝敗決まったと早合点(はやがてん)して、兼盛の勝ちにしてしまった。このとき、兼盛は喜びのあまり、ほかの歌合の勝負は耳にも入れず、こおどりして退出したし、忠見のほうは、この敗(ま)けに納得(なっとく)できないと悔(くや)しがり、それが原因で死んだという。エピソードとはいうが、いかにも当時の歌に対する気構え、あるいは関心の深さを示していて面白い。
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