電脳筆写『 心超臨界 』

貧困は人格をつくる教師である
( アンティファネス )

不都合な真実 《 井上ひさし氏に他人の人間性をとやかく論評する資格は微塵もない――潮匡人 》

2024-09-06 | 04-歴史・文化・社会
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井上氏には離婚歴がある。最初の妻が自著で夫(井上氏)の凄まじい家庭内暴力の実態を克明に綴っている。「本気で殺す気だったと思えるほどの暴力だった」「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、打撲は全身に及んでいた」「しばしば好子を死ぬほど打ちのめした」「部屋に入るなり引きずり回される日もあった」「机の下で首をしめられる」(西舘好子著『修羅の棲む家』はまの出版)


◆井上ひさし氏に他人の人間性をとやかく論評する資格は微塵もない――潮匡人

『日本を惑わすリベラル教徒たち』
( 潮匡人、産経新聞出版、p48 )

井上ひさし。天下に名を馳せた固有名詞だが、本名ではない。本書は、原則として「リベラルな俗物たち」の文章や発言を俎上に載せている。あくまでも論評であり。私生活にわたる個人攻撃の類は、公にかかわる議論を展開する上での必要最小限にとどめたい。ただ今回、以下の事実関係には触れておく。

井上氏には離婚歴がある。最初の妻が自著で夫(井上氏)の凄まじい家庭内暴力の実態を克明に綴っている。

「本気で殺す気だったと思えるほどの暴力だった」「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、打撲は全身に及んでいた」「しばしば好子を死ぬほど打ちのめした」「部屋に入るなり引きずり回される日もあった」「机の下で首をしめられる」(西舘好子著『修羅の棲む家』はまの出版)

紛れもない犯罪である。暴行、障害の重罪である。同書の問題は「作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした」。妻子への度重なる「言葉の暴力」も綴られている。その後、井上氏が右の事実関係を否定した形跡はない。多少なりとも、右の事実が存在するなら、井上氏に他人の人間性をとやかく論評する資格は微塵もない。

だが、なぜか井上氏への評価は高い。岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞、直木賞、日本SF大賞、谷崎潤一郎賞、菊池寛賞、朝日賞、毎日芸術賞など、あまたの賞を受けている。平成16年には文化功労者に選ばれた。宮中の園遊会にも招待され、ちゃっかり参加している。いずれ天皇陛下から文化勲章を授与されるのであろう。世も末である。

リベラルな俗物たちは、いつも前頭葉で考える。自分の思想が正しいと信じて疑うことさえしない。本気で人を愛することもない(森永卓郎氏の項参照)。もちろん国も愛さない。リベラル陣営には珍しく、井上氏は本音を明かす。

《私は、「君が代」を絶対に歌いません》(「クレスコ」2007年1月号)

《「君が代」を歌いたくないというのは、結局、今の日本、国家としての日本に、それほどのすばらしさを認めていないっていうことかもしれない。「君が代」を歌って、きもちのよくなる状況がない》(「思想の科学」1991年6月号)

ならば、革命でも起きて、彼らが気持ちよくなれる状況になれば、「君が代」を歌うのだろうか。我々が国を愛するのは、素晴らしさを認めたからではない。そこに生まれた祖国だからである。私たちが母親を愛するのは、素晴らしい人間だからではない。自分を産んだ親だからである。親が子を愛おしいと思う気持ちも同様である。むしろ、出来の悪い子ほど可愛い。そのれが自然な人間の感情であろう。私は井上氏の人間性を疑う。本書で用いる意味において、彼も「狂人」である。

リベラル陣営には珍しく、氏は党派性を隠さない。明らかに日本共産党シンパである。日本共産党中央委員会幹部会委員長であった不和哲三代議士との対談本『新 日本共産党宣言』(光文社)で以下のように告白した。

《わたしは共産党員ではありません。ただし周囲に党員が多い。父親は昭和の初めに農地解放運動で何度か検挙、逮捕されたことのある青年共産党同盟の活動家の一人でした。かみさんも党員です》

右の「かみさん」とは、再婚した二度目の妻を指している。彼女の父親も日本共産党の衆議院議員であった。

《だからといって共産党万歳かというと、そうでもないのです。父はわたしはが5歳の時に亡くなっていますから直接の記憶は薄いのですが、いつも「アカの子」呼ばわりされていじめられました。ですから、共産党には複雑な思いがあります》
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