電脳筆写『 心超臨界 』

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ダニエル・パイプス

不都合な真実 歴史編 《 アメリカは極東密約を破棄した――有馬哲夫 》

2024-07-13 | 04-歴史・文化・社会
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アメリカ議会は明確に批准を否定した。だから、ソ連は、北方四島はもちろんのこと、千島列島全体と南樺太を領有する権利も持たないことになった。日本が放棄させられた千島列島や南樺太も、ソ連に引き渡すとはしていないので、今後の話し合いによっては、日本が委任統治したり、ふたたび実行支配したりするということもありうる。事実、南樺太返還期成同盟が80年4月15日にアメリカ国務省にそのような申し入れをし、話し合いを持ったことがある。


◆極東密約はヤルタではなくモスクワで話し合われた

『歴史問題の正解』
( 有馬哲夫、新潮社 (2016/8/10)、p65 )

「アメリカ合衆国外交文書集」の「ヤルタ・マルタ会議」全体を通読してみると、意外なことに気が付く。ヤルタ会議では、極東密約はほとんど議論されていないのだ。特に日本にとって重要な項目。ドイツ敗戦の3ヶ月後にソ連が対日参戦するという項目が正面から取り上げられたことはない。千島列島をソ連に引き渡すという項目については、はっきり議論されていない。

この会議では、議題だけでなく、結論までもが事前に詰められていたばかりか、会議で議論などほとんどなされずに、結論だけが協定書に入れられたものもあった。前に述べた二つの項目がまさしくこれに該当する。では、極東密約のこれらの項目は、いつどこで決まったのだろうか。ソ連の対日参戦の項目に関していうと、前年44年(注:1944年の19は省略)の10月のモスクワ会議の時である。また、千島列島のソ連への引き渡しについては、44年12月14日の駐ソ米大使のハリマンとスターリンとの間の会談だった。


◆アメリカ議会は極東密約を破棄した

( 同、p79 )

ソ連は東京湾上の戦艦ミズーリ号で日米の終戦協定が結ばれた3日後に南千島を含む千島列島全体の占領を完了させた。だが、アメリカは、これを傍観していた。戦争が終わろうとしているときに、アメリカから見て小さな島々のことでソ連とことを構えたくなかったからだ。

しかし、冷戦が激化し、朝鮮戦争が勃発し、ヒスがソ連のスパイだという疑いが強くなってからは態度を変えた。

52年3月20日、アメリカ上院でサンフランシスコ講和条約の批准が可決されたとき、付帯決議として以下のようにこの極東密約の批准を否決した。

「上院の助言として、上院はこの条約(サンフランシスコ講和条約)の中には、日本と条約に定める連合国が南樺太やその周辺の島々、千島列島、歯舞、色丹、その他日本が1941年12月7日まで領有していた領土に関する権利や名称や利益をソ連に有利に思われるように減少させたり、誤解させたり、権利や名称や利益がソ連のものであることに合意したとみなされるものはまったくないことを明言する。また、この条約やそれについての上院の助言と同意には、1945年2月11付の日本に関するいわゆるヤルタ合意に含まれるソ連に有利な条項をアメリカ合衆国が承認したと示唆するものは何もない。」

引用文でも明らかなように、アメリカ議会は明確に批准を否定した。だから、ソ連は、北方四島はもちろんのこと、千島列島全体と南樺太を領有する権利も持たないことになった。日本が放棄させられた千島列島や南樺太も、ソ連に引き渡すとはしていないので、今後の話し合いによっては、日本が委任統治したり、ふたたび実行支配したりするということもありうる。事実、南樺太返還期成同盟が80年4月15日にアメリカ国務省にそのような申し入れをし、話し合いを持ったことがある。

とはいえ、日本人はアメリカ議会が極東密約を否決したことに感謝する必要はない。もともとこの密約は、ヒスの暗躍がなくても、あってはならない、国際信義に反するものである。

何より、アメリカは56年の日ソ国交正常化交渉で北方領土に関して日ソが合意に達しようとしていたとき、このサンフランシスコ講和条約を根拠に横槍を入れてきている。

ヤルタ極東密約を反古にしたアメリカは、これら41年12月7日まで日本領だった地域でソ連に対して領土に関する権利や名称を与えるならば、アメリカにも同じ恩恵を与えなければならないと迫ったのだ。つまり、ソ連は北方領土になんの権利も持たないとアメリカが認めたのだから、歯舞・色丹・国後・択捉の四島一括返還ではなく、歯舞・色丹二島返還で妥協を図るということは、ソ連に国後・択捉を与えたことになる。
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