電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

不都合な真実 歴史編 《 最強の大日本帝国が世界大戦にさせなかった――倉山満 》

2024-08-03 | 04-歴史・文化・社会
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何度でも強調します。なぜ、第1次欧州大戦が第1次世界大戦にならなかったのか。大日本帝国が強かったからです。世界最強の大日本帝国が、欧州大戦を世界大戦にさせなかったからです。(中略)第1次大戦の最中、日本は何をしていたか。長引く大戦でヨーロッパが疲弊する中、連合国の一員として参戦した大日本帝国は、アジアと太平洋からドイツ軍を叩き出し、カナダから地中海までの平和を守ります。


◆最強の大日本帝国が世界大戦にさせなかった

『ウッドロー・ウィルソン』
( 倉山満、PHP研究所 (2020/11/13)、p140 )

ところで、二つの世界大戦は人類史の中で最も悲惨な戦争です。死んだ人の数だけで悲惨さを語るのも如何なものかと思いますが、とにもかくにも桁違いの大量破壊となりました。では、なぜそうなったのか。2つの世界大戦が総力戦だったからです。

【通説】総力戦とは、自らの総力を出し切る戦争のことである。

日本では大正から令和に至るまで、少数の例外を除いて、こうした見解が多数派です。しかし、これが正しい定義なら、ルイ14世だって総力戦をやっています。フランスなんて破産して革命が起きるまで戦争をやり続けました。

日本人の多数派は「総動員体制」を総力戦だと勘違いしているのです。英訳すると、違いが明瞭です。総動員体制は「Total mobilization system」で、総力戦は「Total War」です。全然違います。と書いてなんですが、日本語でも単語は違いますが(苦笑)。

では総力戦とは何か。「大国どうしが相手の総力を潰すまで行う戦争」のことです。なぜそうなるのかを説明すると1冊の本になるので、小著『ウェストファリア体制――天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法』(PHP新書、2019年)をどうぞ。要点は、総力を潰されないことが大国の条件だったのに、種々の社会状況の変化(たとえば大量破壊兵器の登場)により、大国であっても総力を潰される可能性が生じたこと。そして、実際に大国のすべてが総力を挙げて戦い合うと、相手の総力を潰すまで終わらなくなったのが、2つの世界大戦なのです。

そして、ウッドロー・ウィルソンこそ、総力戦の申し子なのです。第2次世界大戦における、ヒトラー、スターリン、毛沢東、F・ルーズベルトなどは、すべてウィルソンの尻尾にすぎません。

第1次大戦は総力戦になりました。敗戦国のドイツ、オーストリアは大国でありながら総力を破壊されました。さらにトルコも総力を破壊されます。なおも悲惨なのは、戦勝国の側にいたはずのロシアも、ドイツとの戦いに耐えかねて自滅し、総力を破壊されました。しかし、それはヨーロッパの中に封じ込められました。第1次大戦は欧州大戦としては悲惨な総力戦と化しましたが、世界大戦にはなりませんでした。

何度でも強調します。なぜ、第1次欧州大戦が第1次世界大戦にならなかったのか。大日本帝国が強かったからです。世界最強の大日本帝国が、欧州大戦を世界大戦にさせなかったからです。

我々日本人は、この事実を全世界に誇って良いでしょう。そして、この歴史を認識していない自分たちを、恥じるべきでしょう。

第1次大戦の最中、日本は何をしていたか。長引く大戦でヨーロッパが疲弊する中、連合国の一員として参戦した大日本帝国は、アジアと太平洋からドイツ軍を叩き出し、カナダから地中海までの平和を守ります。

1914年8月23日、ドイツに宣戦を布告すると日本軍は山東半島へ出兵します。目的は膠州湾岸にあるドイツの租借地です。日本の海外領だった朝鮮半島とは、黄海を挟んだ対岸にあたります。ここにドイツの要塞があり、開戦当時には5千人近い守備兵が置かれていました。日英同盟の誼(よしみ)で参戦すると、イギリスの敵国であるドイツは、日本の敵国となります。ついでに言うと、その場にいたオーストリア海軍とも交戦状態となります。日本はオーストリアに何の恨みもありませんが、敵の味方は敵です。

日本軍は3万人弱の兵力を送り、9月に上陸するとドイツが経営する山東鉄道を占領します。次いで青島を囲むと、7日ほどで青島要塞を落とし、軍を駐留させました。かかった期間は全部で2カ月ほどです。瞬く間に終わってしまいました。

世界最強を誇るドイツ軍も、大日本帝国にかかれば瞬殺です。もちろん、ドイツの主力がいる訳でもないのですが、東洋の地で日本に喧嘩を売って勝てる国は存在しませんでした。唯一ありうるとしたら、ロシアが日本を裏切った時だけでしょうが、そのロシアは日露協商で事実上の同盟国です。そもそも、この頃のロシアは、ドイツとの戦いで疲弊しきりです。

苦戦する英仏露をしり目に、日本は大戦景気に沸きます。当時の日本人にとって、欧州大戦は他人事です。

イギリスはドイツの勢力を少しでも削りたいから日本の助力が欲しいけれども、ドイツを駆逐して日本の勢力が東洋で伸びるのを嫌がり、参戦要請を逡巡していました。そして自身は青島攻略戦に申し訳程度の参戦をしましたが、敵国のドイツ軍が寡兵ながら健闘したのに比し、日本軍から足手まとい扱いされてしまいました。さらに虫のいいことに、ヨーロッパ戦線への参戦まで要請してきます。完全に、切羽詰まっていました。決して致命的ではないのですが、日英の間に感情の齟齬(そご)が生じたのは事実です。

1917年2月、ドイツが無制限潜水艦戦を改めて宣言します。連合国側船舶の被害は甚大で、地中海のスエズ近海が遮断されそうになる危機に陥りました。1914年から1916年までに沈められた連合国の船舶は、すでに5百万トンに届く勢いです。

こうした状況をさすがに日本も看過できず、帝国海軍を派遣します。8隻の駆逐艦からなる、第2特務艦隊です。イギリスは「山東半島と赤道以北のドイツ領諸島は、戦後の講和会議になったら日本がどうするか決めてよい」と恩着せがましく申し出てきました。別にイギリスに言われるまでもなく、日本が自力でドイツから奪い取ったのですが。

作戦中、駆逐艦榊がドイツの潜水艦に攻撃され、日本も59人の戦死者を出しています。さすがの連合国も感謝しない訳にはいきません。
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