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不都合な真実 《 「日中戦争」か「支那事変」か――藤岡信勝 》

2024-09-13 | 04-歴史・文化・社会
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戦争の呼称には、その国の国民のアイデンティティがかかわっています。ですから、「太平洋戦争」という戦争呼称で勉強した子供と、「大東亜戦争」という呼称で勉強した子供は、当然のことながら歴史に対する構え方が違ってきます。当時の人びとの感じ方になるべく沿った言葉を使うべきです。


◆「日中戦争」か「支那事変」か

『国難の日本史』
( 藤岡信勝、ビジネス社 (2015/4/30)、p204 )

「支那事変」という言葉は、最近あまりお目にかかりません。戦争についての呼び名のことを「戦争呼称」といいます。ところがこの「戦争呼称」は、じつは歴史教育においていつも問題になるところなのです。

では、昭和初期の日本が戦った戦争の呼び名にはどんなものがあるのでしょうか。

「大東亜戦争」「太平洋戦争」「第二次世界大戦」「十五年戦争」「日華事変」「支那事変」「満州事変」「上海事変」……等々があります。

「大東亜戦争」というのは、わが国が真珠湾攻撃をしたとき(1941年)、日本政府が正式に決めた戦争呼称です。つまり、いちばん正規の呼称です。

ところが戦後、日本を占領したアメリカは1945年(昭和20年)12月15日に神道指令(しんとうしれい)を発し、そのなかで、「大東亜戦争」という呼称を禁止し、これからは「太平洋戦争」と呼ぶようにと強制してきたのです。それ以降、歴史教科書はすべて「太平洋戦争」と記述されるようになりました。要するに「太平洋戦争」というのは、押しつけられた呼称ということになります。

私どもの『新しい歴史教科書』は最初から「大東亜戦争(太平洋戦争)」と書いてきました。それが文部科学省の検定を通りましたので、現在もそのように記述されています。

そもそも先の戦争は、太平洋に限定された戦いではありません。中国大陸でも、ビルマ(現ミャンマー)などでも戦われたわけですから、「太平洋戦争」と呼ぶのは地理的にもおかしいのです。

そうした地理的おかしさがある「太平洋戦争」を避け、さらに「大東亜戦争」という正式な呼称を抹殺するため、日本の左翼の歴史学者が考え出したのが「アジア太平洋戦争」という呼び方です。こう書けば、太平洋地域ではないビルマなどもふくめて地理的にカバーできるという理屈ですが、これは恥の上塗りというものです。「太平洋戦争」というのがそもそも押しつけ言葉なのに、そこに「アジア」という言葉をつけて糊塗したとしても、本質的な問題はなにも解決しないからです。

「第二次世界大戦」というのは、これは世界規模での戦争だったことを示す呼称ですから、いいでしょう。「太平洋戦争」はそうした第二次世界大戦における東アジアを中心とした部分集合に当たるわけです。

では「十五年戦争」はどうか? これは1931年(昭和6年)の満州事変から、1945年(昭和20年)の敗戦までの中国大陸における日本と支那との戦争に関して、評論家の鶴見俊輔氏が命名した呼称です。しかし満州事変から日本の敗戦まで、14年しかありません。それにもかかわらず、「15年」というのは……「足かけ15年」だからというのです。これまたおかしな屁理屈といわざるをえません。なぜなら満州事変のあと、1933年には「塘沽停戦協定(たんくーていせんきょうてい)」が結ばれ、1937年に支那事変がはじまるまでの4年間、戦争はなかったからです。あたかも15年間まるまる戦争が継続していたかのような印象を与える「15年戦争」という呼び方は明らかに間違いだといわざるをえません。

1937年から1945年までの8年間は連続して戦争がありましたから「8年戦争」という呼び名であれば、まだ論理的ですが、「15年戦争」はまったくの誤りです。したがって、いまやこのように呼ぶ人はほとんどいなくなりました。

このように戦争呼称はいろいろモメるものですから、「あの戦争」という言い方まで登場してきました。日本語で「あの戦争」というとちょっとおかしな響きがありますが、英語では“The last war”となります。「これまで自国がかかわった戦争のなかの最後の戦争」という意味になりますから、こちらのほうはなんの問題も生じない呼称ということになります。

さて、次は「事変」という言葉について、お話しましょう。

事変にも、「北支事変」「支那事変」「上海事変」「日華事変」……等々、いろいろあります。「北支事変」というのは、1937年7月7日に起こった盧溝橋(ろこうきょう)事件のことです。日本側は最初、この事件を「北支事変」と呼んでいましたが、その年の9月、近衛(文麿(ふみまろ))内閣が正式に「支那事変」と命名しました。そして、のちの東条内閣はこの支那事変も大東亜戦争の一部に含めることにしています。

それにしても、事実上の戦争なのに、どうして「事変」というのでしょう? その説明はわれわれの教科書ではこう書いています。

  「事変」は「警察力でしずめることができない規模の事件・騒動」
  を意味し、「戦争」とは区別される。日本は、中国に対し宣戦布告
  をせず、「支那事変」とよんだ。また、アメリカには中立法があり、
  戦争中に武器の原材料を売ることはできない立て前になっていた。
  そのため、資源をアメリカからの輸入に依存する日本は「戦争」の
  呼称をさけた面もある。中国側も宣戦布告はしなかったが、支那事
  変の実態は、中国との戦争だった。

宣戦布告しないと戦争とはいえませんから、「事変」と呼んだわけです。

さて、そこで「支那事変」の「支那」という言葉です。「これはよくない言葉だから使ってはいけない」という説があります。でも、そんなことはありません。「支那」はけっして蔑称(べっしょう)ではありません。古代の「秦(しん)」という国名に由来する言葉で、唐の時代、インドで「cina」と呼ばれ、それを漢字で「支那」とかいたのがはじまりです。ですから「支那」という言葉は「秦」からきた正当な呼称なのです。

戦争の呼称には、その国の国民のアイデンティティがかかわっています。ですから、「太平洋戦争」という戦争呼称で勉強した子供と、「大東亜戦争」という呼称で勉強した子供は、当然のことながら歴史に対する構え方が違ってきます。当時の人びとの感じ方になるべく沿った言葉を使うべきです。

「日中戦争」というのはあとから命名した呼称にすぎません。

もっとも、あとからつくった言葉を使ってはけないということはありません。そんなことをいったら「明治維新」という呼称もだめになってしまいます。なぜなら、当時の人たちは「御一新(ごいっしん)」と呼びならわしていたからです。

その意味で、「日中戦争」という言葉も絶対にだめとはいえません。実際、「支那事変」という用語に統一した場合、教科書の「中国」はすべて「支那」に書き換えねばなりません。ところが「中国」という言葉はあまりに深く定着していて、それは不可能であることがわかりました。そこで2015年の教科書の改訂でも「日中戦争(支那事変)」を単元のタイトルにしました。
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