電脳筆写『 心超臨界 』

誠実な心が誠実な行動を生む
( ブリガム・ヤング )

生きるための杖ことば 《 擔雪塡河——松原泰道 》

2024-07-01 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


奈良の薬師寺の故高田好胤管長は、よく“永遠なるものを求めて 永遠に努力する人を菩薩という”と認(したた)められた。雪を担って河を埋むるのは、この菩薩の願行を言っているのだ。


◆擔雪塡河(雪(ゆき)を擔(にな)って河を塡(うず)む)――従容録(しょうようろく)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p196 )

類語に「雪を擔って古井(こせい)を埋(うず)む(擔雪埋古井)」(『祖英集』)がある。雪をかついでいって川や古井戸を埋める――と言ったら、とんでもない愚行だと嘲笑ものである。しかし、この語のねらいは“骨折り損のくたびれ儲け”の仕事の大切さを示唆する。

さらに「おれの手柄だ」との自己顕示を忘れさせ、足跡一つエゴを残さぬさわやかさをうたいあげていることばなのだ。

現代は、河川や古井を埋めるなら、土石などを投じてそれだけの成果が見えない限り無意味だとの、合理的判断が正しいとされる。しかし、人生は合理的な積み重ねの上にだけあるのではない。何らかの形で、一度は合理を超えた(不合理ではない)純粋な人間心情を体験しない限り、満足な合理的生活は出来ないのではないだろうか。

私が幼少のころ、独楽(こま)をまわして遊んでいると、父が私の傍(かたわ)らに来てつぶやいた。「独楽はいいなあ、わしも独楽のように働いて、舞い倒れで一生を終りたいなあ――」と。私は成長するにつれ、独楽の舞い倒れなど、とんでもない、労して功なしの徒労は悪徳だと信じつづけた。しかし、人間のする仕事を、同じ人間から報償や褒賞を受けることの空しさが、いつの間にか身にしみて来て、あらためて“独楽の舞い倒れ”の味をかみしめるようになった。

身近に、妻が子を愛するのを見ていても、無償の行為をしながら喜びでいっぱいなのがわかる。すると“独楽の舞い倒れ”は、深い智慧と愛の表象だとわかって来た。「擔雪塡河」こそ、大いなるいのちの慈悲とさとりの行為に外ならぬことと知らされた。

奈良の薬師寺の故高田好胤管長は、よく“永遠なるものを求めて 永遠に努力する人を菩薩という”と認(したた)められた。雪を担って河を埋むるのは、この菩薩の願行を言っているのだ。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人間学 《 ワシントン・ポス... | トップ | 般若心経 《 「色不異空」と... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事