電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

ほめること――藤原正彦

2024-03-28 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


ほめることが、子供の教育上もっとも大切とはよく言われることである。子供ばかりでなく、大学院生くらいになっても、指導教官が少しおだてただけで、みちがえるほど実力を伸ばすことがある。


◆ほめること

『父の威厳 数学者の意地』
( 藤原正彦、新潮社 (1997/06)、p109 )

ほめることが、子供の教育上もっとも大切とはよく言われることである。子供ばかりでなく、大学院生くらいになっても、指導教官が少しおだてただけで、みちがえるほど実力を伸ばすことがある。

ローゼンソールという心理学者は、あるテストを小学生のクラスで行った。そして担任の先生に、

「これは私がいま開発中のテストで、将来の学力の伸びを正確に予測するものです。先生にだけこっそり、伸びる子の名前を明かしましょう」

と何人かの名前を教えた。担任の先生はこの生徒達に内緒でその事実を伝えてしまった。1年ほど経(た)つと、担任から伸びると告げられた子供たちの学力とIQは、他の子供に比べ著しい向上を示した。実はローゼンソールは、5人に1人の割合ででたらめにこれらの生徒を選び、担任に告げたのだった。

私のようによく原稿を書く者にとっても、ほめられたりおだてられたりは重要である。ふつう原稿を仕上げた直後は、不安で一杯である。つまらぬことや、面白いが説得力に欠けることを、独りよがりに書いたり、陳腐なことをくどくど書いていたりする危険は、常に存在する。しかも書き手本人には気付きにくい。

だから書き終わるや、家族の一員に必ず読んでもらう。他人にはまだ恥ずかしくて読まれたくない。以前は父や母に依頼したものだが、いまは女房に頼むことが多い。

女房はめったなことではほめてくれない。かなり面白いと思っても。「まあ、いいんじゃない」くらいのものである。逆にけなす時は手厳しい。こちらは不安のどん底だから、大概は批判をそのまま受け入れ、文章を改める。小さな手直しですむ時はよいが、構成上の難を指摘された時などは、締め切りの過ぎた原稿を、全面的に書き直すことさえある。

原稿書きの不安など全く理解せぬ、中学1年生を頭とする3人の息子たちは、私のこの姿を見て、女房が我が家のブレインであり私が書記、と信じ込んでいる。巨人軍原選手のバッティング上の欠陥を指摘するだけなら私でもできる、と子供に言い聞かせるのだが、言い訳としか取らない。

実はこの不安は、作家であった父にもあった。母をはじめ私や妹に、ほやほやの原稿を持参することがよくあった。母はたいていの場合、くそみそにけなした。そんなことが続いたので、いつの頃からか、父は母にいっさい批評を頼まず、腹心の編集者達に頼むようになった。父はこの人達の読み手としての能力を高く買っていて、彼らの言うことは、ほとんど何でも聞き入れていたように思う。父にとって最高のほめ言葉は、「一気に読みました」であった。編集者からこの一報を電話で受けた後は、それまでの不安気な表情はどこへやら、おはこの、

「どうだ、天下の新田次郎だ参ったか」

が威勢よく口から飛び出した。

父は新人作家をほめることも、常に心がけていた。ほめることがこやしになるというのが口癖で、文学賞の選考委員をしながら、惜しくも賞を逸した者に、励ましのためと個人的に腕時計を贈ったこともあるらしい。

私も、女房の「まあ、いいんじゃない」を編集者に渡すから、「面白かった」の一報はすこぶるうれしい。どんな原稿でも全力をつくして書くだけに、達成感を伴ったこのうれしさは格別で、その日一日は幸せが続く。朝に聞いても晩酌(ばんしゃく)までうまい。

編集者からコメントを貰(もら)えない場合は、無論否定的に考える。つまらなかったのだろうと思う。多くは編集者が忙しかったり、単にそうする習慣を持っていなかっただけなのだが。

今年の初めから、山本夏彦氏の発行する『室内』に連載しているが、ここの編集者は、原稿を読むと同時に、必ず感想を述べてくれる。たいていは好意的なものだから、こちらも爽快(そうかい)な気分になり、次も頑張ろうと思う。

最近、山本夏彦氏の随筆で、原稿書きはほめ言葉で生きている、という主旨のものを読んだ。我が意を得たり、と思わず快哉(かいさい)を叫んだが、しばらくして、急に疲労を覚えた。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自然科学の歴史において、『... | トップ | 歴史を知りたくなる――藤原正彦 »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事