電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのよう
ユーモアは一瞬にして
大地と空気とあなたを洗い清めてくれる
( L・ヒューズ )

歴史を裁く愚かさ 《 坐ったままでは駄目だ――西尾幹二 》

2024-08-10 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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何度も言うが、われわれは坐ったままでは駄目なのだ。歩きながら獲得した思想にだけ価値がある。一つでも現実を動かすこと。現代において肝心要な具体的で、個別の案件を、ともあれ一つでもいい、解決すること。それが百千の饒舌駄弁に勝るのである。「新しい歴史教科書をつくる会」に私が参加した理由はここにある。藤岡信勝という一人の行動的人物に出会って、還暦を過ぎた私にはもうほとんどできないと絶望しかけていた、悪質きわまる歴史教科書の世界に新風を吹きこむ荒行に、自分も一臂(いっぴ)の力を貸すことができるかもしれないという希望と勇気が与えられた。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p49 )
第2章 なぜ私は行動に立ち上がったか
1 新しい歴史教科書の戦い

◆坐ったままでは駄目だ

世の中にはよく一般的抽象的論議を好み、現実を動かすのに役に立たないばかりか、現実とはほとんど接点さえもたない論議を積み重ねても平気でいるという人がいる。哲学ならそれでもいいが、教育学とか経済学とか法律学とかで、これでは困るだろう。

私は現実に関するテーマであれば、一般的抽象的論議よりも前に、たった一つの具体的で、個別の現実を解決することがなによりも大切だと考える。一つでもいい、現実を動かすことが緊急である。指をくわえて悪口だけを言っていても仕方がない。一歩でも前進させることが肝要だ。日本の知識人にはそのようなリアリスティックな思考力が欠けているとは、むかし田中美知太郎先生が口癖のようにおっしゃっていた。

日本の教育全体を大きな見取図で少しずつでも変えていくことは、私の力ではもう及ばない。私は『教育と自由』のなかで、いま日本の教育について考えられるかぎりの矛盾を書き、膿を出すべき病巣のあらかたを指摘したつもりだ。しかし日本の教育界は、そのとおりにはひとつも動かなかった。あまつさえ矛盾や病巣には背中を向け、第十五期中教審は予想されたとおり、やってもやらなくてもいいような、当たらず障らずのテーマを弄び、国民を白けさせている。

なにが怖いのか、文部省の言うがままに、週休二日制であるとか、六年制中高一貫校の公立化であるとか、やれば必ずマイナス効果もあるテーマを先に決めておいて、あらかじめ答えの出ている空しい討議をくりかえし、文部省の敷いてくれた座蒲団の上にお行儀良く坐っているだけである。

何度も言うが、われわれは坐ったままでは駄目なのだ。歩きながら獲得した思想にだけ価値がある。

一つでも現実を動かすこと。現代において肝心要な具体的で、個別の案件を、ともあれ一つでもいい、解決すること。それが百千の饒舌駄弁に勝るのである。

「新しい歴史教科書をつくる会」に私が参加した理由はここにある。藤岡信勝という一人の行動的人物に出会って、還暦を過ぎた私にはもうほとんどできないと絶望しかけていた、悪質きわまる歴史教科書の世界に新風を吹きこむ荒行に、自分も一臂(いっぴ)の力を貸すことができるかもしれないという希望と勇気が与えられた。

では、なぜ歴史教科書なのか?

21世紀には20世紀のような大戦争はない、と期待したい。その代わり世界では、20世紀の戦争をどう解釈するかが、国益を分ける大争点になると予想されるからである。

いまの教科書で育った日本の子供は、世界と自己との関係を測る認識の目を狂わされたまま成人してしまうだろう。

たとえばドイツは立派な国だが日本は駄目な国だというフィクション、つくられた固定観念に合わせて、一つの「物語」が世界を駆けめぐりはじめている。どこにもない日本、どこにもないドイツの「絵」がどんどん描かれている。人種感情が深く背後に伏せられているせいもある。これと戦わなければ、日本は劣悪国の位置にねじ伏せられるだけだろう。

いまの教科書で育った子供が21世紀の日本を形成していくのである。彼らに戦う力は育っていくのか。私はほとんど背筋の寒くなる思いがしている。
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