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「専門にこだわらずに――育ってほしい教養人」
【無境界主義】 加藤秀俊さんに聞く
■シニア記者がつくるこころのページ■2006.10.12 日経新聞(夕刊)
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学問の境界が増えて、
教養人がいなくなった
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東京の自宅には半地下の広い書斎がある。スライド式の書架を据え付け、蔵書は約6千冊。「もっとあったが、3分の1は大学に寄贈しました」。外の音を遮断した窓のない部屋で、社会学者の加藤秀俊さんは読書に興じていた。
学問や職業が細分化され、数多くの境界が築かれることで、失われるものがあり。だから自分は、境界を取り払った「無境界主義者」でありたいという加藤さん。その真意はどこにあるのか。
「例えば数日前からイモのことを調べています。日本人はコメの前に、イモを食べていたというのが考古学の有力な話。植物学の本を読んでいるうちに山形の芋煮会の歴史を知った。さらに東海道五十三次の丸子の宿(静岡市)は山芋のとろろ汁が名物で松尾芭蕉も句を残している。だから今は弥次喜多道中記(東海道中膝栗毛(ひざくりげ))の丸子の宿を開いたところ。こうなると何学なのか、わけがわからない」
「きっかけは書店の声でした。私の書いた本はどこに分類したらいいのか、わからないというんです。社会学か歴史学か、あるいはエッセーかってね。ならばいっそのこと内村鑑三の無教会主義ならぬ無境界主義でいこうと思い立ったわけです」
「だいたい生物学にせよ天文学にしろ、こうした分類、枠組みは勝手に人間が作り上げたもの。学問はもともとは一つで、生活や仕事、趣味、娯楽と混然一体となっていたのです。レオナルド・ダ・ビンチは何学者ですか。あるいはフランシス・ベーコンや日本の本居宣長、福沢諭吉も何学とかに絞れません。それを専門化の名目で細かく分け、境界を設けてきたのがここ50年から百年です」
「境界を設けたとたん、人間の発想は途中で止まるようになります。探求に終止符を打つ。例のイモの調査でも、食文化史では、どこのとろろがうまいかで終わり、栄養学ではカロリー計算で満足します。専門以外はわからないと自己防衛をしがちです。この結果、専門家は増えましたが、いわゆる教養人、知識人という人たちがいなくなりました。細分化もだいじだが、それだけで済ますと大きなものが見えなくなります」
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自分が面白ければそれでいい。
損得で考えたら知の楽しみはない
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「専門化は職業世界でも顕著です。商社マンなんか、昔は広く浅くで、石油も扱えば電機も担当し、中東、米国どこへでも出かけた。ところが最近は担当が狭くなり、石油一筋とか、某油田だけとか、決まったところだけ20年、30年とやり続ける人が目立つ。では羊毛取引に異動して下さいといわれたとき、できなければ商社マン失格でしょう」
「教養人というのは専門にこだわらず、どんなことにも知りたいという欲求を持つ人です。そして集積した知識をつなげて世界をつくっていく人。これは学問でも職業でも共通しています。団塊の世代を含めた今の40-50代の中には教養人が少ない。もっと学界のみならず、政界、財界に教養人が育ってほしい。茶人でもあった松永安左エ門氏(電力経営者)のような器量のある経済人にお目にかかることが無くなりました」
「なぜ40-50代の人たちに教養人が少ないか。それは戦後の新制大学の下で、教養主義とは無縁の青春を送ってきたからではないでしょうか。戦後直後までの旧制高校では先輩からよく「おもえはカントも知らんのか」といわれ、読んでいないと恥ずかしかった。しかし私が大学院で教えた団塊の世代には、中国哲学の荘子とか、文学ではゲーテとか正岡子規などの古典を読んでいない院生がたくさんいましたね」
「大学が大衆化し、昔のようにエリートの養成機関ではなくなったからかもしれませんが、もう少し考え直してほしい。かつて助手時代に、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏と昼食をともにしたことがあります。会食中、氏は中国古典の話を延々としていました。絵や書についても鑑定眼がある。五つも六つも世界を持っている。これが教養人だと思います」
「興味のあることを知る機会はたくさんあります。問題は『それを知って、どうなるのか』と問う人が多いこと。何にもならないが、そこに生きている値打ちがあります。
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古い時代とは異なる、
新しい教養があるはずだ
……………………………………
記者は駆け出しのころ、親書で手にした加藤さんの著書『取材学』が刺激になった。なかでも「ひやかしの効用」にある無駄話、雑談、無目的な情報行動。これらを「知的散歩」と名付け、多くの問題発見は「知的散歩のなかでの拾いものであったような気がする」と記述している。専門の縄張りにこだわらない無境界主義は実はこのころから、発想の底流にあった。
「ニッチ(すき間)知識というのがあります。他人が気づかないことを一生懸命になって調べる。例えば、社会人で、おでんのことだけ研究している人がいて、私はネットで偉いと励ましています。
駅弁のハシ袋を集めている人もいる。面白いのは米国の大学教授、ヘンリー・ペトロスキー氏の本です。『フォークの歯はなぜ4本になったか』や『本棚の歴史』。こうした題材は、新しい教養といえるのではないでしょうか」
「大学の大衆化が進み、従来の大学教育は変わらなければなりません。エリート養成とは異なる『大衆高等教育』が必要と思います。学生はカントを読んだが否かではない新しい次元の教養を身につける。ニッチ知識はその候補。学部など決めず、無境界で、どんなことでもいいから学生の関心にまかせ自由に研究させる。そこから世界とは何かが見えてくるはずです」
(編集委員 須貝道雄)
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加藤秀俊(かとう・ひでとし)
1930年東京生まれ。社会学者。一橋大学卒。京都大学助教授。
学習院大学教授、国際交流基金日本語国際センター所長、日本育英
会会長などを経て現在、中部大学顧問。著書に『整理学』『人間関
係論』『暮らしの世相史』『なんのための日本語』『隠居学』『世
間にまなぶ』など。
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「専門にこだわらずに――育ってほしい教養人」
【無境界主義】 加藤秀俊さんに聞く
■シニア記者がつくるこころのページ■2006.10.12 日経新聞(夕刊)
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学問の境界が増えて、
教養人がいなくなった
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東京の自宅には半地下の広い書斎がある。スライド式の書架を据え付け、蔵書は約6千冊。「もっとあったが、3分の1は大学に寄贈しました」。外の音を遮断した窓のない部屋で、社会学者の加藤秀俊さんは読書に興じていた。
学問や職業が細分化され、数多くの境界が築かれることで、失われるものがあり。だから自分は、境界を取り払った「無境界主義者」でありたいという加藤さん。その真意はどこにあるのか。
「例えば数日前からイモのことを調べています。日本人はコメの前に、イモを食べていたというのが考古学の有力な話。植物学の本を読んでいるうちに山形の芋煮会の歴史を知った。さらに東海道五十三次の丸子の宿(静岡市)は山芋のとろろ汁が名物で松尾芭蕉も句を残している。だから今は弥次喜多道中記(東海道中膝栗毛(ひざくりげ))の丸子の宿を開いたところ。こうなると何学なのか、わけがわからない」
「きっかけは書店の声でした。私の書いた本はどこに分類したらいいのか、わからないというんです。社会学か歴史学か、あるいはエッセーかってね。ならばいっそのこと内村鑑三の無教会主義ならぬ無境界主義でいこうと思い立ったわけです」
「だいたい生物学にせよ天文学にしろ、こうした分類、枠組みは勝手に人間が作り上げたもの。学問はもともとは一つで、生活や仕事、趣味、娯楽と混然一体となっていたのです。レオナルド・ダ・ビンチは何学者ですか。あるいはフランシス・ベーコンや日本の本居宣長、福沢諭吉も何学とかに絞れません。それを専門化の名目で細かく分け、境界を設けてきたのがここ50年から百年です」
「境界を設けたとたん、人間の発想は途中で止まるようになります。探求に終止符を打つ。例のイモの調査でも、食文化史では、どこのとろろがうまいかで終わり、栄養学ではカロリー計算で満足します。専門以外はわからないと自己防衛をしがちです。この結果、専門家は増えましたが、いわゆる教養人、知識人という人たちがいなくなりました。細分化もだいじだが、それだけで済ますと大きなものが見えなくなります」
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自分が面白ければそれでいい。
損得で考えたら知の楽しみはない
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「専門化は職業世界でも顕著です。商社マンなんか、昔は広く浅くで、石油も扱えば電機も担当し、中東、米国どこへでも出かけた。ところが最近は担当が狭くなり、石油一筋とか、某油田だけとか、決まったところだけ20年、30年とやり続ける人が目立つ。では羊毛取引に異動して下さいといわれたとき、できなければ商社マン失格でしょう」
「教養人というのは専門にこだわらず、どんなことにも知りたいという欲求を持つ人です。そして集積した知識をつなげて世界をつくっていく人。これは学問でも職業でも共通しています。団塊の世代を含めた今の40-50代の中には教養人が少ない。もっと学界のみならず、政界、財界に教養人が育ってほしい。茶人でもあった松永安左エ門氏(電力経営者)のような器量のある経済人にお目にかかることが無くなりました」
「なぜ40-50代の人たちに教養人が少ないか。それは戦後の新制大学の下で、教養主義とは無縁の青春を送ってきたからではないでしょうか。戦後直後までの旧制高校では先輩からよく「おもえはカントも知らんのか」といわれ、読んでいないと恥ずかしかった。しかし私が大学院で教えた団塊の世代には、中国哲学の荘子とか、文学ではゲーテとか正岡子規などの古典を読んでいない院生がたくさんいましたね」
「大学が大衆化し、昔のようにエリートの養成機関ではなくなったからかもしれませんが、もう少し考え直してほしい。かつて助手時代に、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏と昼食をともにしたことがあります。会食中、氏は中国古典の話を延々としていました。絵や書についても鑑定眼がある。五つも六つも世界を持っている。これが教養人だと思います」
「興味のあることを知る機会はたくさんあります。問題は『それを知って、どうなるのか』と問う人が多いこと。何にもならないが、そこに生きている値打ちがあります。
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古い時代とは異なる、
新しい教養があるはずだ
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記者は駆け出しのころ、親書で手にした加藤さんの著書『取材学』が刺激になった。なかでも「ひやかしの効用」にある無駄話、雑談、無目的な情報行動。これらを「知的散歩」と名付け、多くの問題発見は「知的散歩のなかでの拾いものであったような気がする」と記述している。専門の縄張りにこだわらない無境界主義は実はこのころから、発想の底流にあった。
「ニッチ(すき間)知識というのがあります。他人が気づかないことを一生懸命になって調べる。例えば、社会人で、おでんのことだけ研究している人がいて、私はネットで偉いと励ましています。
駅弁のハシ袋を集めている人もいる。面白いのは米国の大学教授、ヘンリー・ペトロスキー氏の本です。『フォークの歯はなぜ4本になったか』や『本棚の歴史』。こうした題材は、新しい教養といえるのではないでしょうか」
「大学の大衆化が進み、従来の大学教育は変わらなければなりません。エリート養成とは異なる『大衆高等教育』が必要と思います。学生はカントを読んだが否かではない新しい次元の教養を身につける。ニッチ知識はその候補。学部など決めず、無境界で、どんなことでもいいから学生の関心にまかせ自由に研究させる。そこから世界とは何かが見えてくるはずです」
(編集委員 須貝道雄)
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加藤秀俊(かとう・ひでとし)
1930年東京生まれ。社会学者。一橋大学卒。京都大学助教授。
学習院大学教授、国際交流基金日本語国際センター所長、日本育英
会会長などを経て現在、中部大学顧問。著書に『整理学』『人間関
係論』『暮らしの世相史』『なんのための日本語』『隠居学』『世
間にまなぶ』など。
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