電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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◆子曰く、禹(う)は吾れ間然(かんぜん)するなし
『現代語訳 論語』
( 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p133 )
泰伯第八(185~205)
205 子曰。禹吾無間然矣。菲飲食。而致孝乎鬼神。悪衣服。而致美乎黻冕。卑宮室。而尽力乎溝洫。禹吾無間然矣。
(訓) 子曰く、禹(う)は吾れ間然(かんぜん)するなし。飲食を菲(うす)くして、孝を鬼神に致し、衣服を悪(あし)くして、美を黻冕(ふつべん)に致す。宮室を卑(ひく)くして、力を溝洫(こうきょく)に尽す。禹は吾れ間然するなし。
(新) 子曰く、夏の禹王には文句のつけようがない。自分の食事は粗末にして、先祖の祭りは盛大にした。平常の衣服には見栄をはらぬが、朝廷における百官の礼服を美しくするために金をかけた。自分の宮室は見すぼらしいが、用水路の工事には労力を惜しまなかった。こういう禹王には文句のつけようがない。
202から205までは、堯、舜、禹から周までの政治に対する説明、ないしは頌辞であるが、内藤湖南博士の古代史研究によれば、孔子が果して堯舜禹をその歴史観の中に採用したか否かは疑問であるとされる。禹は孔子の後に出た墨子によって理想的人物とされ、堯舜は更に後に出た孟子によって更に有徳な帝王として尊崇された。して見ると以上四章のうち、周の記事を除いた外の部分は、果して孔子の言であったかどうか疑わしくなる。事によれば、書経の中の堯典が成立した頃に、同様の趣旨で、論語の中にこれらの章が竄入されたのではないかという気がする。
特に禹に対する評価が、堯舜に対するとは異なった言葉で表現されている点が注意さるべきである。すなわちそれは、間然する所なし、であって、手放しの賛美ではなく、消極的な許容の如き言葉が用いられているのである。当時はなお墨家の勢力が盛んである。儒家がこれを自家薬籠中に収めるのには、なお抵抗感があったのではあるまいか。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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◆子曰く、禹(う)は吾れ間然(かんぜん)するなし
『現代語訳 論語』
( 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p133 )
泰伯第八(185~205)
205 子曰。禹吾無間然矣。菲飲食。而致孝乎鬼神。悪衣服。而致美乎黻冕。卑宮室。而尽力乎溝洫。禹吾無間然矣。
(訓) 子曰く、禹(う)は吾れ間然(かんぜん)するなし。飲食を菲(うす)くして、孝を鬼神に致し、衣服を悪(あし)くして、美を黻冕(ふつべん)に致す。宮室を卑(ひく)くして、力を溝洫(こうきょく)に尽す。禹は吾れ間然するなし。
(新) 子曰く、夏の禹王には文句のつけようがない。自分の食事は粗末にして、先祖の祭りは盛大にした。平常の衣服には見栄をはらぬが、朝廷における百官の礼服を美しくするために金をかけた。自分の宮室は見すぼらしいが、用水路の工事には労力を惜しまなかった。こういう禹王には文句のつけようがない。
202から205までは、堯、舜、禹から周までの政治に対する説明、ないしは頌辞であるが、内藤湖南博士の古代史研究によれば、孔子が果して堯舜禹をその歴史観の中に採用したか否かは疑問であるとされる。禹は孔子の後に出た墨子によって理想的人物とされ、堯舜は更に後に出た孟子によって更に有徳な帝王として尊崇された。して見ると以上四章のうち、周の記事を除いた外の部分は、果して孔子の言であったかどうか疑わしくなる。事によれば、書経の中の堯典が成立した頃に、同様の趣旨で、論語の中にこれらの章が竄入されたのではないかという気がする。
特に禹に対する評価が、堯舜に対するとは異なった言葉で表現されている点が注意さるべきである。すなわちそれは、間然する所なし、であって、手放しの賛美ではなく、消極的な許容の如き言葉が用いられているのである。当時はなお墨家の勢力が盛んである。儒家がこれを自家薬籠中に収めるのには、なお抵抗感があったのではあるまいか。