最近のウイルスはなかなか賢くて、ちゃんと日本の地図上の区切りを理解するようだ。この原稿を書いている19日から私たちは「県をまたいで」出歩いてもいいことになった。それを今まで文字通りまともすぎるほどまともに解釈して、「川向うへは行けません」と言っていた人が現実にいたので、私は驚いてしまったことがある。 . . . 本文を読む
老年の私が、この期に及んでもまだわからないと感じていることはいくつもあるが、その一つが、実体験と書物による知識は同じに考えていいのか、という点である。それどころか全く異質なものだ、と私は考える。 . . . 本文を読む
日本が象徴としての天皇家と共にあるということは、実は非常に大きな意味があることだと私は感じている。中心が定まっていないと、物事は、不必要に大きくぶれる。社会の変えてはいけない部分には、変えないことによる強固な文化の継続があり、変わるべき部分には、常に世の中を流動させる柔らかい生命の誕生がある。 . . . 本文を読む
人生の後半に入ってくると、自分は何のために生きてきたのだろう、と話し合っていることがある。自分がそのサークルに入って喋っていることもあるし、そこにいる他人の話を、深い思い入れをもって聞いている場合もある。多くの人が「気にする」のは、自分はこの世に生まれてきて果たして意味があったのだろうか、ということだ。ことに女性は会社勤めをして、利益をあげるのに貢献したという実績もないから、結婚して子供を育てたという事実があっても、功績を自覚しにくい。 . . . 本文を読む
マラソンを走った最初の男の時代、伝えるという行為は「死ぬほど」のことであった。しかし今は最も進化した通信力で、それは指先の仕事になった。しかし、私たちは、その歴史的な本来の重みを忘れるべきではないのである。 . . . 本文を読む
誰それがどう言った、実はこうだった、という話は通俗的な興味で世間の話題になることはわかるが、通常私たちにとってむずかしいのは、嘘をつき通すことである。推理小説作家は頭がよくて、筋の伏線をよく配備し、そういえばあの犯人の影は「あの場面にもあった」と思い当たるように話を組み立てている。しかし、素人のわれわれが、ある事実をごまかすために話を作ろうとすると、大体の場合、どこかで不備を残し、すぐ尻尾を出すような言いわけしかできない。 . . . 本文を読む
哀公(あいこう)問うて曰く、いかにすれば則ち民服せん。孔子対(こた)えて曰く、直(なお)きを挙げて、これを枉(まが)れるに錯(お)けば民服せん。枉れるを挙げて、これを直きに錯けば、民服せざらん。 . . . 本文を読む