最近、「夫婦割引」に味を占めて、できるだけ予定もないような日曜日はふたりで映画を見に行ったりします。
「アバター」はあのタイタニックで世界に名を馳せたジェームス・キャメロン監督の最新作と言うことで結構話題を集め、かつ封切り5日目だというのに、岐阜の映画館では16:00~の上映にわずか数人の客しかいない状況。
かつて柳が瀬は「劇場通り」と呼ばれ、映画館がいくつもありました。
私が小さい頃には映画館の映写技師さんがうちの両親がやっている居酒屋の常連だったこともあり、切符を買わなくてもそっと入れてくれたり、誰も入れない映写室に入れてくれたりしてそれはそれはわくわくする世界だったのですが、その名もいまや、錆びついた感があり寂しいかぎりです。
それでも、映画は「2012」に続いて、チョー面白かった!
「2012」と同じく2時間半を超える大作でしたが、こちらも負けず劣らず最初から最後まで何も飽きさせるところはありませんでした。
とにかく驚いたのがやはりCG!
一体どうやってこんなにリアルで自然に、だけども絶対に現実ではありえない、っていう風景などを作り出しているのか、考えられない!
この映画は3Dでも観られるのですが、それを上映している映画館は岐阜では限られていて、私たちは普通のでま、いいか、と近くの映画館に入ったのですが、このCGの素晴らしさにどうしても3Dの映像が見たくなってしまいました。
お手軽に近場で済ませたことをちょっぴり後悔したことでした。
テーマ自体は意外に単純なものです。
文明をふりかざすばかりの人間よ、おごりを知れ、と言ったところでしょうか。
ジェームス・キャメロン監督って結構エンターテインメントのためにわざとなのか、わっかりやすい「勧善懲悪」が好きみたいな気がするのですが、この映画でもそんな感じがしました。
だから繊細で複雑な人間の心情が織り成す綾みたいな映画が好きな方には反発を感じさせるのかもしれませんが、私はこういうのも好きなので十分に楽しめました。
簡単にシチュエーションを言ってしまえば、地球を捨てて他の星に生きる道を求め始めた人間が、その星の資源に目がくらみすでにいた先住民を追い出そうとするのですが、最後には科学兵器を駆使した人間達の方が負ける、というものです。
こういってしまうと、「あ、わかった、わかった。例えばネイティブアメリカンのインディアンを新天地を求めてきた現代風のやつらが滅ぼそうとする、って感じ?」と言われるかもしれません。そういうことなのですが、それが「パンドラ」という仮想の星に、尻尾があり3メートルほどの大柄の、皮膚も青い色をした人間、というとむしろ原住民、というより宇宙人ぽい感じを思い浮かべる方の方が多いでしょう。
ここがジェームス・キャメロン監督のうまいなぁ、と思うところなんですが、では、テーマ的には同じことではないか、ということで先述のインディアンVS現代人というシチュエーションにしたら、この映画はヒットしたか、というと古臭く感じるだけでまったくヒットなんてしなかったでしょう。
けれど、CGを駆使したありえない美しい星を描いたことにより、とても新鮮なものに感じるのです。
恐ろしいな、と思ったのは、そのほうがなじみのあるわれらが祖先のようなシチュエーションよりもむしろ感情移入しやすい、という点です。
この発見に、そのとおりに感情移入し、感動している私自身が驚きました。
例えばこんなところがあります。
先住民であるナヴィたちには聖なる場所があって、そこには光る垂れた枝をもった大木があります。
彼らはそこで先祖の声を聞くのですが、実際に人間たちが科学を使って調査をしたときにもその場所にはとてつもない磁場が起こり、計測不能で「何かがある」としかわからないのです。
のちにナヴィ側の立場になる科学者がその大木のことを「彼らは根っこと根っこがつながってとてつもないネットワークを駆使している。その力は2乗になり、12乗になり、計り知れない人間の頭脳など問題外の生命体となっているのよ。だからあの木を切り倒そうなんてしたらだめだわ!」と言う場面があります。
これとて、元々日本人は「神木」といったり、木には何かしらの神がかりなものが宿っている、というのを素直に受け入れることの出来る国民性があると思います。
よく各地で昔からあった大木を移設したり、切り倒したらたたりが起こったなんて伝奇もありますよね。
でもそういわれると、「そんあぁ、古い、古い。何の根拠もないことじゃない。」と一笑に付したりするのですが、こういった科学的なこととファンタジーなことが入り混じったような映画でそういわれると「そうよね。」とあらためて素直にうなずいてしまいたくなるのです。
私なんて単純なものですから、本当に我々の寿命よりはるかに長生きしている樹木は、根っこどうしでシナプスのようにつながりあい、何か彼らだけが交信できるテレパシーのようなものを発信したり受け取ったりしているのかもしれない、という気になってしまいました。
それから、空とぶ恐竜のような動物を手なづけてその背中に乗り、自家用ジェットのようにナヴィの戦士たちは使うのですが、どうやって手なづけるかというと、
「心で選べ」と言うのです。
そして、彼らの角のような部分と自分たちの長い髪を合わせてその1本1本の先端のアンテナのようなところを交信させるようにすることを「絆を結ぶ」というのです。
こういったこと1つ1つが現代風のCGを駆使したなかで言われると新鮮で心に沁みました。
そして、ふと思いました。
文明が極端に進む世界がエコだの自然回帰だの言い出すのは、どこかで文明が進みすぎることへの警告を感じて、その反動で反対のものの良さを急に説いたりするわけではなくて、科学を突き詰めると本当にその先にあるものが太古の昔から我々の祖先がごく自然にやっていたようなことであり、だからそういったものを新鮮に感じるようにわたしたちのDNAにはプログラミングされているのではない、と。
もっと簡単に言えば、この世は1直線に進化(あるいは破壊?)に向かって進んでいるのではなく、メビウスの輪のように次元を変えながら地点としては同じ位置に戻ってきたりしながら進んでいるのではないか、と。
例えば、これから地球が2000年ほどたったときにひょいと「アバター」のフィルムが見つかった、とする。
2000年後の人類はこのフィルムを見て、驚愕するでしょう。
2000年前の人類はすでにこんなことを考え、それを映像化するこんな技術をもっていたのか!と。
でも、今の私たちにとってみれば、一朝一夕にできたものなんて何もなく、それは不思議でもなんでもない。
当たり前の昨日までの積み上げの結果として今日があるだけではないかと思っている。
人類の歴史ってそんなことの繰り返しなのかもしれないな、なんてふとそんなことを思いました。
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