ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

宗教でなぜいけない?

2015-09-08 09:07:04 | 宗教
********************************

    「色」に興味がある方、
    「色のメッセージ」に興味がある方、
    「自分が今どんな状態であるかを色によって知ること」に
    興味がある方、

          ご連絡ください。
       chakra@aura-soma.name  
オーラソーマの本コースとは別にそんな方のためのコースメニュー
  ご用意があります。

  ☆色が語るメッセージ
   ☆人類に共通する色のメッセージ、民族に共通する色のメッセージ
    個人に由来する色のメッセージなど
   ☆色の歴史と日常のなかに見られる色のメッセージ
   ☆自分に似合う色、自分をより輝かせて見せる色とは?
   ☆インテリアでコーディネイトする色
   ☆色で健康になる
   ☆色で自分の今の状態を知るには?
           etc.

********************************



今、私は自分が何かの宗教に帰依しようとうろうろしているところだとか、宗教とはなんぞや?ということを突き詰めて考えるポイント地点にきているのだ、とは思っていません。
しかし、どうして「宗教ってなんだろう?」ということを考えさせられるようなことが次々に起こるのだろうと不思議に思います。
あえて言えば、私自身が今人生の大きな岐路に立っているとは思っていて、そのことで身動きがとれないような思い、迷いを感じていて、その迷いを断ち切るためには宗教でも何でもいいのだけれど何かしら指針が欲しいと思っているところがあるからかもしれません。
それが外側の現象となって反映されるのでしょう。



今回私は「道徳会館」のセミナーに参加して、宗教についてすごく考えさせられました。
そして昨日も書きましたが、私の中での宗教とはなんぞや?という結論は特にありません。
そりゃあ世の中にはゴマンと宗教団体があり、学者もゴマンとおり、それらの人たちが「宗教とは」という定義をその数だけ書いておられるので、結論なんてあるわけはありませんよね。
しかしこれだけは強く感じたというのは、「我々が宗旨しているこの宗教だけが唯一無二のものだ。だからあなたはこれさえやっていれば他には目を向ける必要がない。」というようなことを言われたりするのが、私はすごく嫌いだという感覚だけは持ちました。



それは残念ながらこの「道徳会館」にもほんの少しではありますが、感じたのです。
最初にお断りしておきますが、「道徳会館」の方たちはどなたも嫌味のないすごく良い方ばかりです。
押しつけがましく、「私たちがやっていることだけが1番よ!」という態度を示されたわけではありません。
それは私の中の問題に過ぎない、ということが今帰ってきてからはわかります。
しかし、セミナーに参加していた3日間では「え? どういうこと? その発言って・・」と引っかかることは多々ありました。
このブログは私を誘ってくださったその「道徳会館」の方の中でも読んでくださっている方がいらっしゃることを承知しているので、私が引っかかった部分のことを逐一書くことは単なる批判ではないか、あの人ってセミナーの場では何にも云わずにニコニコしていたくせにブログではこんなに赤裸々に引っかかったこともあった、と書くのか! と嫌な思いをされるかもしれないなということはわかるので、書くのはどうしようかな・・と迷う気持ちもありました。
しかし先述しましたように「道徳会館」の人たちはすべを受け容れてくれる方たちだ、と思えるのであえて書こうと思います。
「私は今でこそ、せっせと功徳を積もうと求道をしているけれども、最初にここを知ったときにはまだ何か怪しいと思っていたのよ。」とか、
「求道はしたものの、長い間なんにもしないし、何も変わらない自分がいたのよ。」とか、
「ちょっと距離を置きながら付き合っていこうと思っていたわ。」などおっしゃる方が多々いらっしゃったということも、今日こうしてそのことについて書こうとする私を後押ししてくれています。
何にもつまずかずに一直線に進む人もいらっしゃいましょうが、ゴツゴツとそれまでの自分の価値観や何かと照らし合わせながらぶつかって進む人間のほうがその一歩は強固なものなのだ、と思ってもらえればいいかなと思って。
だから私がこの3日間で感じたことはその時点ではさもありなん、うんうんそういうこともあるだろう、という程度の気持ちで読んでいただければいいかな、と思いました。



エクスキューズ的な前置きが長くなってしまいました。
さて、私はこの3日間で、いかに一般的に人々が“宗教”というだけで「怪しい!」「恐いものだ!」「そこに引きずり込まれないように気をつけなくちゃ!」と身を固くされるものなのか、ということを知りました。
「葬式仏教」と言われる日本の仏教くらいは別として。
これはやはり日本を揺るがした「オウム真理教」の事件がいまだに日本人の心に宗教というものの形を歪めてしまったということももちろん言えるでしょう。
しかし、それだけですべての宗教を最初から「怪しいと思ったほうがまず間違いない」という態度で身構えてしまうんでしょうか?
それともちょっと親しむようになるとすぐに「この壺を1000万円で買え」とでも言われ断り切れずにしまいには身ぐるみはがれてしまうぞ、という恐れがあるのかな?
私自身は“宗教”についてはどんなものであれ、先入観を何も持たない気持ちで接することができるので、まずそれが不思議でしかたがありませんでした。
その教義を聞いて自分には合わない、関係ないと思ったら、それから断ればいいし、ぐらいの気持ちなんです。
「宗教」の一言だけで「あぁ、それならもう結構」とばかりにシッシッと追いやるような気持はありません。
けれどこの「道徳会館」に来て、グループごとに分かれてシェアするようなときにもやたらいろんな方が、
「これは宗教じゃないからいいと思った。」とか、
「宗教だ、って言われてたら、ちょっと・・ねぇ・・・私は最初からお断りしていたと思う。」とか、その前提自体はほら、あなたもわかるでしょ的に言われるのを不思議な気持ちで聞いていました。
心の中で、(いいえ、私は別にこれが宗教なのかどうなのかというところには全くどちらでもいいんですけれども)と思っていました。
大切なことはその中身であって、それに貼られるレッテルのことではないと思うし。
私はオーラソーマでさえ、宗教だと言われたり、思われたりするのであればそれでいいと思っているくらいです。
「宗教じゃないよ! 占いじゃないよ!」と声を張り上げて否定するつもりはありません。
そんなことしたら、宗教や占いのジャンルの方に申し訳ないとさえ思います。



だからこの「道徳会館」の方たちがこぞって「私たちがやっている“道”というものは宗教じゃないからね。」と何度も何度も念を押されることがわかりませんでした。
今でもわかりません。(ただ今は、私自身がその部分に妙にこだわってしまうのは私自身の問題なだけだ、ということはわかりました。)
“道”の大切さ、宗教よりさらに大元のものなんだよ、と言いたいのはよくわかります。
けれどそれを説明するためにわざわざ一度宗教を持ち出してきて「宗教じゃない」と区分することがどうしてそれほどに大切なことなのか・・
それは今回私にとってすごく大きな気付きであった、「この世は相対ではない。相対ですべてをジャッジしていこうとすると無理があるし、自分が苦しくなる。」ということからも外れることではないのか?
そんな良いことを教えて下さりながら、自分たちのやっていることが「宗教か宗教じゃないのか」という二律背反のジャッジをすごく強調するというのは矛盾しやしないか、という思いが膨れ上がって行きました。



そもそもこの「道徳会館」というものは宗教団体です。
でもそのことも皆さん判で押したかのように、
「税金対策上、登録上は宗教団体となっているけれども私たちがやっていることは宗教じゃないから」と何かまるで裏事情を説明するかのように、少し申し訳なさそうにおっしゃいます。
このときにも思っていました。
「宗教団体で登録しているなら、堂々と宗教は宗教なんですよ、でいいじゃないの?」と。
ただ、やっている内容が私たちは「宗教」とは呼んでいません。「道」なんですよ、という説明でいいんじゃないのか、と思ったわけです。



私は自分がその昔20代のころ、大手小売業に勤めていた頃のことを懐かしく思い出しました。
当時、「スーパー」では古臭くてもう大衆に受け容れられないだろう、と新たにちょっとセンスのある業態を模索していたときでした。
けれど、法律的に「業種」のくくりでは「スーパー」か、さもなくば「百貨店」かしかありえないのです。
だから業者説明会などでどれだけ一生懸命説明しても、「百貨店じゃないならおまえたちのやっていることはスーパーだろ。」と言われてしまうと、うっと詰まってしまい、なんだか自分のやっていることが報われていないような気持ちになりました。
いま、それらの業態が世間でどう呼ばれるようになったかというと「ショッピングセンター」とか「モール」という呼ばれ方です。
私が20代のころにも「ショッピングセンター」という言い方はもちろんありましたが、イメージとしてそう呼ぶとそれはアメリカ的なもの、という感じでした。
「モール」という言葉はありませんでしたね。
このように、自分たちが躍起にならずとも、自然に世間がその実態を把握してそれにふさわしい名前をつけてくれるようになります。
逆に言えば、世間一般が自然に認めるような名前にならなければ、それは嘘だと思います。
だから私は、今のところこの「道徳会館」はやっぱり宗教なんだ、と思います。
そしてそれでいいんだ、別に自分たちは宗教とは違うんだ、ということをそうそう強調しなくてもいいのに、と思います。
強調すればするほど、宗教をさもいけないこと、下に見ているような印象が伝わってきてあまり気分がよくありません。
特に私のように別に宗教というだけで身をすくめるような気持ちにならない者にとっては。



また長くなってしまいましたね。
なかなか書きたいことに到達できませんが、どうして私がその思いが余計に膨らんで行ったのか、ということについてはまた明日続きを書こうと思います。
明日もよろしくね。





<新メニュー登場!>オーラソーマ&魂の解放ワーク ――――――――――――――――――――――――――――――――――
オーラソーマセッション 70分+ 魂の解放ワーク 30分 =100分  
    ☆ボトルなし   →   ¥ 9800                
    ☆ボトルあり(50ml)→ ¥12800


オーラソーマのセッションと表現アートセラピーでのヒーリングを組み合わせた些々羅オリジナルのセラピーです。

オーラソーマでボトルを選びセッションで明らかになった今の自分のテーマについて、魂の解放ワークでさらにそれを掘り下げます。

★「魂の解放ワーク」とは?
  パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
 たとえば・・
*自分の記憶につながる香りを作る。
*ゲシュタルト療法における「椅子のワーク」を行う。
*童心にかえって楽器をかきならす
*瞑想する。
*絵を描く。
*自分の感情、気分、これまでの人生を体で表現する。


※クライアント様がワークを指定することはできません。
 こちらで最善と思われるワークを選択、構築させていただきます。

 リピート特典あり (※3か月以内に2回目を受けられる方は¥1000OFF)
   ¥9800 → ¥8800
   ¥12800 → ¥11800
***********************************

*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************










最新の画像もっと見る

コメントを投稿