ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

映画「アルキメデスの大戦」を観て(ネタバレあり)

2019-08-22 09:01:59 | 映画
<neW 告知!>

    1か月以内に
      「太陽の自分エクササイズ 凝縮ヴァージョン」
                          をリリースします!

  「太陽の自分エクササイズ」はこちら→

   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、凝縮版は徹底的に自己受容について深く落とし込みます。
   

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000
8/26(月)  10:00~15:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/11(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/14(土)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************

 



続けて映画の話題です。
お盆はもともと遠出などの出掛ける予定はなかったけど、ちょうど台風が通過するときにも当たったので、余計にこもり気味となり、映画三昧の日々となりました。



観てきたのは「アルキメデスの大戦」。
よかったです。
私は戦争映画って好きじゃないんですけれど、これは冒頭にちらっと戦闘シーンがあるくらいで、あとはひたすら数学を使った頭脳戦を描いたものです。
なんか時代設定が現代じゃないだけで、ノリとしては池井戸潤的な弱い者が体制にたてつき勝利するというような映画でした。
いつもように一応「映画.com」のあらすじをご紹介いたします。
『戦艦大和の建造をめぐるさまざまな謀略を描いた三田紀房による同名マンガを、菅田将暉主演、「ALWAYS 三丁目の夕日」「永遠の0」の山崎貴監督のメガホンで実写映画化。日本と欧米の対立が激化する昭和8年、日本帝国海軍上層部は巨大戦艦・大和の建造計画に大きな期待を寄せていたが、海軍少将・山本五十六はその計画に待ったをかけた。山本は代替案を提案するも、上層部は世界に誇示する大きさを誇る大和の建造を支持していた。山本は大和の建造にかかる莫大な費用を算出し、大和建造計画の裏に隠された不正を暴くべく、天才数学者・櫂直を海軍に招き入れる。数学的能力、そして持ち前の度胸を活かし、大和の試算を行っていく櫂の前に帝国海軍の大きな壁が立ちはだかる。菅田が櫂役、舘ひろしが山本五十六役を演じるほか、浜辺美波、柄本佑、笑福亭鶴瓶らが顔をそろえる。』



さて、そして今日はネタバレ満載です。
この映画にとって何を明らかにすることがネタバレになるのかよくわからないのですが、航空母艦を作りたい派と戦艦を作りたい派のさて最終的にどちらが軍の最高会議で勝ったのか? ということだとしたら、そんなことはこの映画の出来に対してどうってことないなぁ、それをバラしたからといって何にもこの映画に対する興味を失わせるものではないよなぁ、と私が勝手に判断するからです。



今回、私がこの映画のテーマとして私自身に迫ってきたものは、「真実とは何か」ということでした。
真実は1つだけ、という言い方があります。
もしそうだとしてもその解釈は無限に近いほどあるよね、と捉えることもできるし、解釈という個人がひねくり回したという問題ではなくてもどの側面から光を当てて見るかによっても違ってくるよね、という言い方も出来るかと思います。
ひとりひとりの立場によって違う顔を見せる真実・・・。
あるいはひとりひとりが自分を捨てて「国のため」と強く思いこんで「これこそが真実だ」と思っているものはやはりパワーが強いので戦争という極限の状態のなかではある意味タチが悪いよなぁ、と思ったり。
いろんなことを考えさせてくれました。



さて、主人公の櫂は帝国大学の数学科をある事情によって追われた100年に一度現れるかどうかという天才数学者。
アメリカの大学に留学することによって輝かしい数学者としての未来を取り戻そうとする櫂を「航空母艦派」の山本五十六が引き止めます。
引き止める山本五十六の櫂に対する殺し文句は、
「平山戦艦(大和のこと)の建造費にかかわる不正を暴かないと日本は戦争になるぞ」
というものでした。
日本を戦争なぞに導いてしまってはいけない、と思った櫂は自らの進学をあきらめ不正を暴くことに没頭するのです。



しかし、物語も終わりの頃にわかることなのですが、山本五十六の発言は嘘でした。
嘘だ、というかすべて真実を話していないというか・・。
山本五十六が「平山戦艦の建造費にかかわる不正を暴かないと日本は戦争に突入していってしまう」と思ったこと自体に偽りはないのですが、ではその不正を暴いて戦艦を作らずに自らの提案する航空母艦を作る案に閣議決定すれば、日本は戦争に走らないというのか、といえば山本五十六自身、そんな風には思っていなかったのです。
やはり戦艦を作らず航空母艦を作ったとて同じことで、日本は戦争には突入する。
けれども、航空母艦で闘えば、最初の1~2年はなんとかもつだろう。
その優位に立った状況のなかで講和条約を結ぶように持っていく、というのが山本の目論見でした。
まず、これが山本五十六の日本のため、と思った真実ということになりますね。
彼はこの自分自身の正義のためなら櫂を多少騙したような言い方で抱き込んだことなぞ、なんとも思ってやしなかったのです。



そしてもう1人、衝撃的だったのが、戦艦を作る案を出した平山造船中将。
彼は会議で櫂に「どうだ!」とばかりに数式で自らの建造費がねつ造であったことをこてんぱんに叩かれました。
するとそれまで黙っていた平山がようやく口を開いたかと思うとこう述べたのです。
「ねつ造を認めます。(約1億8000万かかる建造費を8900万と見積もって出していた。この金額は現代の金額に直したら1800億円のことらしいです) しかし、これはあえてしたことなのです。建造費は国外にも漏れます。そうしたら列強たちは日本がもし1億8000万の戦艦を作ったと知ったらどうするでしょう? 分析し、どんな船の中身なのかをあらいざらし予測し、そして自分たちもそれ以上の大きな戦艦を作って対抗しようとすることでしょう。そんなことをされたらせっかく世界一を謳い、戦勝の気分の国民の覇気にも影響が出ます。敵をあざむくにはまず味方から。だから私は8900万とあえて低く言ったのです」
と開き直ったのでした。
これにより「よく言った!」「立派!」と讃えられる始末。
いやいや、日本という国にそもそもそんな予算があるの? 使えるお金があるの? というところはぶっ飛んじゃっているところがスゴイなんですが・・。



そのようにして、結局は予算が下のほうの案を採用する、と大臣は言っていたにもかかわらず平山戦艦の案が勝ってしまい、その平山造船中将が櫂を自らの設計所に呼び、20分の1の戦艦の模型を見せながら、
「キミの数式を教えてくれたまえ」
と迫るシーンではこんなことを言います。
「はぁ? 教えるわけないでしょう。あの数式でようやくあなたに勝ったのだから」
という櫂に対して、
「私はねぇ、キミと僕はまったく同類の人間だと思っているんだよ。仮に日本がアメリカと戦争になったとしたらあまりの国力の違いで日本が勝てるわけなんかない、と思っている。
では、どうしてそんな私が大きな戦艦を作る、と息巻いているかと言ったらだね、
日本人というのは負けることに慣れていない国民だからだよ。(当時日本は日露戦争に勝ち、戦勝気分に湧いていました) 負け方、謝り方をしらない。こういう国民は最後の1人になるまでムダだとわかっていても戦おうとする。国民をそんな目に遭わせるのはしのびない。
しかし、そこにもし日本国の象徴であるような戦艦が撃沈した、というニュースが流れたらどうだろう? 日本人の魂の象徴であるような戦艦が沈没したら・・? さすがにこれは負けたな、と認めざるを得なくなるだろうし、その絶望感から初めて日本人は立ち上がることができるのではないだろうか。私はそう考えているんだよ。
だからもうこの戦艦の名前も考えてある。大和だ。」
そう言ったあと、平山は、
「キミ、数式を教えてくれるね?」
と櫂に再び迫るのでした。



勝つためではなく日本人が負けることによってその絶望を味わうことによってしかホントウの意味では立ち上がることができないだろうから、負けの象徴として大和を作りたかった、ということであれば、なんとまぁ、ひねった作戦だこと! と言わざるを得ません。
一瞬、平山の考えは間違っているかもしれないけれども、彼は彼で深く考えていたのか、と瞠目しそうになります。



この映画の登場人物は誰もが将来の日本を思って、という点では同じです。
しかしそこに行きつくまでの策略はみな違う。
真実はひとつ、日本国民の幸せ、平穏、というと聞こえはいいですが、ほうっておいては否が応にも日本という国は戦争に突入しようとしている・・ ならば!と打とうとする手、それも真実と呼ぶならばそれが皆全員が違う。
いくら選択の権利は人間に与えられたものだ、といってもこうも真実に向かおうとするプロセスが皆違うのはどうしてだろう・・
物語というものはどうしても「主人公」に肩入れして見がちですが、ひょっとしたら「何がなんでも戦争に突入することだけは避けなくてはいけない」と戦艦大和の建造費を数学から暴こうとした櫂とて、自らに与えられた能力を思う存分に発揮しただけのことであって、そういう点では山本五十六も平山造船中将もみな同じことではないか、と思ったり。
「真実」の在り方、追い求め方について考えさせられた映画だったのでした。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿