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ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

迷い道、分かれ道

2006-12-27 14:21:28 | つぶやき

またこの季節がやってきた・・・。実を言うと倒れてから毎年この時期になると、私は気持ちがブルーになる。と言うか落ち込む・・・。2001年12月30日。この病気で倒れた日である。毎年、クリスマスの時期から暮れにかけて、心の中に鉛の塊がつかえてるような気持ちになる。あの年の今頃は、元気に出張に飛び回っていたなぁ!とか、色々な事が思い出されるのと同時に、あの時もっと健康に留意しとけば・・・とか、倒れて病院に運ばれたときの記憶が呼び戻されるのである。後遺症?なのかそれ以来、救急車のサイレンには敏感になってしまって、我が家から2㌔近く離れた所にある消防署の救急車のサイレンが聴こえる様になってしまった。勿論、我が家の他の人は気づかない。近くになって始めて気がつくのである。早くこの時期が過ぎてほしい。紅白の北島三郎先生が見れればいい。(私は北島三郎先生の大ファンである。(笑))

さて、TVでモンゴルの大草原を放映していた。遥か彼方にぽつんとある家。それも、時期によって移動する。GPSなど有る訳もなく、昼までさえ見つけるのが大変なのに、夜はどうするのだろうと思っていたら、現地の方が『闇夜に草原で道に迷ったとしても、雲間から少しでも星が見えれば、それを頼りに方角を知り、遭難から逃れる事ができる。』と言っていた。大袈裟かもしれないが『人生という草原』でも、星が見えず、行くべき道がわからない夜もある。困難に直面した時に『~するしかない』と自分を追い込んでしまうか、それとも『~することもできる』と別の道を探せるか・・・。まさに『雲間の星』は『希望』であり『目標』であると私は思っている。希望や目標を見失わない限り、心に『ゆとり』『余裕』が生まれて困難に直面した時に、一喜一憂したり振り回される事が少なくて済むのではないかと・・・。希望や目標に対する一念が強ければ強いほど・・・。こんなことを書いている私も、常に気持ちは揺れている。でも、揺れが収まり始めたときに目指す中心軸(目標)さえぶれてなければ大丈夫だと思っているし、それが、私を何とかこの病気と前向きに取り組まさせてくれてるのかもしれない。


石炭とダイアモンド

2006-12-24 13:47:49 | つぶやき

朝の身体のツッパリが辛い・・・。臀筋から始まって身体がねじれるように筋肉が勝手に突っ張る。今朝は思わず涙が出た。去年はこんな事はなかったのに・・・。きっと、身体の中に何か好い事が広がっているのだろうと、自分に言い聞かせている。

さて、今日はクリスマスイブ。頑張っている皆さんに、昔聞いたお話をプレゼント!(プレゼントになるかなぁ?(笑))それは私が高校生の頃、ホームルームの時間に担任の教師から聞いた話です。『お前ら、石炭もダイアも同じ炭素で出来ているが、何が石炭とダイアの分かれ目になっているか判るか!』といきなり話し始めた。生徒は何を言い出すのか?と黙っていたら『ダイアは地中深くにいて、物凄い高熱や圧力に耐え切ったものがダイアになって、耐えられなかった物は石炭になる。判ったかぁ!』ときた。続けて『お前らは石炭にもならない石炭のくずだぁ!』言ってる事は判る。色々な困難に耐え抜いたものだけが光り輝く人生を送る事ができる。でも先生、『石炭の屑』はないでしょう!とその時、思ったことを今でも覚えている。更に教師は続けた『ダイアは何を使って磨くか知ってるか?ダイアはダイアで磨くんだ。例えお前達がダイアの原石であったとしても、ダイアで磨かなきゃ光り輝く事はできないんだよ!』私はその時思った。たとえ私がダイアの原石でもこの先生じゃ原石で終わっちまうな・・・と(笑)

何でこんな話を?と思われた方がいるかもしれません。正解です。私は、ブログを始めて色々な方に出会いました。皆さん物凄く頑張っていて、私も元気を分けて頂いています。私にとって、皆さんは私を磨いてくれるダイアモンドなのです。(私は石炭の屑かもしれませんが・・・。)少し早いかもしれませんが、今年一年、こんな私を磨いてくださった皆さんに感謝を込めて、そして今、同じように病気や色々な困難に立ち向かい頑張っている皆さんにエール送りたいと思って、支離滅裂になりましたが書かせていただきました。一緒にダイアモンドになりたくて・・・。


夢という言葉

2006-12-21 15:51:08 | つぶやき

今日は恒例の『木曜リハ』例のご婦人から『私の彼氏なの』と他の患者さんい紹介された。(中々、まんざらでも・・・(笑))スタッフの方から『左足はかなり上がるようになったから、次回からマットをもう一枚追加しましょう。』と言われ、『豚もおだてりゃ』の私は、また頑張っちゃうのである。でも、やはり嬉しい。いくつになっても褒められるのは(^^ゞ

さて、先日の松坂選手のレッドソックスへの入団会見で、松坂選手が『夢と言う言葉は嫌いです。何故なら叶わないのが夢だから。』と言っていた。その言葉に『うん?』と思ったし、TVのコメンテーターの『さすが松坂選手!言う事が違いますねぇ』にも『うん?』と思った。私は『夢を見るな、夢を持て』と若い人に言ってきた。『松坂選手みたいになりたいなぁ』と思っているうちは『夢を見てる』時期で『松坂選手のようになる』が『夢を持つ』と言う事である。九重親方が現役時代に『夢を持って精進すれば、例え自分の望む所にいけなくても、その近くまではいける』と言っていた。『夢を持つと言う事は希望に通じる』と私は思っている。希望の光が心に灯れば、自然とやる気、生命力、活力が湧いてくる。『希望に日程や具体的な実現方法』と『絶対に成し遂げる』と言う強い意思が加味されてこそ、初めて真の目標になるのだと思っている。『松坂選手のようになる』と言う目標を掲げても、冷静な自己分析、冷静な目標達成までの日程などに裏付けされたものでなければ、単に夢を見ている状態と変わらないと思っている。私が、松坂選手の話に『うん?』と思ったのは、夢を見る⇒夢を持つ⇒目標⇒目標の実現と流れがあるのではないか?と思ったからで、その内の一つでも否定すれば目標は実現できないのでは?と思ったからで、私自身、『あの人達みたいに歩けたらなぁ』から始まって『あの人達みたいに歩きたい』『あの人達みたいに絶対に歩く』に意識が変わり、目標実現の為に今の自分の状態を冷静に受け入れ、実現の為に今出来ることは何か?から始めてきた。ここまで読まれて気づかれた方もいると思いますが、この裏には意識の変化が重要なファクターとして作用しています。松坂選手もきっとこの強い意思があったからこそ、今日のメジャリーガーという『夢』を手に入れたのだと思います。私のブログを読んでいただいている方の中にも、悩みや病気やいろいろな事の解決を目指している方がおられると思います。生意気な事を言うようですが『断じて目標を達成する』と言う意気込みを忘れず、現実をしっかり見つめながらも、それに振り回されず、決して諦めず、一緒に頑張りましょう。


富士山を眺めながら

2006-12-18 15:51:00 | つぶやき

私の家の二階のベランダから富士山がとても綺麗に眺める事ができる。特に、トイレの窓からは真正面に見え、トイレを『富士の間』と呼んでいる。(笑)今日、チョッと家の外に出してもらったら、天気も良かったせいか雪をかぶった富士山の素晴しかった事!皆さんに見せてあげたかった・・・。富士山を眺めながらフッとこんな事を思った。山はよく人生の困難に例えられる・・・。冬山然り・・・。この病気で倒れる前に、職場の若手に『人生山あり谷あり』って言うけれど、山や谷ばかり続けば平らになっちゃうよな。何て笑いながら話していたが・・・。ある偉人の言葉に『人間と言うのは、世の中へ楽しむ為に生まれてきたのである。』と言う言葉がある。私のように苦労続きの者には『なぁ~に言ってんだか』というかんじであるが、この『楽しむ』と言う事で面白い記事を見つけた。オリンピック選手のメンタルトレーニングを担当した高妻容一氏の『楽しみ』に関する考察である。一流選手は自身に挑戦し、技術や精神力の向上を『楽しみ』とするから、結果に動じない。二流選手は試合結果に『楽しみ』を求める為、負けると落ち込む。三流の人は、手を抜き、楽をする事が『楽しみ』と錯覚しているので向上がない。『衆生所遊楽』(しゅじょうしょゆうらく)と言う言葉があるそうだ。元々は仏教用語らしいが、意味は『遊楽』といっても、単に『遊び楽しむ』と言う事ではなく『遊』とは『人生を自在に生きる』こと。『楽』とは『心から人生を楽しむ』と言う事だそうである。今、私はこのような立場に立って思う。『順調なときに楽しく進む事は簡単だが、大事な事はこの様な苦境の時に明るく朗らかに進めるかどうか。自分の病気に真正面から向き合い、それに前向きに取り組めるかどうか?そういう強い人間にならなければ自分の病気は治す事ができないのではないか?』物凄く大変な事だと言う事は判っているが・・・。やっぱり、何があっても負けずに、諦めずに頑張ってこそ『自己治癒力』『病気は患者が治すもの』が実現するのではないかと。いかなる困難な人生の冬山も、遥かな景色(目標)を楽しみながら、悠々と登っていける自分になりたいし、ブログを通じて知り合った方々もそうあってほしいと、日本一の富士山を眺めながら念じた私でありました。


病院で不思議に思うこと

2006-12-07 14:45:33 | つぶやき

病院の待ち時間に周りを観察していると不思議というか、?っていう場面に遭遇する。どうか読まれる方は( )の中の言葉は、ちびまるこちゃんのキートン山田さんを想像して読んでください。

病院でのお年寄りの会話① 『やぁ~だ、暫く!元気そうじゃない。』(元気じゃないから病院へ来ているのである。)

病院でのお年寄りの会話② 『やだよ、何でこんな所にいるのさぁ』(あなたと同じ理由である。)

病院でのお年寄りの会話③ 『やだよ~、何しに来たのさ』(別にお茶を飲みに来たわけではない。)

病院でのお年寄りの会話④ 『あたしゃもういつお迎えが来てもいいんですよ。』(そういう方に限って、健康法や健康食品にやたら詳しい。)

病院でのお年寄りの会話⑤ 『やだよ~看護婦の○○さん、風邪で休みだって、病院なのに。』(看護婦さんも人間なのである。)

病院でのお年寄りの会話⑥ 『あなたおいくつ?私○○』(初対面のお年寄りの会話は、お互いの年齢を名乗る事から始まる。)

病院でのお年寄りの会話⑦ 『やだ、あんた今度できた○×病院に行った?きれいで、ソファの座り心地もいいよ。』(お年寄りにとっては、自分のかかっている病院で他の病院の宣伝をする事はタブーではない。まして、医師の腕よりソファの座り心地のほうが重要である。)

皆さんお気付きだろうか?お年寄りの会話の枕詞は『やだぁ~、やだよ~、やだ』である事を・・・。

もう一つ不思議に思うのは、市立病院に行くといつも思うのだが、点滴のスタンドをガラガラと引っ張って、この寒空に病院の外にある喫煙場所にたむろしている人達。何の為に入院してるのか? なぁ~~んでか?(笑)

こうして病院での待ち時間を潰している私も不思議に思われているかも・・・。(笑)