映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

シルビアのいる街で

2010年09月11日 | 洋画(10年)
 ストラスブールがじっくりと描かれていることに興味をひかれて、『シルビアのいる街で』を見に、渋谷のイメージフォーラムに行ってきました。
 この映画館は、今年の初めに『倫敦から来た男』を見て以来のことです。

(1)この映画のストーリーといったら、数行で済ますことができるでしょう。
 すなわち、ドイツとの国境に近いストラスブールを訪れた画家志望の青年(グザヴィエ・ラフィット)が、演劇学校前のカフェに座りながら、6年前にこの街で見かけたシルビアを探すうち、それらしい女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)が目にとまり、ずっと彼女の後を尾行するも結局人違いとわかります、ですが、その青年は翌日から再び同じカフェで人探しを続ける、というものです。



 会話のシーンといったら、自分が尾行した女性と青年との簡単なやり取りだけで、あとはストラスブールの中心街らしきところを、青年と女性が歩きまわるシーンばかりなのです。
 と言って、この作品は、ストラスブールの観光案内映画ではありません。
大聖堂とか美術館、欧州議会などといった名所には目もくれず、ヨーロッパではごく普通と思われる都市の風景が描かれます。
 ですが、日本の都市の風景とはまるで異なっており、両側の時代を経た石造りの重厚な建物の間を、最新のトラム(窓が広く取られていて、またバリアフリーで床がかなり低い位置にあります)が走ったりしています。

 女性は、そうした表通りから脇道に逸れ、裏通りを、そして再び表通りを、足早にどんどん歩いていきます。



 青年の方も後を追いかけるので精一杯、彼女がトラムに乗ったためにようやく追い付いて、青年は彼女に話しかけます。
 しかし、彼女はシルビアという名前ではなく、単に1年前この街にやってきたにすぎないとの話。加えて、尾行されているのはずっとわかっていて、彼をまく為に路地に入っていったり、店に立ち寄ったりしたとのこと。あいにくとその店は閉店していたためにうまくいかなかったようですが。
 これには彼は驚き、「What a disaster(英語字幕)」と言いながら謝罪します。

 たったこれだけのことを描いている作品ながら、1時間半近い映画を最後まで退屈せずに見てしまうのですから、観客として実に不思議の感に打たれます。

 たぶん、その一つの要素は、登場する女性が皆若くて美人ばかりということがあるかも知れません。
 なかでも、やはりシルビア似の女性は、スタイル抜群で、全身からいつもオーラを発散しているようです。そんな女性なら、いつまでも見ていようという気にもなってきます。



 ただ、それだけでなく、カフェで青年が見かける女性が、皆とびきりの美人ばかりなことにも驚いてしまいます。初めのうちは、演劇学校の前にあるカフェだから、そこに出入りする女性は、美人が多いのかもしれない、などと思ってしまいますが、こうも青年が見つめる女性が美人ばかりだと、違ったようにも思えてきます。
 すなわち、シルビアの面影を探している青年には、どの女性にもシルビアらしいところを見てしまうのかもしれない、美人に見えるのは青年の目からなのであって、客観的に外から見れば、どこの都会のカフェにでも座っていそうな普通の女性ばかりなのではないか、と思えてきます。
 なにしろ、シルビアだと思って尾行し続けた挙句、人違いだとわかるわけですから、青年の目には確からしさがないのではないでしょうか?

 マアともかく、すごく不思議な映画時間を体験したというべきでしょう。

(2)上でも書きましたように、この映画ではストラスブールの脇道の様子がじっくりと描き出されています。
 たとえば、冒頭では、青年が宿泊する簡易ホテル(hotel patricia)の部屋の様子が描かれ、次いでホテルの前の道(画面の手前から奥に向かっています)とそれに直行する道(画面の左右に通じています)の様子が、手前の方向から見た画像として長々と映し出されます。
 午前中のことでしょう、人々が次々とこの道を通っていきます。
 最後に、右手に位置するホテルの出入り口から青年が現れて去って行くところを映してこのシーンは次のシーンに変わります。

 これはこれでよく見かける画像でしょう。ただ、途中でなんとなくですが変な気がしてきます。というのも、正面の左右に通じる道路に通行人が登場する仕方やその歩き方が、なんだか不自然な感じがするのです。そんな風に人は通らないし、歩かないのではないか、という感じがしてきます。なにか、演劇を見ているように、計算され尽くしたプランに従って人々が行動しているように思えるのです。

 と思って、劇場用パンフレットに掲載されている監督(ホセ・ルイス・ゲリン)のインタビュー記事を読みましたら、「すべての要素をコントロールしながら撮影するのが私の希望」であり、「街それ自体が持っているリズムを正確に把握して、俳優たちを配置し」たし、「自転車が出てきたりという場面もすべて自分が構成し」たから、「すべての場面に計算されたところと、偶然のものという対比・対立があ」る、とあります。

 同監督は、小津安二郎の『東京物語』に魅せられ、この映画も小津監督のようにやりたいと考えたとのこと。
 なるほど、こういうところにまで小津安二郎の影響が及んでいるとは、と大層驚き、かつ感動しました。


(3)映画評論家の意見は分かれるようです。
 前田有一氏は、「きわめて実験的な異色ムービーは、彼が愛する女性を求める数日間の様子をひたすら観察するだけの映画であ」って、「信じがたいことではあるが、基本的にこの映画はたったこれだけの内容である。なんとつまらない実験映画だろうと思っただろうか?否。これが案外面白」く、「ストーカー的ともいうべき行動にはまりこみ、すっかり「黒い恋」に侵されている哀れな主人公氏だが、見た目がとんでもないイケメンなので不快感はない。ただしイケメンに限る、を地でいくストーリー」だ、として60点を与えていますが、
 他方で、福本次郎氏は、「カフェで偶然見かけた女の、男は後をつける。通りを渡り、繁華街を抜け、迷路のような裏路地を足早に歩く彼女を、少し距離を置いて追う」のだが、「たったこれだけの話、30分程度の短編ならば映画に対する興味を持続できたのだが、この内容で90分近い上映時間集中力を切らさないようにするにはかなりの努力が必要だった」として40点を与えているにすぎません。


★★★☆☆





最新の画像もっと見る

コメントを投稿