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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

弱音の世界

2009年12月19日 | 音楽
 ブログ「はじぱりlite!」(12月17日)の記事で、blackdogさんは、あらまし次のように書いています。

 最近聴きに行ったローラン・ディアンス(上記の写真)によるクラシック・ギターのコンサートで「技術的に衝撃を受けた」のは「弱音の多用」であって、それにより「パッセージが音もなく過ぎ去る感じがとても鮮やかで、そこに存在しない音を頭の中で補いながら、聴き手としての僕らも即興演奏に参加しているような、そうやって会場全体がゆるい波に浸されていくような、そして、穏やかさのなかを時にフォルテが轟きわたり、全体にリズムを与え、また過ぎていくといったような、そんな感覚」だった。

 ここで言われているのは、このブログの3月4日の記事の中で触れたことともしかしたら通じているのかもしれません。
 その記事では、プサルタリーに絡めて、私が習っているギター教室の加藤誠先生が編み出した方法、指に負担をできるだけかけないように、細い弦をゆるく張ったギターを使って演奏する「ゆる弦」奏法を取り上げました。こうしたやり方で演奏する結果、ただでさえ小さなギターの音量がもっと小さくはなるものの、逆に繊細ですっきりとした実に美しい音が得られます。
 この奏法に習熟してくると、不思議なことに、音量は小さいながらも当初のような弱々しい音ではなく、むしろ力強いしっかりした音が得られるようになってきます。 

 いうまでもなく、ローラン・ディアンスが使用したギターは「ゆる弦」ギターではないでしょう。でも、大きな音よりむしろ「小さな音」、「弱音」の世界を重視しているという点で何かしら共通項が見い出せるのではないかと思いました。

 ところで、「ゆる弦」奏法の出発点は腱鞘炎の克服でしたが、指に負担をかけないものですから、腱鞘炎のみならず年齢によって筋力が衰えている者でも、努力次第で立派な演奏が可能となるのです。

 さらには、むしろこうした奏法で得られる音楽の方がかえって素晴らしいのではないか、むしろ積極的に目指すべき方向ではないか、とも考えられてきます。 
 加えて、音量は小さいものの繊細で美しい音色に耳が次第に慣れてきますと、力強く弾かれるピアノとかヴァイオリンが奏でる音楽が、かなり粗雑でうるさすぎる感じがしてきます。

 大ホールを揺るがすような大音量のシンホニーなどというのも一つの方向でしょうが、そして無論それを否定するわけではありませんが、むしろモーツアルト以前なら普通だったインナーサークル(宮廷サロンなど)の音楽、ごく少人数の者が小さな美しい音で楽しむ音楽というのもこれから目指すべき一つの方向としてありうるのではないでしょうか?

 このブログの「ギター合宿」の記事の中でも、「それにしても、ギターの素晴らしい独奏とか、ギターとプサルタリーとの息の合った合奏を、こんなに少ない人数で、こんなに近くで、それも大層親密な雰囲気の中で聴くことができるというのは、なんと贅沢な時間の過ごし方でしょう!まるで、バロックかロココ時代の宮廷にいるかのようです」と書いたところです。

 ここで話は跳びますが、7月に刊行された堀江憲一郎氏の『落語論』(講談社現代新書)を読みましたら、その冒頭で、「落語とは、ライブのものである。会場に客がいて、その前で演者が喋る。それが「落語」である」と宣言しており、さらには、「聞く側からすれば、ライブで聞かないと意味がない」、「演者が、目の前にいる客に向かって話しかけるときに初めて成立するのが落語である」などと述べている箇所に遭遇し、何だ落語の上演と音楽の演奏とは基本的に同じことではないのか、と思い至りました。
 それも、堀井氏は、「落語を聞かせられるのは300人までだ、とよく言われる。100人から200人そこそこが適正な観客数のようである」とまで述べているのです。

 落語の場合、1,000人(あるいはそれ以上の)クラスの会場で行われることもあるでしょう。また、1,000人、2,000人の大観衆に向かって大音量で音楽を届けるというのは、ポピュラー音楽ではごく普通のことですし、クラシック音楽の世界でももちろん行われています。
 むろんそれはそれで構わないとはいえ、あるいはそうしたものは、本来的な落語の上演とか音楽の演奏とは随分かけ離れているのではないか、と言えるかもしれません。むしろ、ごく小規模の聴衆に対して繊細で美しい音を伝えるのと、「落語家の発する〝気〟」を少ない人数の観客にしっかりと届けるのとは、もしかしたら同じ次元の話なのではないでしょうか?

 ローラン・ディアンスから思いがけず落語にまで話が広がってしまいました。
 
 最後に、blackdogさんのブログ記事に、クラシック・ギターとは、「小さな曲にどれだけの発想が詰め込まれているか、小さな一音にどれだけ多様な音色が響きわたっているか、そんなことに気付かせてくれる楽器」だと述べられていることを申し添えておきましょう。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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同感です。 (blackdog)
2009-12-22 07:45:43
記事の引用、ありがとうございました。
ギターと落語の比較は面白いですね。
いずれの場合も、音や声だけではなく、それを取り巻く環境も含めて、「演じる」ということを全体として捉えることが重要なんでしょうね。
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