アニメ『トイ・ストーリー3』が大人の鑑賞に十分耐えられる作品であることがわかったことから、もう一つの評判の高いアニメ『ヒックとドラゴン』も見てみようと思って、吉祥寺バウスシアターに行ってきました。
ここはやや小ぶりの映画館ながらも、「3D」(吹替え版)で上映しているのには驚きました。また、映画館の前の方の席には、子供に混じって、一人で見に来ている大人が何人もいて、この映画に対する一般の関心の高さをうかがわせました。
(1)この作品の物語は、バイキングのリーダーの息子ヒックが、トゥースと名づけられた最強ドラゴンとの友情を深めたことから、敵対していたバイキングとドラゴンたちとが友好関係を築くようになり、ついにはドラゴンたちを背後で支配していた巨大な「怪物ドラゴン」を打倒することに成功し、バイキングの村に平和が訪れるというものです。
将来はバイキングのリーダーと目されていたヒックは、バイキングの伝統的な武器をもってドラゴンと戦うことにかけてはからきし駄目なところ、ドラゴンと親しい関係を作る面は勇敢で、それを通じてバイキングたちの信頼を次第に勝ち得るわけですが、その過程がこのアニメでは実に見事に描き出されていると思いました。
まずヒックは、自分の弓矢で仕留めた最強ドラゴンのナイト・フューリーを探し出して殺そうとしますが、どうしてもそれができずに、逆に痛めた翼の代わりになるものを取り付けてあげます。また、食料となる魚を獲ってきて差し出したりします。そういう過程を通じて、両者の間には次第に友情が芽生えてきます。
それを出発点として、ドラゴンたちは決してバイキングに敵対的ではないことがわかり、そのことがヒックの仲間のアスティたちにもわかってきて、さらには、他のバイキングたちが多数詰めかけている競技場で、様々のドラゴンと親しい関係を持つようになる様を見せることで、バイキングたちの認識を変えるように促します。
こうしたプロセスが丁寧に描き出されているために、弱虫に見えたヒックがバイキングの支持を得るに至っても、見ている方は違和感なく受け入れることができます。
それと、「3D」の点では、これまでのどのアニメよりも優れているのではないかと思います。無理に画面が前に飛び出さず、画面に自然に奥行きが出ていて、見ていて疲れることはありません。まさに、下で触れる映画評論家の渡まち子氏が言うように、「ヒックがトゥースに乗ってフワリと浮き、一気に加速する飛行シーンなど、ワクワクする3Dの映像が素晴らしい」と思いました。
(2)このアニメは、ヒックがナイト・フューリーのトゥースに乗って空中を飛んでいる様子を見ると、『アバター』で、ジェイクらがバンシーに跨って飛んでいる姿とダブってきます。
そこで、もう少し『アバター』と比べてみましょう。
いうまでもなく、『ヒックとドラゴン』は純然たるお伽噺の延長線上にある物語ですし、『アバター』は近未来のSF物で、リアリティの度合いは随分高い感じがして、相違点の方が多いかもしれません。ですが、どちらもファンタジーであって、類似するところはいくつも見つかります。
そんな類似点を探すには、ナヴィ族側から見た方が好都合かもしれません。
たとえば、次のようには考えられないでしょうか?
ナヴィ=バイキング
地球人=ドラゴン
クオリッチ大佐(資源開発会社RDAの保安部門の指揮官)=怪物ドラゴン
アバターとしてのジェイク=ヒック
ネイティリ=アスティ
バンシー=トゥース
すなわち、衛星パンドラの希少鉱物資源を確保したい地球人と原住民ナヴィとの小競り合いは、バイキングとドラゴンとの間の戦いに類似していますし、地球人の科学者グレースがジェイクの行動に理解を持つところは、バイキングがドラゴンに親しみを懐くようになるところに似ています。
そして、ヒックらが怪物ドラゴンを退治するシーンは、まさにクオリッチ大佐が操縦するスーツとジェイクとナヴィらとの闘いの場面に相当すると言えるのではないでしょうか?
(3)映画評論家のこの映画に対する見解は、両極端に分かれるようです。
前田有一氏は、「いくらほめてもたりないほどの傑作であるが、それは様々な要素が高いレベルで融合された、すなわち完成度の高さによるもの。何かが突出して良いのではなく、すべてがハイクオリティ。まさに死角のない横綱」として97点を、
渡まち子氏は、「敵同士が歩み寄って互いのことを理解する。言うは易し行うは難しのこの行動を、弱虫の主人公がやってのけるファンタジー・アニメの秀作」であり、「ヒックがトゥースに乗ってフワリと浮き、一気に加速する飛行シーンなど、ワクワクする3Dの映像が素晴らしい。3Dがストーリーに自然にフィットする作品で、存分に楽しめる」として80点を、
それぞれ与えていますが、
福本次郎氏は、「映画はバイキングの少年とドラゴンの交流を通じて、己の論理を相手に押しつけるのではなく、お互いが幸せになるような道を探り合うことの大切さを描く」が、「クライマックスで、ドラゴンの女王を見つけたバイキングたちはそれに集中攻撃をかけるのだが、他のドラゴンは女王を守ろうとせず、むしろバイキングを女王の専横からの解放者のように迎え入れる。「独裁国家から民衆を解放する米国」という構図を見ているような気になった。。。」として40点しか与えていません。
(4)前田有一氏は、この映画についてさらに、「伝えようとしているのは、建国当時から続く「皆殺しによる平和」「敵を圧倒するアメリカ」の精神ではない。殺しあってきた敵と、共生の道を探る。少年ヒックと最強のドラゴン・トゥースのコンビを架け橋に、両種族を平和へ導こうとする挑戦は、現実の国際政治が抱えるあらゆる紛争問題へのひとつの回答である」と述べています。
確かに、死闘を繰り返してきたバイキングとドラゴンたちは、ヒックが最強のドラゴンと親しい関係を築き上げたことを通じて、敵対するのを止めるに至ります。
ですが、ドラゴンたちがバイキングの家畜を襲った元凶である「怪物ドラゴン」については?
ヒックは、トゥースたちに使ったコミュニケーションの技を、どうしてこの怪物には使わないで、問答無用とばかりにいきなり攻撃してしまうのでしょうか?
ここには、最近のアメリカの対テロ戦争に取り組む姿勢と同じものが垣間見られるようです。
すなわち、イラクやアフガニスタン等におけるテロ攻撃に関して、真の敵は、イラク国民やアフガニスタン国民ではなくアルカイーダだとして、その指導者ビン・ラディンらの行方を執拗に追求しています。
この姿は、ヒックらが、普通のドラゴンとは友好関係を結びながらも、「怪物ドラゴン」とは敵対関係を継続するのと類似していると言えないでしょうか?
そして、そうだとすれば、この映画が「現実の国際政治が抱えるあらゆる紛争問題へのひとつの回答である」とする前田氏の姿勢も疑問に思えてくるところです。
レベルは一層掘り下げられているにしても(対峙する勢力の中に真の敵を見分けるという点で)、凄惨な殺し合いが続く事態は何も変わらないのですから!
★★★☆☆
象のロケット:ヒックとドラゴン
ここはやや小ぶりの映画館ながらも、「3D」(吹替え版)で上映しているのには驚きました。また、映画館の前の方の席には、子供に混じって、一人で見に来ている大人が何人もいて、この映画に対する一般の関心の高さをうかがわせました。
(1)この作品の物語は、バイキングのリーダーの息子ヒックが、トゥースと名づけられた最強ドラゴンとの友情を深めたことから、敵対していたバイキングとドラゴンたちとが友好関係を築くようになり、ついにはドラゴンたちを背後で支配していた巨大な「怪物ドラゴン」を打倒することに成功し、バイキングの村に平和が訪れるというものです。
将来はバイキングのリーダーと目されていたヒックは、バイキングの伝統的な武器をもってドラゴンと戦うことにかけてはからきし駄目なところ、ドラゴンと親しい関係を作る面は勇敢で、それを通じてバイキングたちの信頼を次第に勝ち得るわけですが、その過程がこのアニメでは実に見事に描き出されていると思いました。
まずヒックは、自分の弓矢で仕留めた最強ドラゴンのナイト・フューリーを探し出して殺そうとしますが、どうしてもそれができずに、逆に痛めた翼の代わりになるものを取り付けてあげます。また、食料となる魚を獲ってきて差し出したりします。そういう過程を通じて、両者の間には次第に友情が芽生えてきます。
それを出発点として、ドラゴンたちは決してバイキングに敵対的ではないことがわかり、そのことがヒックの仲間のアスティたちにもわかってきて、さらには、他のバイキングたちが多数詰めかけている競技場で、様々のドラゴンと親しい関係を持つようになる様を見せることで、バイキングたちの認識を変えるように促します。
こうしたプロセスが丁寧に描き出されているために、弱虫に見えたヒックがバイキングの支持を得るに至っても、見ている方は違和感なく受け入れることができます。
それと、「3D」の点では、これまでのどのアニメよりも優れているのではないかと思います。無理に画面が前に飛び出さず、画面に自然に奥行きが出ていて、見ていて疲れることはありません。まさに、下で触れる映画評論家の渡まち子氏が言うように、「ヒックがトゥースに乗ってフワリと浮き、一気に加速する飛行シーンなど、ワクワクする3Dの映像が素晴らしい」と思いました。
(2)このアニメは、ヒックがナイト・フューリーのトゥースに乗って空中を飛んでいる様子を見ると、『アバター』で、ジェイクらがバンシーに跨って飛んでいる姿とダブってきます。
そこで、もう少し『アバター』と比べてみましょう。
いうまでもなく、『ヒックとドラゴン』は純然たるお伽噺の延長線上にある物語ですし、『アバター』は近未来のSF物で、リアリティの度合いは随分高い感じがして、相違点の方が多いかもしれません。ですが、どちらもファンタジーであって、類似するところはいくつも見つかります。
そんな類似点を探すには、ナヴィ族側から見た方が好都合かもしれません。
たとえば、次のようには考えられないでしょうか?
ナヴィ=バイキング
地球人=ドラゴン
クオリッチ大佐(資源開発会社RDAの保安部門の指揮官)=怪物ドラゴン
アバターとしてのジェイク=ヒック
ネイティリ=アスティ
バンシー=トゥース
すなわち、衛星パンドラの希少鉱物資源を確保したい地球人と原住民ナヴィとの小競り合いは、バイキングとドラゴンとの間の戦いに類似していますし、地球人の科学者グレースがジェイクの行動に理解を持つところは、バイキングがドラゴンに親しみを懐くようになるところに似ています。
そして、ヒックらが怪物ドラゴンを退治するシーンは、まさにクオリッチ大佐が操縦するスーツとジェイクとナヴィらとの闘いの場面に相当すると言えるのではないでしょうか?
(3)映画評論家のこの映画に対する見解は、両極端に分かれるようです。
前田有一氏は、「いくらほめてもたりないほどの傑作であるが、それは様々な要素が高いレベルで融合された、すなわち完成度の高さによるもの。何かが突出して良いのではなく、すべてがハイクオリティ。まさに死角のない横綱」として97点を、
渡まち子氏は、「敵同士が歩み寄って互いのことを理解する。言うは易し行うは難しのこの行動を、弱虫の主人公がやってのけるファンタジー・アニメの秀作」であり、「ヒックがトゥースに乗ってフワリと浮き、一気に加速する飛行シーンなど、ワクワクする3Dの映像が素晴らしい。3Dがストーリーに自然にフィットする作品で、存分に楽しめる」として80点を、
それぞれ与えていますが、
福本次郎氏は、「映画はバイキングの少年とドラゴンの交流を通じて、己の論理を相手に押しつけるのではなく、お互いが幸せになるような道を探り合うことの大切さを描く」が、「クライマックスで、ドラゴンの女王を見つけたバイキングたちはそれに集中攻撃をかけるのだが、他のドラゴンは女王を守ろうとせず、むしろバイキングを女王の専横からの解放者のように迎え入れる。「独裁国家から民衆を解放する米国」という構図を見ているような気になった。。。」として40点しか与えていません。
(4)前田有一氏は、この映画についてさらに、「伝えようとしているのは、建国当時から続く「皆殺しによる平和」「敵を圧倒するアメリカ」の精神ではない。殺しあってきた敵と、共生の道を探る。少年ヒックと最強のドラゴン・トゥースのコンビを架け橋に、両種族を平和へ導こうとする挑戦は、現実の国際政治が抱えるあらゆる紛争問題へのひとつの回答である」と述べています。
確かに、死闘を繰り返してきたバイキングとドラゴンたちは、ヒックが最強のドラゴンと親しい関係を築き上げたことを通じて、敵対するのを止めるに至ります。
ですが、ドラゴンたちがバイキングの家畜を襲った元凶である「怪物ドラゴン」については?
ヒックは、トゥースたちに使ったコミュニケーションの技を、どうしてこの怪物には使わないで、問答無用とばかりにいきなり攻撃してしまうのでしょうか?
ここには、最近のアメリカの対テロ戦争に取り組む姿勢と同じものが垣間見られるようです。
すなわち、イラクやアフガニスタン等におけるテロ攻撃に関して、真の敵は、イラク国民やアフガニスタン国民ではなくアルカイーダだとして、その指導者ビン・ラディンらの行方を執拗に追求しています。
この姿は、ヒックらが、普通のドラゴンとは友好関係を結びながらも、「怪物ドラゴン」とは敵対関係を継続するのと類似していると言えないでしょうか?
そして、そうだとすれば、この映画が「現実の国際政治が抱えるあらゆる紛争問題へのひとつの回答である」とする前田氏の姿勢も疑問に思えてくるところです。
レベルは一層掘り下げられているにしても(対峙する勢力の中に真の敵を見分けるという点で)、凄惨な殺し合いが続く事態は何も変わらないのですから!
★★★☆☆
象のロケット:ヒックとドラゴン
ボスドラゴンとの戦いは、「矛盾があるから素晴らしかったんだ」という意見もありますが、ちょっと違和感もあります。
なにしろヒックがトゥースに見せた行動の美しさが全否定されてしまいますからね。
「結局人間は動物を愛そうが殺そうが、一方的な感情の押し付けにしかならない」という、すっごい皮肉の利いたメッセージが、あのラストの「ドラゴンはペット」発言なのでしょうか?
とにもかくにも、この矛盾にひっかかる記事がvicさんの記事以外なかなかなかったのでちょっとほっとしてます。
私も全く同じように感じました。
ドラゴンと人間の対立の形を借りて、現実社会の、誤解しあい殺し合う人間にメッセージを送っているのではないかと感じました。
他のドラゴンとは「誤解を解けばお互い理解し合え、殺し合う必要はない。共存出来る!」と
理解し合うこと、和解すること、共存する大切さを訴えておいて
諸悪の根元のドラゴンは結局殺さないと平和は来ないの?
同じドラゴンなのに、どうして?
と、そこだけ腑に落ちなかったのです。
「頭」で見過ぎたでしょうか
もっと感覚的に楽しむべきだったかも知れません。
値が単純なので単純に考えます。
一応、あのでっかいのは女王蜂に相当するって説もありますが、あえてその説はとらずに、ただ、でっかいドラゴンだったとして。
ヒックが猫だったとしたら、あれは全長1000メートルの虎みたいな存在。貪欲に何物をも食らおうとする存在に対してはコミュニケーションが取れなかったという事では。ドラゴン同士でさえ、食べ物を与えておかないと食べられてしまう存在ですから、存在その物がイレギュラーな状態の鬼っ子というところ。
意味合いを持たせることもできると思いますが、私はメッセージ性を強く受けとらないタイプなので、あまり何かになぞらえて観ることはしませんでした。
映画としてはよくできていたし、3Dの効果もよく出ていたと思います。
最後の、
>この姿は、ヒックらが、普通のドラゴンとは友好関係を結びながらも、「怪物ドラゴン」とは敵対関係を継続するのと類似していると言えないでしょうか?
この部分についてはそう思わないです。
そういった投影はしませんでした。
なぜなら、バイキング側をアメリカに投影するほどバイキングとドラゴンに力の差が感じられません。
ドラゴンとバイキングは拮抗していたと思います。
そして、最後のデカドラゴンヘの対応ですが、
あの事態はすでに緊迫していた状態ではなかったですか?
先に攻撃を仕掛けたのはバイキングですが、ここにヒックの意思は反映されていない。
現場にかけつけたときは既にデカドラゴンに炎を吐かれ船を焼かれて同志(バイキング)の命も危ない。
この状況で話し合いの交渉は無理ではないでしょうか。
その前に…というならばお話はわかりますが、それでもこれをアメリカvsアルカイダにするのはこじつけに感じます。
もともとバイキングは血気盛んに戦う種族ですし。
ドラゴンの巣への特攻もお話の流れとして自然と思いますよ。
そういう世界観と思います。
私のブログの記事に、「この姿は、ヒックらが、普通のドラゴンとは友好関係を結びながらも、「怪物ドラゴン」とは敵対関係を継続するのと類似していると言えないでしょうか?」とあるところを、「この部分についてはそう思わない」とコメントしていただきました。
私の方では、アメリカが中東で戦争をしている様を、「アメリカ≒バイキング、中東諸国の国民≒一般のドラゴン、アルカイーダ≒怪物ドラゴン」といった図式で捉えているようにも見えるのではないか、と申し上げたのですが、「おくやぷ」さんの方では、「アメリカ≠バイキング」とされておられるようです。
その理由として、現実には、「アメリカの力>中東諸国の国民の力」であって、アニメのように「バイキングの力≒ドラゴンの力」といった関係にはないからだ、と述べていらっしゃるように思います。
確かに、おっしゃるように、経済力・軍事力等の面で「アメリカの力>中東諸国の国民の力」でしょう。ただ、こういう図式の当て嵌めにあたっては、図式という性質から具体的な様々の点が捨象されてしまいますから、焦点を何処に当てるかによって説得力が違ってしまうのではないでしょうか?私の場合は、「力」のレベルという点ではなく、友好・友情関係の求め方という点で、中東における戦争とアニメが描く闘いとで類似性があるのではと思ったところです。
そして、なにより一番申し上げたいのは、こうしたアニメの見方をすべきだと言うことではないのです。
元々、こうも考えられるのではとして申し上げたのは、映画評論家の前田有一氏が、至極ノーテンキにも、この映画が「現実の国際政治が抱えるあらゆる紛争問題へのひとつの回答である」などと述べていることに対する批判としてにすぎません。こうした楽しい優れたアニメに対して、わざわざ政治的な含意などを汲み取ろうとする前田氏の姿勢及びその中身を問題にしたまでです。
ですから、私も「ドラゴンの巣への特攻もお話の流れとして自然と思います」し、この戦闘の場面は大変優れた描写ではないかと思っているところです。
以上が、いただいたコメントに対する十全な回答になっているかどうか分かりませんが、いずれにしましても、「おくやぷ」さんからキチンとしたコメントをいただきましたことに対し、心から感謝申し上げます。
そして、正義の名のもとに力をふるうアメリカとこの作品のバイキングがわたしの中では重ならず、その点を強く押し出してコメントしておりました。
クマネズミさんのおっしゃること、よく理解できました。ありがとうございます。
わたしはヒックとドラゴンの中のバイキングとドラゴンの戦いの面においては、
単純というよりは根源、と感じており、
戦争の良し悪しはここではおいておいて、双方自身を守る戦いであると感じました。
そして冒頭のヒックのナレーションにもあったとおり、逃げはしない。
そこで、売られたケンカに背を向けないというバイキングの世界観をみて、くどいようですが善し悪しは別にして、その世界観を受け入れ、観ておりました。
その中でヒックは違う道を模索し、ドラゴンとのつきあい方を変えてみせた。
それでも自身(同志含む。)を守る戦いは続くのだと思います。
無抵抗主義でやられるのをただ受け入れるというのではない種族だ、という認識で観てました。
ゆえに、ラストの戦いについても納得できます。
リンクを辿り、前田氏の評も読ませていただきました。
クマネズミさんが問題にされていた点も理解しました。
一部分に焦点をあてたコメントになり、内容を否定するかのようにみえたかもしれませんが、決してそうではありません。
クマネズミさんの感想に共感したり、気づいたりする部分が多々ありました。
言葉足らずで申し訳ありません。
ありがとうございました。