映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ハナミズキ

2010年09月19日 | 邦画(10年)
 今旬な女優の一人である新垣結衣の主演作と言うことで、『ハナミズキ』を吉祥寺に行って見てきました。

(1)ヒットした歌の題名をタイトルにする映画ならば、内容自体は期待しない方がいい、というのが通り相場ですし、旬な俳優の主演作ともなればその感は一層強まります。
 この映画もご多分に漏れず、主人公の紗枝を演じる新垣結衣を、どうしたら一番綺麗に格好良く映像として映し出せるのか、を専らの狙いとしているように見受けられます。
 とすれば、日本では全然就職先が決まらなかったにもかかわらず、どうしてニューヨークで編集プロダクションの編集者として活躍出来るのか、それがかなり良い線行っていたはずなのに、なぜ帰国してしまって釧路の自宅で英語塾を細々と開くことになるのか、その説明が全然なされていないではないか、などと言ってみても所詮仕方のないことです。
 ニューヨークで仕事を持って生活すること、それも写真関係ならばなお良し、と言ったところではないでしょうか(なにしろ、主人公の父親がカメラマンですし、主人公が結婚しようと決意した相手もカメラマンであり、主人公の仕事自体も写真が伴います!)。

 それに、登場人物が皆が皆うまい具合におさまってしまうというのも、そこまでしなくともと思いたくなりますが、これもこうした映画では仕方がないのでしょう。
 たとえば、主人公の母親(薬師丸ひろ子)が、その幼馴染(木村祐一)と一緒になるのは構わないにしても、康平と別れたリツ子(蓮佛美沙子)が、前から思いを寄せていた康平の友人と付き合いだすというのはどんなもんでしょうか(それも、康平が破産したら、途端に離婚届と結婚指輪を机の上に置いて、出ていってしまうにもかかわらず!)?

 でも、そんなことくらいなら、自分で補ってみれば済むことでしょう。
 それに、この映画はそれだけでは捉え切れないところが残ります。
 一つには、主人公紗枝の相手役の康平(生田斗真)が、酷く泥臭い人物として描かれていることがあげられるでしょう。なにしろ、彼が紗枝と出会ったときは、釧路の水産高校に通う生徒で、将来は父親の跡を継いで漁師になることを夢見ていたのですから〔実際には、演ずる生田斗真は、“飛びきり”付きのイケメンですし、康平自体も、ラストの時点では世界を股にかける漁師になっていて、「泥臭い」とはとても言えないのかもしれませんが(注)〕。
 もう一つは、物語の背景となってスクリーンに映し出される風景がどれも大層綺麗なことでしょう。なかでも、釧路の海岸地帯を走るローカル線をとらえた映像は、素晴らしいものがありますし、高校生の康平が漕ぐ自転車に紗枝が乗って走る「アゼチの岬」の風景も、見ごたえ十分です。



 主役の新垣結衣は、DVDで見た『恋空』の時はまだぎこちなかった感じですが、この作品では随分としっかり演技をしていて、今後の一層の飛躍に期待が持てます。
 相手役の生田斗真は、『人間失格』や『シーサイド・モーテル』の時に比べれば、今一の感じですが(あんな華奢な漁師など、どこでお目にかかれるのでしょうか)、まだまだこれからでしょう。


(注)漁師といったら、昨年見た『不灯港』に主演した小手信也氏辺りがずっとふさわしいのでしょう。また、頑固一徹の老漁師を、『春との旅』において仲代達也が実にうまく演じていました。ただ、余り先入観をもって捉えてはいけないのでしょう!

(2)一青窈の「ハナミズキ」の歌詞は、この映画の劇場用パンフレットに掲載されている彼女のメッセージによれば、「もともと911のテロの事件をテレビで見て 居ても立ってもいられず 書き綴った数枚の散文詩がベースになってい」るとのこと。
 そういうこともあってか、この映画では、テロで崩壊した世界貿易センタービルのように、垂直に上に向かっている物がいくつも出てきます(♪空を押し上げて♪)。

 勿論、なんといっても目につくのは、主人公の家の庭に植えられたハナミズキの大木です。
 そのハナミズキは、彼女の5歳の時に主人公の父親(ARATA)が植えたもので、自分の代わりにいつでも紗枝を見守っていると言い残して死んでしまった父親を偲ぶ縁になっています。
 この木は、クマネズミの棲み家に近い玉川上水の土手に何本も植えられていますが、こんなに背が高く伸びるものだとは思ってもみませんでした。
 まるで、最近見た『セラフィーヌの庭』に何度も登場する大木のような感じです。ただ、セラフィーヌの場合は、彼女はその木に登ったり幹に体を寄せたりして、自然を受け止めようとしますが、『ハナミズミ』の場合は、主人公は節目節目に見上げて、亡き父親に思いを寄せるにすぎませんが。



 次に、重要な意味を与えられているのが灯台
 映画の冒頭は、主人公の紗枝が、カナダの海岸にある灯台(父親が撮影した写真に写っています)に向かっているシーンですし、紗枝と康平とははじめてキスをする場所も、釧路の灯台です。


〔厚岸郡浜中町にある湯沸岬灯台〕

 さらに映画の後半において、ニューヨークで生活している紗枝が、友人の結婚式のため一時帰国した際に、すでに別の女性と結婚している康平と会うのもこの釧路の灯台ですし、カナダの灯台がある町では、紗枝は、康平に直接つながるものを偶然見つけてしまいます。



 それから、ニューヨークの摩天楼でしょう。
 紗枝が、先輩のカメラマン(向井理)からプロポーズされる場所の背後には、マンハッタンの摩天楼(そこにあったはずの世界貿易センタービルは、勿論ありません)が広がっていますし、偶然ニューヨークにやってきた母親と語り合う場所の後ろにも、エンパアステートビルが聳えています。

 もっといえば、早稲田大学の大隈講堂も挙げられるでしょうか。
 紗枝は、早稲田大学に入学して大学生活を満喫しますが、その背後にはいつも大隈講堂が見え隠れしています。

 こうした垂直の方向の映像は、釧路あたりを走るローカル線の姿を空中から捉えている映像とか、カナダの灯台に向かって走るバスを捉える映像といった水平方向の映像に補われて、全体として、若い主人公たちの前向きな姿勢を象徴しているのではと考えられるところです。

(3)映画評論家の評価は分かれているようです。
 福本次郎氏は、「四季折々の風景の一瞬のきらめきを切り取るかのような素晴らしい映像に、青春の輝ける瞬間を共有したいと願う恋人たちの出会いから別れ、再生までの10年に及ぶ時の流れが余情たっぷりに焼きつけられる。離れていても一緒に眺めた景色や共に過ごしたときめきは忘れない。物語の底に流れる一途な思いは決して色あせない情熱に満ちている」賭して60点を付けているものの、
 渡まち子氏は、「ストーリーそのものは、出会ってはすれ違うという古臭いもので、終盤には偶然を多用する展開になり、目新しさは何もない。新しいのは、主役二人が演じる役柄で、高校生役が似合いすぎる新垣結衣がキャリウーマンを、繊細なイメージの生田斗真がワイルドな漁師を演じていること。これをフレッシュとみるか、ミスキャストとみるかで評価が変わりそうだ」として40点しか与えていません。


★★★☆☆


象のロケット:ハナミズキ