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ようこそ、アムステルダム国立美術館へ

2010年09月22日 | 洋画(10年)
 美術館の裏側を取り扱っているというので、日頃美術館を覗くことが多いこともあって、『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』を見に、渋谷のユーロスペースに行ってきました。

(1)この映画は、老朽化などの問題を抱えるアムステルダム国立美術館をリニューアルしようとする際の騒動を描いたドキュメンタリーです。



 すなわち、1885年に建築家ピエール・カイパースによって建てられたアムステルダム国立美術館が、その後の増改築によって迷宮のようになってしまっていたのを、現代の要請に適ったものにリニューアルすべく、2004年からまず解体工事が着手されました。
 ところが、様々な障害にぶつかり計画が頓挫し、漸く2008年末に改築工事が着手され、2013年のリニューアル・オープンを目指して現在工事中といった有様なのです〔この映画は、改築工事にかかる第1回目の入札が不調に終わった2008年の時点までを描いていて、その後は続編となる予定〕。

 このドキュメンタリー映画からは様々の論点を取り上げることができ、興味が尽きません。

a.コンペで第1位をとったデザインに対して、市民団体等が激しく拒否反応を示します。
 というのも、リニューアルの設計コンペで1位を獲得したスペイン人の建築家の案ではこれまでのような市民生活が営めないと、特にサイクリスト協会が強く反対したのです。すなわち、これまでの美術館の中央部分は、市の南北を結ぶ道路が貫通していて、オランダに多い自転車利用者が大勢通行しているわけですが、設計案ではそのための道路幅が狭くなってしまうというわけです。
 設計を担当した建築家のほうは、そういうことも十分に考慮して案を提示していると反論します。にもかかわらず、結局は当初案をかなり改変しなくてはならなくなってしまいます〔新しい設計案がまとまったことを祝う会合の場で、設計者は、サイクリスト協会が「自転車専用道路がなくなってしまう」とのデマを流したことが、こんなに紛糾した原因だなどとつぶやきます。美術館側の地元に対する十分な根回しが足らなかったことが、大きかったものと思われます〕。
 むろん、国費でリニューアルするのですから、地元市民の意見も十分尊重する必要があるとはいえ、建築デザインという点では素人にすぎない市民たちの意見をどれだけ尊重すべきなのかは、議論の余地があると思われます。まして、影響力の誇示という面から特定の団体ののごり押しがあったとすれば、重大問題でしょう!

b.新たに研究棟を併設しようとしますが、これも大きな抵抗にぶつかります。
 こちらは市民団体の反対というよりも、美術館が設けられている地域全体の景観が、背の高い研究棟を設けることで損なわれてしまうという批判によって、当初案よりもかなり小規模なものにせざるを得なくなってしまいます〔映画の中では、設計を担当した建築家が、裏で館長デ・レーウが画策したのではないか、と述べたりしていますが〕。
 ただ、美術館の後方支援部隊が陣取るはずの研究棟の縮小は、美術館の機能そのものの縮小につながる恐れがあり、街の景観の保持という観点からのみ議論すべきかどうか、大きな問題が残ると思います。

c.新しい美術館における美術品の展示に関して、美術館に所属する学芸員が様々のアイデアを出します。すなわち、各世紀の時代感覚が来訪者によく分かるように展示をしようと、それぞれの世紀ごとの主任学芸員が方針を示し、それについて皆で議論をします。
 ただ、このように美術品を見る枠組みを、美術館側で前もって設定してしまうことに問題はないでしょうか〔そもそも、どうして担当する学芸員のアイデアに見学者は従わざるを得ないのでしょうか?〕?
 むろん、歴史的な流れの中で美術品をとらえたいと思う人もいるでしょう。ですが、美術品は、歴史的に規定されておしまいというわけではないでしょう。それ独自の良さがあるはずですし、もしかしたら、古いものの方が、未来を捉えているかもしれません。
 来訪者には様々な人がいるものと思います。美術館側としては、鑑賞者に予め先入観を植え付けずに、直接美術品に新鮮な眼差しで対峙できるようにすべきではないか、と思われるところです〔そうして立場からは、風景画、肖像画などといった従来のジャンル別の陳列方法も、一定の意味があるのではないかと思われるところです〕。

d.ようやく決定した設計に基づいて、それを施工する業者を決定する業者を決めるために入札を行います。ところが、応札した企業が1社だけということもあって、入札価格は予算額を大きく超えてしまいます。こんな場合、どうしたらいいのでしょうか?
 ただ、実際に応札した会社は、一社しか入札に参加しないことをどうして事前に知りえたのでしょう。それに、知っていれば応札額をできるだけ高額にするでしょうが、それが予算額を超えてしまえば、入札不調となって元も子もなくしてしまいます〔このリニューアル工事については、ほぼ倍額の応札額でした!〕。
 仮に知らなかったのであれば、入札が不調だったのは、あるいは予算額の算定の方に問題があるからかもしれません。
 また、応札企業数が複数あれば予算額の範囲に収まったかどうかも、予算額算定方法の問題もあって、判断が難しいでしょう。

e.途中で、このリニューアルを強力に推進してきた館長ドナルド・デ・レーウ氏が辞任してしまいます。こうした大事業を推進するに当たり、現場の館長の果たすべき役割は何なのか、いろいろ考えさせるものがあります。
 この映画からは、様々の出来事に翻弄されている人物という印象を受けますが、周囲の人々の話の端々からは、実際には、自分の思う方向に何事も引っ張っていこうとする剛腕の持ち主でもあるようです。
 いずれにせよ、この人物が館長だったから、リニューアル工事がこんなにも遅延してしまったのか、そうではなくて、リニューアルの全体像がここまで漕ぎつけたのも彼の手腕によるものだというのか、いずれが正解なのかは、後しばらくしなくては評価を下せないことでしょう。
 なお、ドナルド・デ・レーウ氏は、映画で述べているところによれば、ウィーンとイタリアに自宅を持っていて、遊ぶためにはイタリアに行き、音楽や絵を楽しむためにはウィーンに赴くという生活を営むとのこと。オランダの公的機関のトップともなると、引退後に、そんな夢のような生活ができるのだなと驚いてしまいました。

f.新しくアジア館を造成するにあたり、その入口に、日本から、仁王門にある仁王像を持ってこようとします。日本の古い美術品の海外流出については、どう考えたらいいのでしょうか?
 この映画で紹介されているのは、既に閉鎖されているお寺(島根県の岩屋寺)の山門にあった2体の仁王像(南北朝時代)で、この美術館によって購入されオランダで公開されるわけですから、日本美術の海外紹介という点からみても何ら問題はないでしょう。おまけに、それを見上げる担当学芸員の目の輝きを見たら、まさにうってつけの陳列場所といえるかもしれません。
 ただ、仁王像は、単に美術品として眺められるべきものでもないはずです。当時の地方の宗教事情を窺うよすがとなる歴史的遺物でもあるはずです。そうした観点に立てば、それを所蔵する寺院が閉鎖されていようとも、自由に誰でも購入できるわけではなく、たとえば国の研究機関が買い上げて所蔵すべきではなかったでしょうか?
 としても、どのみち収蔵庫の中に収められて日の目を見ないのであれば、オランダとはいえ、皆の見えるところに置く方が意味はあるのかもしれませんが。

(2)建築家の描いたデザインに対して素人集団が批判するという図式に関して思い起こされるのは、少々古いことになりますが、7月17日の記事で取り上げました伊東豊雄氏が設計した「せんだいメディアテーク」(smt:2001年開館)の建設を巡る経緯です(注)。



 この建物は、市民ギャラリーと市民図書館の2つの機能を入れることを主な目的として、市バス車庫だった空き地に作られることになります。
 まず、建築家の磯崎新氏を審査委員長とする審査委員会が設けられ、公募によるコンペによって設計者が決められることになります。多くの応募作品の中から、最終的には審査委員の多数決で、伊東豊雄氏の作品が最優秀作に選ばれます(1995年3月)。
 それと時を同じくして(設計案を公募する前ではなくて)、仙台市は、この「メディアテーク」に対する構想を作り上げようと、「プロジェクト検討委員会」を発足させたり(1996年5月最終報告書)、また芸術協会との打ち合わせとか、「メディアテークわいわいトーク」と題する市民との懇談会の場を設けたりします。
 こうした最中、1995年10月31日の『河北新報』に、伊東氏の設計構想を土台から批判する記事が掲載されたりします。
 すなわち、ごく大雑把に言うと、通常のラーメン構造(長方形に組まれた骨組から成る)では、四角の柱が等間隔に置かれるのが普通ですが、伊東氏の設計案におけるチューブ構造では、内部が見えるチューブ状の柱が不規則に配置され不均質な内部空間が生み出されます。
 こうしたことに対し、「ケヤキ並木を模した12本の「チューブ」」が「邪魔」をするために、「展示スペースとして使い物にならない」、「必要面積を大きく割り込む」、「チューブのインパクトが強すぎる。展示作品がかすんでしまう」などの反対論が出されていると言うのです。



 果ては、コンペによって設計案を決める方式が拙かったのであり、従来のようにゼネコンと組んでやれば、機能優先、デザインはそこそこという建物になって、こんな議論は起きなかった、という関係者も現れる始末。

 まさにアムステルダム国立美術館のリニューアル工事と同じような事態に陥りかねない状況になりかかったわけですが、伊東氏が、そうした記事を掲載した『河北新報』に対して、厳しい内容の「質問状」を送りつけたり、同紙も伊東氏の見解を大きく掲載したことなどから、反対論も次第に沈静化し、2001年1月の開館を迎えるに至りました。


(注)ここでは、伊東豊雄建築設計事務所編著『建築:非線形の出来事』(彰国社、2003年)などを参考にしました。

(3)この美術館の目玉と言えば、レンブラント作『夜警』でしょう。



 新しい美術館では、その中心的なところにこの絵が置かれることになっているようです。
 また、この映画の中では、レンブラントの絵自体はきちんと映し出されないものの、彼の前にも何作か同じ主題で描かれていて、そのうちの二つについて新しい美術館で展示すべきかどうか議論されたりします。



 ところで、レンブラントの『夜警』については、ピーター・グリーナウェイ監督が主題的に映画『レンブラントの夜警』(2007年)で取り上げています。



 同作品は、東京では、今は廃館になってしまったタカシマヤタイムズスクエア12階のテアトルタイムズスクエアで公開され、見に行った記憶はあるものの、登場人物の数が夥しく、かつ聞きなれない人名ばかりが飛び交うために、大雑把なストーリーを把握するのがヤットでした。
 現在ではDVDを借りてゆっくり見ることができますし、その際に入手した監督自身が書いた同名の小説(倉田真木訳、ランダムハウス講談社、2008年)をも参考にすると、この映画では、絵の中央に描かれている市警団隊長バニング=コックと、副隊長ライテンブルフ、それに団員のヨンキントが、前任者を追い出すべくヨンキントが手にするマスケット銃で射殺したことをレンブラントが告発しているとされます。
 一般には、前任のハッセルブルフ隊長は、銃の暴発の事故に遭ったとされ、レンブラントの告発も不発に終わりますが、この絵を制作したことをピークに、その後は公私にわたって下降線を辿ることになるようです。

 このグリーナウェイの映画は、レンブラントが、『夜警』を描くことで市警団の罪を告発しているのだという仮説を提示するものですが、他方で、ドキュメンタリー『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』は、図らずも、リニューアル工事の遅延の原因がどこにあるのかを告発している作品とも言えるかもしれません。

(4)映画評論家では福本次郎氏が、「美術品という目に見える部分しか普段注目されない美術館も、当然運営しているのは生身の人間。彼らがむき出しの感情で己の主張を繰り返す姿は、そこに展示されているアートよりも人間の本質に迫っている。その皮肉な結末こそがドキュメンタリーとしての面白さを加速させていた」として50点をつけています。



★★★★☆




象のロケット:ようこそ、アムステルダム国立美術館へ