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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

TVドラマ2題

2010年08月23日 | その他
 普段はTVのドラマは殆ど見ませんが、8月14日(土)の9時に放映されたものは2つとも見たので、その印象を以下に記してみます。

①『帰國』
 TBSのTVドラマ『帰國』は、取り敢えずVTRに収めて、翌日に見てみました。



 倉本聰の脚本(演出:鴨下信一)ですが、棟田博「サイパンから来た列車」(昭和30年)を元にしており、さらに富良野GROUPによる舞台公演も行われています。

 そういうこともあってか、靖国神社の前で彷徨っている志村伍長(ARATA)の台詞などは随分と新劇調な感じがしましたが(役者崩れの役だから仕方ありませんが)、それはさて置き、物語は、南の海で散った英霊が、終戦記念日の深夜、東京駅のプラットホームに65年ぶりに降り立ち、翌朝まで自分の好きなところに行って、日本の有様を目撃するというものです。
 こういう設定だと、大体のストーリーの展開振りは想像がついてしまうものながら、登場する俳優が、ビートたけし、小栗旬をはじめとして錚々たる顔ぶれであることもあって、2時間半もあっという間に過ぎてしまいます。

 また、舞台がどんなものなのかは知りませんが、今回放映されたものでは、TVドラマである点が十分効果的に使われていると思いました。
 たとえば、元早大野球部の投手だった竹下少尉(塚本高史)は、神宮球場に出向きますが、そこで行われた学徒出陣式の映像が流される一方で、現在のピッチャーマウンドに立つ姿も描き出されます。

 中で一番感動したエピソードは、音楽学校でチェロを学ぶ木谷少尉(小栗旬)とピアノを学ぶ洋子(堀北真希)との淡い恋物語でしょうか。木谷少尉が、宮澤賢治『セロ弾きのゴーシェ』の本のひらがなに符丁をつけて、戦地から思いを洋子に伝えるというエピソードには感動しました。
 また特に、洋子の65年後を演じるのが八千草薫ながら、英霊の役で登場する若い小栗旬と対峙しても、少しも遜色ないところは素晴らしいと思いました。 
 それに小栗旬も、今更ながら、なかなか演技力のあるいい俳優だなと感心してしまいました。

 ただ、八千草薫に、今の小学生は歌うことを忘れてしまい、教室で携帯電話をいじってばかりいるとの世相批判を言わせるのはどうでしょうか?確かに、今の小学生は、古臭い文部省唱歌は歌わなくなったでしょうが、カラオケの達者なことは目を見張らせますし、決して歌心を失ったわけではないと思いますが。

 ですがもっと問題だなと思ったのは、ビートたけしが絡むエピソードです。現役の上等兵としてかなり薹が立ちすぎているとは思いますが、それはさておき、彼が扮する大宮上等兵は現代で甥を刺殺してしまうのです。
 甥は財務研究所の所長(石坂浩二)ながら、大宮上等兵の妹(小池栄子)の息子で、妹が大変な思いをして育て上げたにもかかわらず、大学を出てからは母親のことを顧みず、その死に際しても冷たい態度を続けていたところ、大宮上等兵はそれに腹をたてて殺してしまうわけです。

 このシーンでは、ゴボウ剣を手にした大宮上等兵に向かい合った所長は、何らかの言い訳をすると思いきや、いともあっさりと刺されてしまいます。それだけでなく、刺殺されて亡霊となった所長が、亡霊となって彷徨う大宮上等兵に出会うのですが、「自分は何処で間違ってしまったのでしょうか?」とその答えを求めたりもするのです。
 ですが、戦後の混乱期を何とか乗り切って日本を豊かな国にするために自分は頑張ってきたのだ、そのためにできるだけ上の位について自分の考えを実現しようとした、そして地位を得るためには自分の親族のことをり知られたくなかったのだ(母親は浅草の劇場のダンサーでした)、云々といった弁解ぐらいは出来たでしょうに。
 むろん、だからといって親を見捨てることは許されるべきではないでしょうが、そこには他人が介入できない要因もありうるのではないでしょうか?
それを、なにか所長が悪い人間だからこんなことになったのだ、戦後社会がこんな悪い人間を生み出したのだ、というような一方的な物語の展開振りには、酷く違和感を覚えるところです。

 さらには、深夜東京駅に着いた英霊たちのトップである秋吉部隊長(長渕剛)は、ラストで、大体次のようなことを皆の前で述べます(必ずしも正確ではありませんが)。

 今の日本人は豊かさと便利さをはき違えているのではないか、確かに便利にはなっているが、それは出来る限り体力を使わないでサボるだけのことであって、便利だから豊かということではないのではないか、昔は「貧幸」ということを言ったが、無論「貧困」では困るとはいえ、貧しくとも幸せを求められるのだ。今の日本のような姿にするために我々は戦死したのではない。
 それに、財務研究所長の死をマスコミは大騒ぎしているが、一人の死にこれだけ大騒ぎしておきながら、数十年前の数十万人の死については、忘れてしまっている。南の海の底で眠る30万の英霊は、故国で人々が幸せな生活を送っているかをいつも気に懸けているのに対して。

 こう言う部隊長に対して、このドラマの狂言回し役の報道官(生瀬勝久)は、子孫のことをいくら考えても片思いにすぎない、と冷水を浴びかけせますが、この部隊長の言葉が今回のドラマのメッセージとして一般に受け止められることでしょう。
 そして、彼の言っていること自体はまさにその通りなのかも知れません。毎年8月15日の終戦記念日に先の戦争で戦死した人々のことを想うだけでは足りないのかもしれません。また、今の日本は、豊かだとは言いながらも、他方で格差社会で心の荒廃を招いてしまっているのも事実でしょう。

 ですが、それはそうだとしても、そのことを英霊に言わせるこのドラマの作りには大いに違和感を覚えるところです。
 秋吉部隊長は、我々は、戦死したときの心のママでいるのだと言います。
 そうだとすると、英霊たちには、帝国日本の敗戦といった事態が見えていたのでしょうか?徹底した空襲で焼け野原になってしまった日本から我武者羅に立ち上がざるを得なかった混乱した姿を予測していたでしょうか?
 彼らは、自分たちが出発した日本のその時の姿が一層発展することを夢見ていたのではないでしょうか?そうはならずに、そこに連合国による占領体制が敷かれ、すべてが占領軍によって管理されるという事態は、考えも及ばないのではないでしょうか?
 占領体制が終わった後も、日米安保体制が引き続いたのであり、そうした中でありながら日本は経済面では飛躍的な発展を遂げてきたのです。
 今や様々な問題が山積みになっていると思います。だからと言って、終戦から現在に至るまでの歴史的な経緯を全部ネグってしまって、いま目にする問題点だけを言挙げするという姿勢はどうなのでしょうか?

 いうまでもなく、これは英霊の問題ではありません。そういう英霊を呼び出しておきながら、現在の日本に至る様々な経緯を見事にすっ飛ばしてしまって、英霊と今の日本を単純に対峙させるドラマが作られてしまったことに違和感を覚えてしまうのです。
 このドラマの脚本を書いた倉本聰氏は、「経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか」と述べていますが、それは倉本氏自身の心からの思いだとしても、果たして英霊らの思いとまで言えるのでしょうか(注)?

(注)このドラマを演出した鴨下信一氏は、東京新聞に掲載されたインタビュー記事において、「あまり現代への絶望にしたくない」としながらも、「僕らの周りには霊がいっぱいいる。常に霊に見られているという自覚があれば、もう少し品格が正しくなると思うんだ。霊は怒らないけど、免罪符にはならない。もっと繊細な神経で霊たちの考えを受け止めてやる必要がある、それが僕の考え方ね」と述べているところからすれば、脚本の倉本聰氏とそれほど違ったところにいるとは思われません。


②『夏子と天才詐欺師たち』
 朝日放送のTVドラマ『夏子と天才詐欺師たち』は、上記のドラマと同じ時間に放映されたため、こちらはオンタイムで見ました。



 配役陣が揃っているので、キット面白いドラマに違いないと思ったからですが、特に、最近は地味な役柄が多い鈴木京香の出演が注目されました。

 話としては、悪徳な銀行支店長などを懲らしめるべく、教会牧師を表稼業とし、裏では詐欺師として振る舞っている権藤をリーダーとする詐欺師たち(チームゴンドウ)が、彼らを罠に嵌めて懲らしめるという痛快ドラマです。

 ただ、主演は岸部一徳の権藤ではなく、藤山直美の夏子。
 町工場経営者の娘の夏子は、万引を懺悔したことから権藤を知り、家の窮状を訴えます。なんと父親は、銀行から2,000万円借りたはずなのに、4,000万円借りたことになっていて、それをすぐに返済しないと担保の工場を処分すると銀行に通告されます。
 権藤らがよく調べると、支店長は、2,000万円を自分の女に迂回融資すべく、夏子の父親の借金に上乗せしたことが分かります。
 そこで、権藤は、結婚詐欺師の富士子(鈴木京香)らを集め、ニセの会社を立ち上げ、そこに銀行から5,000万円の融資をさせ、得たお金で父親の債務を解消させると共に、支店長を奈落の底に突き落とします。
  
 タイトルには「詐欺師」(ドラマの中では「グリフター」と自分のことを呼んでいます)とあり、ドラマで描かれるのも架空の会社への銀行融資ですから詐欺には違いありません。ですが、チームゴンドウは、実際には正義の味方というわけです。中村主水の“必殺シリーズ”的なシチュエーションといえるでしょう(無論、支店長を殺すまでには至りません)。
 そこには何の問題もありません。ただ、もう一つのエピソードでも銀行の頭取が悪役であり、上で紹介しましたエピソードと同様に、彼を懲らしめる筋立てになっているのは如何なものかと思いました(尤も、中心的に描かれるのはベンガル扮する国会議員ですが)。
 そんな展開では、2つとも類似したシチュエーションになってしまい、ドラマがダレてしまいます。
 さらには、江戸時代の悪徳代官とか悪徳商人に代わる者が、現代の銀行支店長とか銀行頭取というわけでしょうが、今の時代、もっと違った悪も横行しているのではないでしょうか?

 加えて、中村主水の同心に対応する権藤の表の職業が教会の牧師であり、夏子の懺悔を聞くのが物語の切掛けというのも、ヤヤ違和感があります。
 まあ、このところ映画『告白』が大ヒットしましたし(と言って、別に主人公は牧師に「告白」するわけではありませんが)、昨年注目された『愛のむきだし』の前半では、主人公が父親の牧師に懺悔するというシーンが何度も出てきましたから、その流れからすれば特段のことはないかも知れません。
 でも、韓国と違い、日本社会では教会が生活の中で占める割合はごく小さいのではと思えるところです。

 あるいはこのドラマでは、岸部一徳を巡る二人の女の物語という面を見るべきなのかも知れません。
 行かず後家の夏子は、格好良い権藤に簡単にマイッテしまいます。また、富士子は以前から権藤のことを愛してきたようです。こうなると三角関係の泥沼となりそうですが、「グリフター」なら恋愛関係は御法度という厳しい掟があるために、結局、権藤は拠点にしていた教会からも姿を消してしまいます。
 岸部は、現在63歳で髪の毛もかなり薄くなっているものの、以前見たことのあるドラマ『まだそんなに老けてはいない』(2007年テレビ朝日)のタイトルのように、まだまだ活躍中で、二人の女性から愛されるモテモテの男性という役柄も結構でしょう。
 ですが、そのドラマのように薄汚い陰の部分を持っている役(主役の中村雅俊を、一種の罠に嵌めたりします)でないと、彼の本領が十分に発揮されないのでは、とも思いました。
  今回の役は、「グリフター」という陰の部分はあるものの、実際には正義の味方ですから、薄汚くはありません。とはいえ、岸辺一徳の醸し出す雰囲気は、裏稼業を持った牧師という役柄にフィットしているのかも知れません。現代版中村主水として、これからも十分通用するのではないでしょうか?

 注目した鈴木京香ですが、まだまだ美人俳優として十分やっていけることを示しましたし、権藤と夏子が接近しすぎることにブレーキをかけたり、とはいえ「グリフター」には恋愛が御法度だということを自分に言い聞かせたりと、なかなか複雑な性格を持った役柄を大変うまくこなしていたと思います。
 とはいえ、結婚詐欺師という役柄は、今回のドラマでは十分に活かされていなかったように思われます。続編が期待されるところでしょう。

 主人公の夏子役の藤山直美は、さすが演技は手慣れていて安心できるとはいえ、主役としてTVでその顔を何度も見たい俳優ではありません(泉ピン子と同様!)。やはり舞台俳優として活躍すべきではないでしょうか?
 とはいえ、実直な夏子と手練手管に長けた権藤とのやりとりは、関西漫才も顔負けの可笑しさで、今更言うもなんですが、さすが寛美の娘と思いました。



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TBありがとうございます (みっきー)
2010-08-23 09:58:44
管理人さま、こんちには。

いつもTBありがとうございます。
ドラマ『帰國』について、共感するブログが殆ど無い(笑)ので、興味深く拝読させていただきました。
なかなかわかっていただけませんね。

これからもよろしくお願いします。
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