孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国  文革をも想起させる薄熙来氏の解任をリードした、改革路線・温家宝首相の最後の執念

2012-03-23 21:02:40 | 中国

(料理を披露する温家宝首相 災害被災地訪問などで庶民的・ソフトなイメージはあるのですが、改革に向けた実績となると、疑問視する声もあります。今回の政変の裏に、実績を残せなかった忸怩たる思いの温家宝首相の執念があった・・・との報道があります。 “flickr”より By guanhualoveyou  http://www.flickr.com/photos/25372570@N04/3228032279/

意外に早かった決着
腹心とされていた、暴力団撲滅キャンペーンを指揮して辣腕をふるっていた重慶副市長・王立軍氏の解任、亡命を希望したとも言われているアメリカ総領事館への駆け込みで、中国の次期最高指導部入りを目指していた薄熙来(はくきらい)政治局委員(62)の処遇が、中国共産党内の権力闘争、路線対立も絡み注目されていました。

党大会を前に、大きな変動を表面化させずに“手打ち”が行われるのでは・・・といった観測もありましたが、15日、薄熙来氏は突然、重慶市トップの共産党委書記を解任されました。
 
予想外に早い、しかも薄熙来氏の失脚というはっきりした形での決着でしたが、“党指導部が10年ぶりに世代交代する秋の党大会を前に、水面下で権力闘争が激しさを増しているとの観測も強まる一方、胡錦濤指導部が権力移譲を円滑に進めるため党内対立の火種を取り除いたという見方もある”【3月16日 毎日】とのことです。

解任後の薄氏の動静は明らかではなく、すでに拘束されたとのうわさも流れていますが、党関係者はこれを否定しているそうです。ただ、薄氏の妻には、知人のマフィア関係者に捜査情報を漏らすなどした見返りに謝礼をもらった疑いも取りざたされており、薄氏と妻は解任前日の3月14日から、副市長の事件にからむ参考人として党中央規律検査委員会の任意の事情聴取を受けているとも報じられています。【3月23日 朝日より】

共産党内の権力闘争という観点では、エリート集団でもある共産主義青年団(共青団)出身者を中心とした胡錦濤国家主席のグループと、高級幹部子弟である習近平国家副主席ら「太子党」グループや、江沢民前国家主席のグループの確執が取り沙汰されていますが、これもよく指摘されるように、そもそも太子党という組織があるわけではなく、こうした見方には注意も必要です。

ただ、改革の重要性を認識する共青団出身者と、市場よりも国家の機能を重視し、革命歌を歌うキャンペーンが展開するなど復古的な側面がつよく、ニューレフトの旗手ともされた薄氏とは、路線的にも差異がありました。
今回の政変・人事で、胡錦濤国家主席のグループが勢いを増し、同じ「太子党」の大物とされていた薄氏を失った次期国家主席習近平氏にとっては痛手となったと見られています。

【「温は自らの辞任をちらつかせて薄の解任を引き出したのではないか」】
国家の機能を重視し、復古的な大衆動員で、毛沢東時代あるいは文化大革命時代をも彷彿とさせる薄氏と政治路線的に最も激しく対立していたのは、これまで政治改革の必要性を繰り返し主張し、天安門事件で失脚した趙紫陽前総書記の秘書役でもあった温家宝首相です。

薄氏解任の前日、全人代閉幕後の記者会見で、「歴代の重慶市政府と多数の人民は改革に向けて大きな努力を払い、顕著な成果を収めた。だが、現在の重慶市党委と市政府は反省し、事件から教訓をくみ取らなくてはならない」と、薄熙来氏が特定される形での異例の批判を行い、また、「改革は強固な城壁を攻略する段階に入っている。政治体制改革が成功しなければ経済体制改革は徹底できない。これまでの成果も失われ、文革の悲劇が繰り返される恐れがある」と、文化大革命再来の危機を強く訴えていました。

突然とも見える薄氏解任の決定の裏には、温家宝首相が自らの進退を賭ける形での強い要求があったとも報じられています。これまで改革を訴えてきたものの実績を示せなかった温家宝首相が、退任が近づいたこの時期、最後の執念で、復古的かつポピュリズム的な“ニューレフト”薄氏の解任をリードしたというものです。

****温家宝の「口撃」で重慶トップが突然解任 共産党指導部の路線対立は中国を不安定化させるのか****

10年にわたる任期を今年秋に事実上終える中国の温家宝首相。
先週開かれた全国人民代表大会(全人代)閉幕後の記者会見は、引退前の晴れ舞台になるはずだった。ところが異例の3時間に及んだ会見はただのセレモニーでは終わらなかった。温か最後の質問で突然、「口撃」を開始したからだ。

その狙いは、側近のアメリカ総領事館駆け込み事件で責任追及されていた重慶市共産党委員会書記の薄煕来。温は「現在の重慶市党委員会と市政府は反省し、真剣に事件から教訓を学び取らなければならない」と、名指しこそしなかったが、誰もが分かる表現で薄を強く批判した。

党の団結を何より重視する共産党幹部が、別の幹部を直接批判するのは異例中の異例。共産党幹部の子弟「太子党」のメンバーでもあり、秋の党大会で最高指導部入りするとみられていた薄は、スキャンダルの中にあっても党最高指導部の中に根強い支持勢力があるとされてきた。

しかし会見の翌日、薄は共産党中央によってあっさりと重慶市書記を解任された。全人代の期間中、共産党最高指導部で汚職問題を担当するメンバー2人が薄を訪れ、重慶市の取り組みを評価していた。これは、薄が清廉であるという党中央のアピールにほかならない。薄を追及しない方向でまとまっていたはずの指導部が、なぜ土壇場で方向転換したのか。

リベラルな共青団の対抗
そのキーマンこそ、記者会見で薄を攻撃した温だ。消息筋によれば、薄の解任は事前に決まっていたのではなく、温の会見終了後の今月H日午後4時に聞かれた党中央の会議で決定した。「温は自らの辞任をちらつかせて薄の解任を引き出したのではないか」と消息筋は言う。「首相より、重慶市トップのクビを飛ばすほうがずっと簡単だ」

温の放った突然の一撃が、共産党を揺さぶる歴史的事件であることは確かだ。この解任劇をきっかけに、共産党指導部内で激しい路線闘争が起きる可能性があるからだ。党中央の肩書こそ残されたままだが、薄の最高幹部への出世の道はこれでおそらく断たれた。薄の昇格がなくなることで、空いたポストをめぐって争いが起きかねない。

温か解任への流れをつくったのは、薄が進めてきた共産党統治の正統性をうたい上げる「唱紅歌(革命歌を歌おう)」運動に強い危機感を持っていたからだとみられている。
薄は資本主義がもらたす経済的な不平等を批判し、国家が経済で果たす役割を拡大すべきだと主張。文化人革命時代のように革命歌を歌わせるだけでなく、テレビCMの放送を禁止するといった極端なやり方を推し進め、党内の「ニューレフト(新左派)」陣営の論拠になってきた。

「温は薄のポピュリズム的手法に危機感を持っていたのではないか」と、中国人政治学者の趙宏偉は言う。「文化人革命が間違いだと知りながら、国民をだますためその手法を利用するのは悪質だと考えていたはずだ」 薄らが推し進めてきた社会主義への回帰路線に対抗するのが、共産主義青年団(共青団)系の幹部たちだ。胡錦濤主席や次期首相に就任するとみられている李克強副首相らが属する共青団は比較的リベラルで、政治改革の必要性を理解している人物が多いとされる。

改革に対する共青団の理解を示すのが昨年秋に広東省鳥炊村で起き、世界的にも話題になった事件だ。村の党幹部による不正に怒った村民が村を封鎖。中国では地方住民の不満を警察がねじ伏せるのが一般的だが、鳥炊では逆に党幹部が更迭され、今月初めには新しい指導部を選ぶ村民選挙が実施された。鳥炊村のある広東省トップを務めているのが、共青団のメンバーである汪洋だ。

汪洋は薄煕来のライバルで、次期最高指導部入りを競っていたと言われる人物。これに対して、次期トップと予想されている習近平国家副主席(薄と同じ太子党)は10年末に重慶に足を運び、薄の政策を称賛していた。

「既に深刻な路線対立が起きつつある」と、趙は言う。「何年もかけて築き上げた人事案が崩れると、バランスを取り戻すのはそう簡単ではない。それにここ数年、胡錦濤の調整能力は弱まっている」
会見で温か突然、薄批判を始めたのは、退任が間近に迫った胡の影響力が落ちている証拠でもある。温は常套句である「胡錦濤同志」や「党中央」という言葉を使わず、終始「私」という1人称で語り続けた。

闘争も「コップの申の嵐」
温が胡ら党幹部に冷ややかな態度を取るのはなぜか。期待されて登場しながら、党内のさまざまな抵抗でまともな改革をほとんど実現できず、揚げ句に国民から「庶民への親しげな態度は演技だ」と、「影帝(映画スター)」呼ばわりされる状況へのいら立ちからだ。このままでは温は「何もできなかった総理」として歴史に名を残すことになる。
しかし「ポピュリズムで国を混乱に陥れかねない薄の中央進出を食い止めた」とされれば、マイナス評価は一変する。

薄は葬り去ったが、これで温か権力闘争に勝利したわけではない。もともと派閥を持たない彼は、今回の一件によって政治局内で決定的に孤立するとみられるからだ。
もっとも権力闘争が激化しても、中国がすぐに不安定化するわけではない。太子党も共青団も、共産党による統治を変えるつもりがない点では一致しているからだ。仮に行政の末端レベルで民主選挙が広がったとしても、共産党が各行政府の上部機関として命令を下す構造が変化しなければ、結局は路線対立も「コップの中の嵐」にすぎない。

コップの中で争いはしても、コップそのものを壊す共産党幹部はいない。温にしてもそうだ。彼は、89年の大安門事件で民主化運動に理解を示したため党総書記を解任された趙紫陽の秘書役を務めていた。趙に付き添って、学生の説得のため大安門広場に行ったことが知られている。
ただ趙が解任された後も、温は後任の総書記である江沢民の秘書役を務め続けた。温か生き残ったのは大安門広場に行く直前、最高指導者だった郵小平の側近に趙の広場行きを通報したからだとされている。

今回の解任劇が大事件であることに変わりはない。ただこれで共産党の強権支配が大きく揺らぐことはないだろう。【3月28日号 Newsweek日本版】
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温家宝首相の強い薄氏解任要求に、薄氏とは政治路線的に差異があり、権力闘争的にも薄氏と利害が対立する胡錦濤国家主席がゴーサインを出し、次期国家主席就任という大事を前にした習近平氏も敢えて争わなかった・・・というところでしょうか。

なお、香港誌・亜洲週刊の最新号は、中国重慶市当局が同市を近年訪れた習近平国家副主席ら中央指導者に対して盗聴を行っていたと報じ、重慶のさまざまな問題の中でこの盗聴が「中央指導部を最も怒らせた」とも報じています。真相はわかりません。【3月23日 時事より】

天安門事件再評価を巡る対立も
一方、温家宝首相と薄熙来氏の天安門事件再評価を巡る対立も報じられています。
****中国:温首相に薄氏が猛反発 天安門事件再評価めぐり****
民主化要求運動を武力鎮圧した中国の天安門事件(1989年)について、温家宝首相が共産党指導部の非公式会議で再評価を提案したところ、薄熙来(はく・きらい)・前重慶市党委書記(政治局委員)が強く反発したと、英紙フィナンシャル・タイムズが20日伝えた。こうした温首相と薄氏の対立が15日の薄氏の解任公表につながった可能性もある。

報道が伝えた党幹部の話によると、温首相はここ数年間の会合で3度にわたり、事件の再評価を提案したが、すべて強い反発に遭った。最も激しく反発した幹部の一人が薄氏だったとしている。
保守派の薄氏の父は、共産党の長老で副首相も務めた薄一波氏(2007年死去)で、天安門事件の際には当時の最高指導者・トウ小平氏に軍を出動させるよう働きかけた。

温首相は、事件で学生らに同情的な姿勢を示して失脚した趙紫陽元総書記(05年死去)の元側近で、政治改革をこれまで再三訴えてきた。こうした背景から、温首相が天安門事件を話題にするたびに指導部内で意見が対立していた模様だ。

中国政府は天安門事件について、公式的には「政治風波(騒ぎ)」と評価し、武力鎮圧を正当化している。【3月22日 毎日】
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天安門事件武力鎮圧を正当化する共産党の評価が変わるとも思われませんが、共産党トップの間で再評価に関する議論が行われていたこと自体、非常に興味深いことです。

【“コップの中で争いはしても、コップそのものを壊す共産党幹部はいない”】
今回政変を受けて、共産党指導部は監視活動強化で事態鎮静化に乗り出しています。

****中国、検閲や盗聴強める 重慶事件受け引き締め指示****
中国共産党が、指導部への忠誠を求める6項目の内部通知を党内各部門に出したことが分かった。
重慶市副市長の米総領事館駆け込み事件で同市書記の薄熙来(ポー・シーライ)氏を解任したことを受け、党内で広がる動揺や反発を抑え込むための異例の指示。検閲や盗聴などの監視活動を強めることも盛り込まれている。

通知は、薄氏が解任された15日付で、胡錦濤(フー・チンタオ)総書記直属の秘書室に相当する党中央弁公庁から、政府や軍、大学などの党組織に出された。薄氏は党のトップ25人から成る政治局のメンバーを兼ねる高官であり、その突然の書記解任には一部の幹部の間で反発の動きがある。この広がりを抑え込み、政権の不安定化を避けようとの狙いだ。胡指導部が事態を極めて深刻に受け止めていることの表れともいえる。

通知は、今回の事件を「新中国始まって以来の複雑かつ深刻な事件」と位置づけた。そのうえで、薄氏の解任について「安定した改革と発展を進め、党と政府の尊厳を守るのに有益」と正当性を強調。「個人が党の力を超える独断専行をしない」とし、薄氏が指導部の路線と一線を画した独自の政治運動を重慶で展開したことを暗に非難した。

また、事件による政治的な余波の広がりを食い止めるため、「ネット上に広がる悪質なデマやあおるような書き込みを削除する」と引き締め策を提示。世論を「正しく誘導」する必要性を訴えたうえで、「盗聴と検閲を強める」とした。党に批判的な外国出版物の国内流入を厳しく取り締まることも訴えた。

一方、「重大な問題の決定は、党中央と完全に一致させねばならない」として、幹部への思想教育の徹底も指示。時間がかかっても市民に評価してもらうような正しい政治的な業績を得る努力をすることなどを求めた。【3月23日 朝日】
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“コップの中で争いはしても、コップそのものを壊す共産党幹部はいない”ということで、共産党一党支配という“コップ”は当分割れそうにないようです。

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