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(ブドウ棚越しに見るトルファン賓館)
【「今は平和です」】
14日から中国を旅行中です。
上海、銀川(寧夏回族自治区、かつての西夏王国の首都)を経て、今回旅行の目的地である新彊ウイグル自治区のトルファンに来ています。
トルファンはシルクロードのオアシスとして栄えた都市で、新彊の中心都市ウルムチの東183kmにあって、トルファン盆地という世界有数の低地にあるため、夏は50℃近くまで温度が上がる灼熱の“火州”でもあります。
内陸ですから、冬は氷点下15℃近くにまでなりますが、今の時期は、昼間は二十数度といったところで、比較的しのぎやすい気温です。
歴史的には、5~7世紀に漢族の移民によって高昌国(こうしょうこく)が建設され、その後唐の直接支配を経て、ウイグル人による西ウイグル王国が建設されています。
新彊では、09年にはウイグル族と漢族の対立による暴動によって150名前後の死者も出る混乱が報じられていますが、そうした漢族の移民、ウイグルと漢族のせめぎあいは今に始まった話ではありません。
(ガイド役のウイグル人に今の状況を尋ねると、「今は平和です」とのこと)
観光的にはトルファンは、かつての高昌国当時の大規模遺跡(都市がまるごと遺跡として残存じています)、千仏洞のような仏教遺跡に加え、ウイグル族のイスラム文化、砂漠のオアシスとしての風情なども加わって、非常に魅力的なスポット・見所が溢れています。
個人的には、トルファンの観光資源は、これまで旅行した中国、東南アジア、インド圏のなかでも、最高とも言えるレベルだと思っています。
【21年前、別天地の“オアシス”】
トルファンには、天安門事件の2年後、21年前に訪れたことがあります。
当時、事情あって11年間勤めた仕事をやめ、2回目の大学で学生生活を送っていました。
そんな訳で“夏休み”という時間がありますので、神戸から船で上海に渡り、西安、敦煌などを経て、ウルムチまで25日ぐらいかけてシルクロードを旅しようというものでした。
ただ、無収入の時期ですから、極力出費は切り詰めた貧乏旅行でした。
移動は飛行機ではなく、鉄道。街の中ではタクシーではなくバスか歩き、ホテルはドミと呼んでいた数人の相部屋・・・といったところです。
大学の教養課程で中国語を学んではいましたが、当然役には立ちませんので、筆談を交えながらの貧乏旅行は、かなりしんどい旅でもありました。
上海では、あてにしていたホテルが満員で、船の中で知り合った若い連中数人と泊まる場所を探して右往左往。
上海からは一人で西安に向けて、数十時間の汽車の旅。
西安では、タクシー代を惜しんで歩き回っていたら、疲れと空腹でふらふらになったことも。
西安から、やはり鉄道で河西回廊に入ります。
酒泉では、到着前に激しい腹痛に襲われ、汽車から降りると駅前の公衆便所の前で地面に転がっていました。
駅の女性職員や近くの医者の親切でなんとか回復、そのまま旅を続けます。
敦煌では、汽車の切符が入手できず、超有名な壁画見物もそこそこに、どうやってこの先に進もうか・・・と悩みます。
やっとの思いで汽車に乗れたものの、満員の汽車には座席はなく、車両連結部分にようやく場所を見つけます。
そこは、トイレから水が溢れ出てきて、乗客がごみ捨てや子供の用足しに使うような場所でした。
バッグを抱えてうずくまっていると、女性車掌に「邪魔だ」と背中を蹴られたことも。
そんな状況が次の目的地トルファンまで二十時間ぐらい続きました。
何度も途中で降りようかとガイドブックの地図をにらみながらも、隣のウイグルのおじいさんにタバコをもらったりしてなんとか耐えて、ついにトルファン着。
しかし、夜明け前で真っ暗。
駅前にいた解放軍兵士風の男性にトイレを尋ねますが、なかなか通じず、十数回、中国語で「トイレ、トイレ」と繰り返します。
ようやく見つかったトイレは、当時の中国を旅行したことがある方ならわかる、筆舌に尽くしがたい汚さ。足元の“ぬるぬる”と、背中のバッグの重さで、危うくトイレの穴に落ちそうになるという恐怖体験も。
トルファンの駅は市街からは60kmも離れており、バスで移動する必要があります。
バスターミナルの場所など知る由もありません。
真っ暗の中、地元の人がある方向にぞろぞろ行くので、後についていきます。
本当にトルファン市内に行くのか、よくわからないまま、ようやくバスの切符をゲット。
でもバスも満員。市内まで2時間近くかかりますが、大きな荷物を抱えて汗だくで立っていると、隣の女性から「ちょっと、汚いじゃない。そんな汗をかいた腕をくっつけないでよ!」なんて怒られます。
そんなこんなで、降り立ったトルファン。夜も明けたトルファンの街は、通りをブドウ棚が覆い、まさに“オアシス”の雰囲気。
宿はトルファン賓館のドミ。
ドミの相部屋客も日本人学生で、昼近くなると連れ立ってブドウ棚を通って、近くの食べ物屋へ。
通りに出した椅子でヨーグルトなどをすすっていると、それまでの旅の苦労に比べると、別天地の“オアシス”の穏やかさでした。
夜には、ホテルの庭のブドウ棚の下で、ウイグルの伝統舞踊のショーが行われます。単なる観光客向けのショーですが、当時の私には、異国情緒溢れる素晴らしいひとときでした。
トルファンでの数日後に移動した、旅の最終地ウルムチはあまり印象の良くないことも多くあって、この21年前の旅のなかでは、トルファンは燦然と輝いている思い出のです。
そして、その後経験した多くの旅行を含めても、一番の思い出の街です。
【「人生、何とかなるものだ!」】
今から思うと、よくもあんな旅行を計画したものだとも思いますが、このときの旅行をなんとか終えることができ、「人生、何とかなるものだ!」という思いを持ったことも事実です。
また、その後の海外旅行癖の出発点ともなる旅でした。
結果的に、海外の話題を扱ったこのブログの出発点も、この21年前の旅にあったと言えます。
21年ぶりのトルファンは、当然ながら様変わりしています。
街全体が大都会に変貌しています。
以前ロバ車がのんびり走っていた通りは、車が激しく行きかっています。
ブドウ棚の通りもすっかり小奇麗に整備されています。
ブドウの葉が少ないのは、季節的なものでしょう。
以前宿泊したトルファン賓館もすっかり新しくなっています。
変わったのはトルファンだけでなく、私も変わりました。
ジーンズにTシャツは以前のままですが、はみ出したおなかの肉は隠せません。
節約を旨とした一人旅は以前のままですが、さすがに今はお金よりも時間ということで、飛行機が使えるところは飛行機で移動。
ホテルも安宿を探しますが、当然個室でエアコン付きでないと・・・、できればWiFiが使える部屋で・・・。
そんな時間のながれを思いながら、しばしトルファン賓館前の葡萄棚でたたずみます。
あれからも紆余曲折はありましたが、何とかこの歳になるまでこぎつけました。
あと数年もすれば年金も。(年金制度が崩壊しなければ・・・ですが)三食のところを二食にすれば、食べていくことはできそうです。
「人生、何とかなるものだ!」・・・・ということで、もうしばらく「加油!」(がんばれ!)