孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

「許容」された香港かぜによる死から50年、「許容度」が低下した新型コロナ 一方でマラリアなどは「許容」

2020-05-03 23:18:03 | 疾病・保健衛生

((イギリスで香港かぜにより3万人以上が亡くなった)1969年、ロンドンのオフィスで仕事するマスク着用の女性たち。当時は対人距離の措置は講じられなかった。【4月27日 WSJ】)

【繰り返されるパンデミック】
欧米などではピークを越えた国も増えてきた新型コロナの感染拡大は、全世界的には依然高い水準にとどまっています。感染者数は330万人を超え、死者は約24万人。

“欧米の一部で経済活動を再開させる動きが広がるが、世界全体の感染者の増加数は1日当たり8万人超(1日)と高止まりしている。”【5月3日 読売】

人類はこれまでに多くの感染症パンデミックを経験しています。

代表的なものでは、世界の歴史を変えた中世欧州におけるペスト(黒死病)
“14世紀に起きた大流行では、当時の世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計されている。ヨーロッパでは、1348年から1420年にかけて断続的に流行。

ヨーロッパで猛威をふるったペストは、放置すると肺炎などの合併症によりほぼ全員が死亡し、たとえ治療を試みたとしても、当時の未熟な医療技術では十分な効果は得られず、致命率は30%から60%に及んだ。

イングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し、全滅した街や村もあった。ペストによってもたらされた人口減は、それまでの社会構造の変化を強いられる大きな打撃を与えた。”【ウィキペディア】

世界大戦より多くの犠牲者を出したインフルエンザのスペインかぜ
“1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。

死者数は1,700万人から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の1つである”【ウィキペディア】

近い所ではコロナウイルスによるSARAやMERS。

【“医師も市民も、宿命として死を受け入れていた”50年前の「香港かぜ」】
一方、あまり言及されることが少ないのが、わりと近年の1968年から2波に及び、米疾病対策センター(CDC)によると死者は推定100万人とされるインフルエンザの香港かぜ。

香港かぜは日本でも流行し、13万人が感染し、1000人がなくなったとも。(海外邦人医療基金HPより)
しかし、自分自身の記憶でも、香港かぜで社会が騒然とした・・・といった記憶は全くありません。

下記の感染症情報センターの説明も実にあっさりとしたものです。

***** 香港インフルエンザ(1968-1969)****
1968年に始まった香港インフルエンザは、アジアインフルエンザよりさらに軽症であったと考えられています。

初期の国際的な伝播はアジアフルに類似していましたが、世界のいずこでも臨床症状は軽く、低い致死率でした。

ほとんど国では、その前のパンデミックにみられたような爆発的なアウトブレイクはなく、流行の伝播は緩やかで、学校での欠席や死亡率に対する影響は非常に少ないか、全くありませんでした。

そして、医療サービスへの負荷もほとんどみられず、インフルエンザに起因する死亡は、実際前年の季節性インフルエンザよりも少数で、世界での超過死亡は約100万人でした。【国立感染症研究所 感染症情報センターHP】
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ただ、日本の1000人というのは現在大騒ぎしている新型コロナの2倍ほどですし、欧米では現在の医療崩壊にも似た、病院に遺体が積み上げられたり、地下鉄のトンネルに安置されるような状況にもあったとのことです。

****忘れ去られたパンデミック、コロナ危機への教訓 ****
1960年代終盤に世界を襲った香港風邪はワクチンが開発されるまで3年以上、猛威を振るった
 
中国を発生源とするその疫病で、最終的には世界で100万人以上が死亡、このうち米国では10万人余りが命を落とした。 
 
この新型ウイルスにより、ニューヨーク市は非常事態を宣言。ベルリンでは、あまりの死者の多さに遺体が地下鉄のトンネルに安置された。

ロンドンの病院は機能不全に陥り、フランスの一部地域では労働者のおよそ半分が病床に伏した。急性肺炎の患者は人工呼吸器が施されたが、多くの場合、無駄に終わった。1960年代終盤に世界を襲った香港風邪(インフルエンザ)だ。 
 
香港風邪は3年以上にわたり猛威を振るったが、現在ではほぼ忘れ去られている。それは、われわれの耐性の強さ、そして社会が目下、同じような危機に対して全く異なる方法で臨んでいることの証しでもある。 
 
アンゲラ・メルケル独首相、ボリス・ジョンソン英首相、エマニュエル・マクロン仏大統領は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)について、戦後最大の試練だと述べている。マクロン氏はウイルスとの「戦争」とも表現した。 
 
だが、科学者や医師らは、香港風邪の方が比較対象として適切だと指摘する。被害がより大きく、記憶にも残っている1918年のスペイン風邪(インフルエンザ)とは異なり、香港風邪は現代に起こった出来事であるため、現在の危機において教訓になるという。だが、その中身については、専門家の意見は分かれている。 
 
インフルエンザウイルスH3N2が引き起こす香港風邪は、2段階で世界を襲ったが、第2波の方がはるかに深刻な被害をもたらした。

スペイン風邪や1957年のアジア風邪(インフルエンザ)などの研究を基に、比較的早い段階でワクチンが開発されたが、大半の国が第2波を迎えるまでに、広く行き渡ることはなかった。 
 
疫学者はここにきて、新型コロナでも同じパターンになる恐れがあると警告。ワクチンがまだないとみられる今冬に第2波に見舞われるシナリオを警戒している。

だが今回のコロナ危機で、政府や社会は60年代終盤とは大きく異なる対応を行っている。 
 
1969年には、香港風邪流行による従業員の欠勤で、英国では郵便・鉄道サービス、フランスでは製造業に多大な支障が生じた。西ドイツでは、葬儀屋の不足により、ゴミ清掃員が遺体を埋葬しなければならなかった。 
 
香港風邪に見舞われた国では、教師が病に倒れ、休校となるところもあった。最近の推測では、2年足らずで、フランスと英国では3万人以上、東西ドイツではあわせて最大6万人が死亡したとみられている。 
 
医師によると、当時、英国の統治下にあった香港で最初に確認されたため、地名に因んだこのインフルエンザは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)よりも致死率は低いが、感染の広がり方は非常に似ている。 
 
だが当時の政府やメディアは、国民の生活や経済活動を制限することは要求しなかった。そのため感染拡大から約4カ月後にワクチンが開発されるまで、ウイルスはほぼ全く制御されることなく拡散していった。 
 
これは、ウイルス封じ込めに向け、都市封鎖措置などを導入している現在のコロナ危機対応とは極めて対照的だ。厳しい制限措置や徹底した報道により、新型コロナは人々の生活の中心にある。 
 
報道各社は1968~70年に、香港風邪に多大な関心を向けることはなく、むしろ人類の月面着陸やベトナム戦争に加え、公民権運動、学生デモ、性の解放といった文化面での大変動を伝えていた。 
 
香港風邪が大流行していた1969年に医師としてのキャリアを歩み始めたフランスのピエール・デラモニカ氏は、勤務先の仏南部の病院に遺体が積み上がっていたと当時を振り返る。だが、医師も市民も、宿命として死を受け入れていたという。 
 
ミネソタ大学グローバル研究所のスーザン・クラッドック教授は、香港風邪の致死率が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)よりもはるかに低いと指摘する。

24時間態勢のメディア報道やソーシャルメディアなどが市民の心配をかき立てることもなかったため、当時の政治家は今よりも行動するよう圧力がかからなかったと話す。

パンデミックを専門とするドイツの歴史学者マルテ・ ティエッセン氏は、香港風邪で犠牲になるのは高齢者か非常に若い層だけだとして、当時の独政府が香港風邪の致死性を重くとらえていなかったと指摘する。
 
同氏は「現代では、医学の進歩により平均寿命が延びた」と指摘。それにより、人々の安心感を高める一方で、ぜい弱な層を中心に疫病や死に対する許容度が低下したと話す。
 
1960~70年代は、まだ第2次世界大戦の悲惨な体験が記憶に新しかった。平均寿命も現在より大幅に短く、ポリオ、ジフテリア、はしか、結核などの疫病は生活の一部だった。(中略)
 
米疾病対策センター(CDC)によると、香港風邪の死者は推定100万人。バーヤム氏は香港風邪の教訓から、各国政府には十分な備えと迅速な行動が求められていると述べる。だが、同氏の目には、技術発展への過信が危機の記憶を薄れさせていると映る。
 
欧米の文化では現代のパンデミックよりも、中世時代に欧州で大量の死者を出した黒死病の方が大きな位置を占めている。スペイン風邪に関する著作があるローラ・スピニー氏はこう指摘する。「これは問題だ。過去の記憶がなければ、将来に備えることなどできない」【4月27日 WSJ】
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上記記事は比較的近年のパンデミックである香港かぜが忘れ去られ、教訓として生かされていないことを指摘していますが、個人的に興味深いのは、同じような多数の犠牲者を出しながら、香港かぜは社会的にも、政治的にも「受容」され、当時の政府やメディアは、国民の生活や経済活動を制限することは要求しなかったという点です。

“医師も市民も、宿命として死を受け入れていた”
“24時間態勢のメディア報道やソーシャルメディアなどが市民の心配をかき立てることもなかったため、当時の政治家は今よりも行動するよう圧力がかからなかった”

忘れ去られるほどに、淡々と感染が広がり、人々は一定に死を受容した当時と今は何が変わったのか?

“1960~70年代は、まだ第2次世界大戦の悲惨な体験が記憶に新しかった”・・・・そうなのか?
当時私は中学生ぐらいで、当然大戦の記憶もありませんが、社会の雰囲気はすでに完全に「戦後は終わった」状況でした。大戦の記憶云々はあまり現実味がないようにも思えます。

【政府に求められる対応が生む「貧困の津波」】
理由はよくわかりませんが、人々の疫病や死に対する許容度が低下し、4時間態勢のメディア報道やソーシャルメディアなどが市民の心配をかき立てる結果、政府はロックダウンなどの措置を取らざるを得ない状況にも。

そうした措置は、感染拡大防止には効果的ですが、一方で、多くの人々が職を失い、住む場所も失い、今日明日の食事に不安を募らせるという大きな犠牲も伴います。

****途上国の危機:上 止まった経済「貧困の津波」 突然解雇、150キロ歩いて帰郷****
新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。

報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。途上国で今、何が起きているのか。
 
「逃げないと飢え死にすると思った」。インドの首都ニューデリーから故郷ウッタルプラデシュ州の村まで約150キロを2日かけて歩いて帰った運転手のラジュパルさん(42)は電話取材にそう語った。
 
「ロックダウンによる経済損失は避けられない。しかし、今はコロナから国民の命を守ることが大事だ」とモディ首相が宣言し、全土封鎖が始まったのは3月25日。翌日、ラジュパルさんは雇い主から解雇され、すでに働いた分の給与の支払いさえ拒まれた。
 
村には妻と子ども5人を残し、首都で15年間働いてきた。月収1万4千ルピー(約2万円)のうち、半分を家族の元に送金。「家族の食料や衣服、電気代を支払うので精いっぱいだったが、封鎖で全てを失った。ただ村に帰れば食べるものはあると思った」
 
一部を除く商店と企業は閉まり、鉄道やバスも止まっていた。ラジュパルさんは27日朝6時に歩き始めた。小麦でつくったチャパティ4枚と下着、現金150ルピー(約200円)以外に持って行くべきものはなかった。同じ頃、故郷へと歩いた労働者らは、数百万人に上ったとされる。
 
ラジュパルさんは昼は気温30度以上の炎天下を歩き、夜は路上で寝た。ニューデリーから南東へとのびる国道24号。首都を逃れた人々がアリの列のように先まで見え、背後にも続いていた。皆、無言だった。子連れの家族もいて、聞こえるのは歩き疲れた子どもの泣き声だけ。
 
地元メディアによると、12歳の少女は故郷の村まで150キロを歩いている途中で死亡した。都市からのウイルスの持ち込みを恐れた地方当局が、路上に避難者を集めて消毒液を放水した様子も報じられた。
 
ラジュパルさんが村に帰ると妻は無事を喜ぶと同時に、顔を曇らせた。「今後の生活をどうするか不安になったんだと思う」。数日後、息子が地元の市場から泣いて帰ってきた。村の人たちから「なぜお前の父親は戻ってきたのか。病気をまき散らしにきたのか」と怒鳴られたという。【5月3日 朝日】
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【「なぜコロナだけ大騒ぎするのか」】
“疫病や死に対する許容度が低下した”とは言っても、それは自分たちの生命に関してであり、同時代にマラリアなど多くの感染症で新型コロナより遥かに多くの人々が亡くなっている現実は完璧に「許容」され、何らの関心も払われません。

****「最後の巨大市場」窮地****
南アフリカ・ヨハネスブルクのビジネス街から車で10分。トタン屋根の質素な家屋が密集する地区にたどりつく。この地区に住むエルデス・マロネクさん(37)は、ビジネス街を歩き、プラスチックや空き缶などを拾い集める仕事をしてきた。稼ぎは数百円程度。妻と幼い子ども2人を養うだけで必死だった。
 
だが、外出禁止措置が取られたことで、外には銃を持った警察や軍の兵士が巡回し、仕事はできなくなった。支援団体が不定期に支給してくれる食料を家族で少しずつ食べて、どうにか生きながらえている。「このままではコロナに感染する前に死んでしまう」
 
経済の変調は、貧困層だけでなく、中間層以上の生活も狂わせている。(中略)
 
アフリカは約13億の人口を抱え、近年、10%近い経済成長を遂げる国もあり、「最後の巨大市場」として注目を集めてきた。だが、世界銀行は4月9日、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国の今年の成長率をマイナス2・1%~マイナス5・1%と予測。アフリカ連合は「2千万近い雇用が失われる危機にある」とする。
 
4月30日時点で、アフリカの感染判明者は約3万7千人、死者は約1600人だが、国連は今後、30万人以上が死亡する恐れがあると警告。感染者が数百万に上るとの予測もある。感染のピークはこれからだ。
 
命を優先する政策には限界もある。最貧国マラウイでは、政府が都市封鎖を発表すると「飢えで死ぬより、感染したほうがましだ」と抗議デモが起き、裁判所は4月17日、貧困層への対策が不十分などとして一時差し止めを決定した。
 
ナイジェリアでは、食料品を積んだトラックを群衆が襲撃。自営業の男性は「マラリアのような病気では、毎年何十万人が死んでいるのに、外出制限なんてしない。なぜコロナだけ大騒ぎするのか」と憤った。【5月3日 朝日】
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