世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(30)

2010-11-26 10:13:48 | Weblog
アメリカの新聞に掲載された内容は以下の通り。

1. 清兵は軍服を脱ぎ捨て逃亡
2. 旅順において殺害された者は、大部分上記の軍服を脱いだ兵士であった。
3. 住民は交戦前に逃亡していた。
4. 逃亡しなかった者は、清から交戦するように命令されていた。
5. 日本軍兵士は捕虜となった後、残虐な仕打ちを受け、それを見知った者が激高した。
6. 日本側は軍紀を守っていた。
7. クリールマン以外の外国人記者達は、彼の報道内容に驚いている。
8. 旅順が陥落した際捕らえた清兵の捕虜355名は丁重に扱われ、二三日のうちに東京へつれてこられることになっている。



アメリカの新聞には、上記のNO.7を省いたものが1894年12月17日・18日の両日に掲載された。弁明そのものは虐殺があったことを肯定しつつも、やむを得ざる理由があったと述べ、さしたる虐殺はなかったとするものであった。陸奥が直接アメリカの新聞に弁明するというやり方は、アメリカ側から好感を持って迎えられた。・・・・・とWikipediaは述べている。

そして海外の論調も次第にこの旅順虐殺事件のようなものは戦争ではつき物であって、欧米でも例がないわけではないという風に変化していった。そしてアメリカとの条約改正は、翌年1895年2月5日にアメリカ上院で批准され、同時に旅順虐殺事件も終焉していったのである。ちなみに下関条約は、4月17日に締結されている。しかし上記の弁明には、清国兵の日本兵への陵辱の具体的な事実は述べられていない。軍服を脱いだことには当然言及しているが、この身体への陵辱の具体的な事実もしっかりと伝えるべきであったろう。そうすれば世界からの理解はもっと早く得られたものと思う。だから、中国漁船衝突のビデオなどはさっさと公開したらよかったのである。

ちなみに「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う戦陣訓は、この旅順での日本兵捕虜の身体への清国兵の陵辱を見た山縣有朋が「このような残虐な仕打ちを受けるなら、捕虜になったら死んだほうがましだ」と慨嘆したと言う。山県有朋はこの戦いを指揮した第一軍の司令官(11/22,NO.26参照)であった。この陵辱された日本兵を見た山県有朋の心境はいかばかりであったことか。この「生きて虜囚の辱めを受けず」をネットで検索してみると、大半のネット記事ではこの事実に言及されていない。その代わり日本軍の悪しき習性のような言い回しが多いことにはびっくりする。こんな馬鹿な不勉強な日本人が多いことに驚くと共に、日本の先達を冒涜していることに怒りを感じ日本の先行きの暗さに慨嘆せざるを得ない。この山県有朋の慨嘆は、小生のブログ'07.10.3北京オリンピック(5/6)」でも言及しているので、是非参照願いたい。中国人のチベットやウィグルへの残虐な仕打ちを見るに付け、この手の中国人の行為は中国人の本性から出ているものであろう。なんといっても中国人は自分の子供を殺してその肉で客人をもてなす国柄なのであるから。これも小生のブログ'08.2.17の「中国・虚妄のプロパガンダ(6/8)」を参照願う。

2010年9月7日中国漁船の日本巡視船への体当たり事件の、民主党政権の処理の仕方の拙劣さは、目を覆うばかりである。いかに明治の先達の日本を思う気持ちの重たかったことか。事件の内容を知るにつけ、そのことをつくづくと思い知るのである。この一割でも、菅・仙石にあれば、中国漁船衝突事件も、もっと日本側に利するように使えたのであり、レア・アースの輸出規制などを中国は発動出来なかった筈である。だから菅・仙石のような輩を非国民というのである、本当に頓馬な仙石よ。

(続く)
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