世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

共産主義(者・党)は日本を滅ぼす(6)

2016-07-04 00:00:00 | Weblog

続いて、第3に1937(S12)年7月29日に発生した「通州事件」である。(当ブログ'07.5.28、「通州事件についての詳細」も参照のこと)

友愛精神を踏みにじった通州事件」(http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-535.html)を是非参照してください。

そして次の動画も見ていただければ、中国人の残虐性がわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUNtc-BzAwA

南京大虐殺記念館は、この通州事件がモデルとなって作られています。だから共産党中国人は自身が行った虐殺事件を、日本軍がやったと捏造して吹聴しているのです。日本人や日本軍は、けっしてあんな虐殺は出来ませんしやっていません。虐殺はすべて中国古来の文化(易姓革命、'08.11.15「ヨーロッパと日本(25)」参照)であったので、あんな記念館まで平気で作ることが出来るのです。そして共産党一党独裁政治を守るために、あのようなプロパガンダを捏造してやっているのです。天安門事件が良い例です。中国人民解放軍の戦車は、平気で学生達を轢いていったのです。だからするめ状態の画像が写されているのです。


多数の日本人が虐殺されたこれらの事件以外でも次のようにテロ行為が多発している。これらはほとんどが共産党員かそのシンパによって引き起こされており、日本は完全に舐められていたのであり、日本を中国の内戦に引きずり込むためのテロ行為でもあった。

1932年3月1日、満州国建国(満州問題については後日取り上げたい。)
1933年2月23日、熱河事件(張学良が熱河省へ反満抗日侵攻し、関東軍がこれを駆逐した。)
1933年3月27日、国際連盟が満州国の完全承認をしなかったため日本が脱退した。
1933年3月31日、熱河事件塘沽(たんくー)停戦協定で終結。後日の1935年北京と河北・熱河省間に冀東防共自治政府成立。熱河省は北京北部、万里長城と遼寧省の間を言う。現在は河北省に統合されている。

1935年1月21日、汕頭邦人巡査射殺事件(香港とアモイの中間の沿岸部に位置する都市)
1935年6月10日、梅津・何応欽協定(北支より中国軍の移動)
1935年6月27日、土肥原・秦徳純協定(宋哲元軍移動)
1935年7月10日、上海邦人商人射殺事件
1935年11月9日、中山秀雄一等水兵射殺事件(上海共同租界にて)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%B0%B4%E5%85%B5%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1935年12月25日、冀東防共自治政府成立
1936年8月24日、成都事件(邦人記者ら四人が銃撃され、2名が死亡)
1936年9月3日、北海事件(広東省北海で日本人商店が襲撃され、経営者が殺害)
1936年9月19日、漢口邦人巡査射殺事件
1936年9月23日、日本人水兵射殺事件(4名が上海共同租界を散歩中狙撃され2名死亡)
1936年11月15日~21、綏遠事件(独立を目指し内蒙古軍が蜂起した。顧問として日本人。)
1937年7月7日、盧溝橋事件
1937年7月29日、通州事件冀東政府保安隊による同政府、日本居留民への暴行、虐殺)
1937年8月9日、大山勇夫海軍中尉、斉藤与蔵一等水兵射殺事件
1937年8月13日、中国軍が上海の日本人区域を包囲・機銃掃射する。第二次上海事変。


そして隠れ共産党員の張治中は、蒋介石の承認を得ないまま、1937年8月9日夕刻、上海飛行場外の記念通りで大山勇夫海軍中尉斉藤与蔵一等水兵を射殺したのである。このときは中国人死刑囚に中国軍の軍服を着せて、近くで射殺までしている。これは日本側から発砲したように見せかけるためであった。そして第2次上海事変へ、そして日中戦争へと日本は引き込まれていったのである。


だからマッカーサーが米議会で、日中戦争防共戦争であった、と証言したのも頷けると言うものである。米国はそのことに対して当時は認識がなかった、と言うよりも米国政府自体もコミンテルンに犯されていたからである。「ハル・ノート」を記述したハリー・デクスター・ホワイトもコミンテルンの一員であった。詳しくは当ブログ2008.9.12~13の「靖国神社に参拝しよう(2)(3)」などを参照願う。



上海からの中国軍の退却先は、直線距離で約270km西北西に位置する南京であった。当初日本政府は和平交渉を行うため南京への進撃は禁止していたが、中国各地での日本居留民への殺害や日本権益に対する妨害などのため、結局は南京攻略を進めざるを得なかった。ここでも蒋介石軍は逃げてしまい大規模な戦闘にはならなかったが、蒋介石は「南京事件」を南京で布教していた宣教師達に捏造させたのである。世に言う「南京大虐殺」であるが、これも全くの捏造である。いまだに中国共産党政府は、その捏造事件を吹聴している。

さてWikipediaによれば、上海事変における中国人による日本人捕虜への虐待写真がCNNで紹介されたと言う。更には、2010年放送の「池上彰の戦争を考えるSP~戦争はなぜ始まり、どう終わるのか~」では、次のように(間違った内容が)放送されていると書かれている。

盧溝橋の銃声に始まった日中戦争の戦火は拡大。短期決戦と見ていた日本は早々に上海を攻撃。そして、国民党政府の首都南京を攻略した。」

これは全くの間違いで、以上説明してきたように、状況はこのナレーションと全く逆で日本は、中独合作により上海の日本居留区が攻撃され、やむを得ず南京も攻めただけである。盧溝橋事件も劉少奇が引き起こしたものであり、後日彼が誇らしげに語っている。池上彰ともあろう人物の本意ではないかもしれないが、池上彰本人もコミンテルンの毒牙に噛まれてしまったのか、と疑われても致し方ないであろう。評判が良いだけに、コミンテルンから何らかのアプローチもされている可能性もあろう。そんな疑いが周囲に感じられ始めたので、当座の表舞台から降りたのではなかろうか。
これは勘ぐりすぎか。

通州事件」については、'07.5.28の当ブログに詳しく載っている。
南京大虐殺の虚構宣伝」については、'07.6.6~9の当ブログ、
日中戦争は中国共産党が惹き起こしたものだ」については、'07.7.4~17の当ブログ、
日本居留民虐殺事件は、「中国の虚妄のプロパガンダ」'08.2.8~20の当ブログに載っている。中国での日本居留民の虐殺事件は、通州事件だけではなく、S2.3月の南京事件、S3.5月の済南事件、S12.7月のこの通州事件と頻繁の発生している。
後述するフライング・タイガースについては、「日本は侵略国家ではありません(9)」'08.12.29に掲載されているので、是非参照願う。'08.12.27の「日本は侵略国家ではありません(6)」も参照願う。

また、当ブログの各主題(題名)は2012.2.17の当ブログを参照願う。そこにはブログの題名と簡単な解説が記載されているので、是非参照願う。

何はともあれ、調べれば調べるほど中国と言う国は、馬賊・匪賊の性格丸出しの国であることがよくわかる。日本は早急に憲法9条を破棄して、普通の国に戻らなければやがては中国の属国になりかねない。自分の国は自分で守る、ことをして、今すぐにでも美しい国を目指さなければならないと言うことである。




ソ連コミンテルンとその指示を受けた中国共産党が、中国で如何に日本を挑発して中国内戦に日本を引っ張り込んだかが、幾分でもおわかり頂けたことと思う。そして日本国内でも共産党員が近衛内閣に入り込み、政府の支那事変不拡大方針に反対して支那事変拡大を煽ったことがお分かりのことと思う。
(続く)
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