「司馬遼太郎先生と街道をゆく」から、司馬遼太郎の言葉を抜き出して、一覧にしてみる。
『
「日本人はどこからきたのでしょうね」
しかしこの列島の谷間でボウフラのように湧いて出たのではあるまい。
はるかな原始時代には触れぬほうが利口であろう。
しかしわれわれには可視的な的な過去がある。
それを遺跡によって
見ることができる。
となれば日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきたことは紛れもないことである。
日本人の血液の6割以上は朝鮮半島をつたってきたのではないか
「日本人の血液の六割以上は朝鮮半島をつたって来たのではないか」というと
「九割 いやそれ以上かもしれない」
ともあれ縄文、弥生文化という可視的な範囲で
われわれ日本人の先祖の大多数は朝鮮半島から流れ込んできたことは
否定すべくもない。
』
これが大いなる間違いであることは、既に証明済みである。長浜浩明氏は、次のように言っているのである(先の書P3)。
「一万数千年前から日本列島を版図として活躍してきた縄文時代の人たちの行動範囲は玄界灘を越え、朝鮮半島まで及び、その時代の人たちの血が、今の韓国人の血の中に流れ込んでいたことになる。しかもこのことが、最新のDNA研究から解明されたというのだ。ならば先の司馬のいい様は、次のように言い換えなければならない。」
として、次のように言い換えている。
「韓国人はどこからきたのでしょうね」
しかしこの半島の中でボウフラのように湧いて出たのではあるまい。
はるかな原始時代には触れぬほうが利口であろう。
しかしわれわれには可視的な的な過去がある。
それを遺跡によって
見ることができる。
となれば韓国人の血液のなかの有力な部分が、玄界灘を北上して、日本から大量に流入した縄文時代の人たちに依ることは紛れもないことである。
韓国人の血液の6割以上は玄界灘を北上して行ったのではないか
「韓国人の血液の六割以上は玄界灘を北上して行ったのではないか」というと
「九割 いやそれ以上かもしれない」
ともあれ縄文、弥生文化という可視的な範囲で
韓国人の先祖の大多数は日本から流れ込んできたことは
否定すべくもない。
これがDNAや考古学から見た日本人と韓国人の関係なら、「日本人の主な祖先は朝鮮半島から流れ込んできた」なる見方は誤りとなる。
今の日本人と韓国人のDNAが似ているのは、渡来人が朝鮮半島からやって来たからではなく、縄文時代から多くの人たちが玄界灘を渡って朝鮮半島南部へ進出し、千年を遥かに上回る期間そこに流入し、住み続け、往来し、かなりの韓国人の祖先となっているからだ、となる。
これが現実であり、歴史的な事実なのである。
それが長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(展転社)である。
ここで一つ追記しておこう。
それは、埴原和郎の「二重構造論」・百万人渡来説である。
埴原和郎は、弥生時代の初めに日本人の骨が急激に変化(大きくなった)したことから、「渡来者の数は相当多かったに違いない」と推定した。そしてその数が、何と百万人と言うのだ。
これは間違った計算をしているのであり、パラメーターである人口増加率を任意に推定して計算したものであった。だからどうにでもなるものである。
だから今では、埴原和郎の「二重構造論」・百万人渡来説は、誰も信用していないようだ。
詳しくは、先の書(P135~)を参照願う。
さて一万数千年に亘る縄文時代を平和裏に生き抜き、弥生時代へと移っていった日本列島人は、どこから来たのであろうか、という疑問、というよりも興味が湧くのである。
幸いなことに、日本列島には一万数千件の旧石器時代の遺跡が存在しているという。
日本列島には旧石器時代から、ホモ・サピエンス、現生人類、人間が活動していた訳だ。
ここからは、いわば第二部となる。
(続く)