12. 神武東征(東遷) は事実なのか、それはいつか。
大阪天満宮は、JR東西線の「大阪天満宮駅」3番出口を出て、50~60mのところにある。と言われても大阪の地理に詳しくないと、その位置関係はぴんと来ない。
大阪城の北西、大川を超えた向こう側の位置している、と言った方が土地勘のないものにはわかりやすい。
此の大阪天満宮に「神武天皇聖蹟難波之碕顕彰碑」がある。
これは皇紀紀元2600年の記念事業として、日本建国にまつわる聖蹟に顕彰碑を施設する事業の一環として、施設されたものである。神武天皇が難波の地に上陸した場所を顕彰して設置されたものである。
神武天皇が海路を辿り上陸した地が、難波之碕と呼ばれている場所である。大阪城辺りから天満付近の辺りだと言われている。当然現在の地形とは、当時(紀元前1世紀頃)は似ても似つかぬものであった。
神武天皇、難波之碕顕彰碑(なにはのみさき)~大阪天満宮にある・・
http://www.tukinohikari.jp/jinja-oosaka/topics-oosaka-naniha-jinmu-hi/index.html
参拝履歴
訪問日:平成23(2011)年8月14日(日)
神武天皇、難波之碕顕彰碑(なにはのみさき)~大阪天満宮にある
→ 19箇所の顕彰碑はこちら
http://www.tukinohikari.jp/kamina/kamuyamatoiwarehiko/jinmu-kensyouhi/index.html
昭和15(1940)年7月10日、難波之碕顕彰碑で、全聖蹟地の顕彰施設起工祭
紀元2600年(昭和15年-1940年)を奉祝する国家的な記念事業を行ふため、昭和10(1935)年10月内閣組理大臣の諮問機関として紀元2600年祝典準備委員会が設けられ、次いで、昭和11(1936)年7月1日官制を以て紀元2600年祝典評議委員会が設けられ、本格的にその審議に当り、左の事業を決定したのであつた。
本年(昭和15年-1940年)7月10日、神武天皇聖蹟難波之碕(なにはのみさき)顕彰碑建設地たる大阪市天満宮境内に於て全聖蹟地の顕彰施設起工祭を執行(とりおこな)つたのである。
本工事は、大体本年中に完成の見込であるが、遅(おそ)くも、来年早春の期には全部竣工するであらう。
神武天皇、難波之碕顕彰碑(なにはのみさき)
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この大阪府の作成した顕彰碑(説明版)の文言は、次を見ればよくわかる。
(続く)