神武東征(古事記)
投稿:2013年03月13日 更新:2013年03月13日
https://nihonsinwa.com/column/novel/12.html
の中に、古事記のこの話がうまくまとめられているので、それを次に紹介しよう。
イスケヨリヒメと7人の少女
原文
ここに七媛女(ナナヲトメ)、高佐士野(タカサジノ)に遊行びしに、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)その中にありき。ここに大久米命その伊須気余理比売を見て、歌を以ちて天皇に白して曰はく、
倭の 高佐士野を 七(ナナ)行く 媛女ども 誰れをしまかむ
ここに伊須気余理比売は、その媛女等の前に立てり。すなはち天皇、その媛女等を見て、御心に伊須気余理比売の最前(イヤサキ)に立てるを知らして、歌以ちて
答曰へたまはく、かつがつも いや先立てる 兄をしまかむ
ここに大久米命、天皇の命以ちて、その伊須気余理比売に詔りし時、その大久米命の黥ける利目を見て、奇しと思ひて歌ひて曰はく、
あめつつ ちどりましとと など黥ける利目
ここに大久米命、答へて歌ひて曰はく、
媛女に 直(タダ)に逢はむと 我が黥ける利目
故、その嬢子(ヲトメ)、「仕へ奉らむ」と白しき。
現代文訳
七媛女(ナナヲトメ=7人の少女)が、高佐士野(タカサジノ)に遊びにいきました。
その7人の少女の仲に伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)がいました。
そのとき大久米命(オオクメ命)が伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を見て、歌で神武天皇に申し上げました。
「大和の高佐士野を行く、7人の少女たちよ
誰を妻にしようか」
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)は少女たちの先頭に立っていました。神武天皇はその少女たちを見て、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)が先頭に立っていると分かり、歌で答えました。
「ともかく一番先に立っている年上の少女を妻としよう」
そこで大久米命(オオクメ命)が神武天皇の言葉を伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)に伝えました。すると伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)が大久米命(オオクメ命)のの黥ける利目(黥目=目に入れ墨をしている=南方の風習で九州ではやっていた)を見て、不思議に思って歌い答えました。
「どうして鋭い目をしているのですか??」
大久米命(オオクメ命)は歌って答えました。
「お嬢さんに会うのに刺青をして鋭い目に(そのお顔を直ちに心に刻み込もうと)しているのです」
こうしてイスケヨリヒメは天皇に「仕えます」と答えました。
https://nihonsinwa.com/page/458.html
先の書では、次のように締めくくっている(先の書76頁)。
「そして考古資料と『記紀』及びシナ正史で裏付けられた動かし難いこの事実が、「邪馬台国大和説」や「北部九州の邪馬台国などが東遷して大和朝廷になった」なる説を打ち砕くことになったのである。」
邪馬台国は東遷などはしてもいないし、ヤマトの地に存在していたものでもない。邪馬台国は北部九州から朝鮮南部を領有していた倭国の連合国家であり、日本国(ヤマト)ではない。邪馬台国は、その日本国(ヤマト)に併合されていたのである。ヤマトの地には、邪馬台国よりも古い時代から国(日本)が存在していた、と言う事であろう。
では更なる昔にヤマトの地を平定したと言う、「神武東遷」とは、何であったのか。
(続く)