世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(2)

2010-08-10 00:30:45 | Weblog
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政治家として馬鹿だと言ったわけは、

『 仙谷官房長官は4日の記者会見で、日韓併合について「植民地支配の過酷さは言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった。直視して考えていかなければいけない」と述べたが』と言う部分である。

彼は日韓合邦(がっぽう)のことは何も知らずに、また何も調べずに、全く無責任にこんな暴言を吐いているのである。日韓合邦の成果は、この仙石の言葉と全くの逆なのである。日本は1911年に朝鮮教育令を通達し学校教育を整備し、朝鮮語を必須科目とし朝鮮でハングルを広めたのである。更に李朝朝鮮の腐敗政治を改め朝鮮王朝を滅亡から救い、当時の皇帝の高宗を日本の皇族の待遇まで与えて保護したのである。そして科学的な土地調査を実施し、農業革命を進め日韓併合の1910年の一千万石の米収穫量は、1933年には二千万石と倍増させている。こんな簡単な事実も知らずに、なぜ「言葉を奪い、文化を奪い、土地まで奪った」などと言えるのか。これらの施策を実行したのが、日本が設置した朝鮮総督府なのである。これがなければ、朝鮮は明らかに列強の植民地と化していたのであり、場合によっては地球上から朝鮮と言う国はなくなっていたかもしれないのである。それを日本が救ったのである。日本は朝鮮が列強の、特にロシアの植民地となる事を恐れたために、あえて中国の属国であった朝鮮を併合し日本国内以上に注力した朝鮮経営に乗り出したのである。こんな簡単な史実も知らないで、「植民地支配の過酷さは」などと、知ったかぶりのとんでもない捏造を発している仙石由人は、どう考えても非国民である。一体こいつは国費を使った教育を受けて何を学んできたのか。反日の思想だけか。だから馬鹿で頓馬の仙石由人と言ったのである。

いま少しそこら辺の事情を、概略してみよう。とりあえず急ぐので日韓併合の内容の簡単なまとめを次に記述する。これは黄文雄氏の「韓国は日本がつくった」(ワック株式会社)を参照している。




管直人さん、仙石由人さん他の皆さん、あなた方は下関条約をご存知ですか。1895年に下関条約を締結して、日清戦争は終了した。その第一条には、「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す」とある。日清戦争は、朝鮮の独立を目指す日本とそれを阻止せんとする清国の戦争だったのである。その結果、宗主国たる中国(清国)が属国の朝鮮の独立をはっきりと認めたのである。朝鮮は、1882年9月に調印されている「中国朝鮮水陸貿易章程」には、朝鮮の宗属関係は「古代から属国であるので、なんら変更する必要はない」としているほどの属国であったのである。この点ベトナムとは大違いである。7世紀の統一新羅の時代から朝鮮半島の歴史は中国の属国であり、李氏朝鮮においても国号、王位は当時の中国の明や清王朝より下賜されていたのである。そして朝鮮は自国を「礼儀の国」だと自慢しているが、これこそ宗主国の中国が朝鮮に下賜した誓詞で、意味は「韓国は中国の属国」であると言う宣誓なのである(中国の言うことはよく聞くという意味)。そのため属国の朝鮮が中華帝国に、金銀のほかに「貢女」(慰安婦)も貢いでいたのである。「妓生キーセン」(慰安婦)は古代から続く韓民族独自の文化だったのである。だから容易に日本に対してありもしない「従軍慰安婦」問題を持ち出せたのである。このとき慰安婦を連れていた業者は、ほとんどが朝鮮人だったのである。李氏朝鮮時代の伝道師シャルル・ダレの「朝鮮事情」(平凡社東洋文庫)には、毎年「美女三千人」を宗主国に献上していたと記されている。

事ほど左様に李氏朝鮮500年の歴史は、荒れている。裏切りと抗争が絶え間なく起こっていた。このことは先の「朝鮮事情」にも詳しい。そのため朝鮮の国家財政は破綻状態で、19世紀の李朝はどこかの国に買収されるか、属国になる以外国家財政を維持できる方法は残されていなかった。宗主国の中国も半島以上に財政が逼迫しており、半島の面倒を見ている暇はなかった。そこで、日本が助け舟を差し出したのである。崩壊寸前の韓国を貰い受け、年間15~20%もの歳出を補填しながら、半島の民生の回復を図ったのである。朝鮮政府にも徴税制度はあったが、不正や内紛により財政は有効に機能していなかった。もはや国を支えることが出来なくなっていたのである。そこに日本の登場である。放漫経営で破産寸前の李朝朝鮮株式会社は、新興の日本株式会社の債権や債務を持つ重役たちの合併会議を経て、双方社員の賛否両論による討議の末、業界の認知と合意を得た上で合併と相成ったのである。日韓合邦(がっぽう)の1910年当時、日本の朝鮮総督府は李朝の腐敗政治の巣窟であった宮廷内の無為徒食の輩を数千人を「整理」し、武断政治を断行する必要があった。日本による宮廷の人員整理と政治改革があったからこそ、朝鮮半島の王室は仏や露のような悲劇に直面せずに済んだのである。日韓合邦後、大韓帝国の皇帝だった高宗は日本の皇族の待遇を受けたのである。

更に日韓合邦以降1911年8月朝鮮教育会をを発足させ、同時に朝鮮教育令を通達し学校教育を整備したのである。そこで朝鮮語の授業を設けたのである。そして朝鮮人、日本人の区別なく朝鮮語を必修科目としたのである。従来半島には中華崇拝思想が強く、漢字が横行しハングルは隅に押しやられたいた。そこで日本がハングルを普及させたのである。日本が朝鮮語を抹殺したことは一度もないし、国語を奪ったなどは歴史の捏造以外の何ものでもない。

そして1910年から1918年にかけて当時の200万円を投入して、目賀田種太郎をして科学的な土地調査を実施せしめたのである。これを機に朝鮮半島では農業革命が進行し、朝鮮総督府の努力もあり朝鮮半島の社会建設が進んだのである。その結果1910年の一千万石の米収穫量は、1928年一千七百万石、1933年一千九百万石、二千万石と増加したのである。

また無策のため乱伐された山河は崩壊しており、旱魃や洪水が絶えなかった。その崩壊した山河を蘇らせたのも朝鮮総督府であった。初代総督の寺内正毅大将は治山治水にもっとも力を注ぎ、1915年から1928年までの14年間も、その事業は続いた。その結果禿山は緑の山と変貌していったのである。その結果水田面積も84万町歩から、1928年の162万町歩と倍増しているのである。更に電源開発などの国土開発を推進させ、その電力を使い硫安を作る朝鮮肥料会社も設立されている。このように橋や道路も整備し、朝鮮を近代工業国へと脱皮させたインフラもこの朝鮮総督府時代に整備されたのである。

だから、朝鮮は「日帝36年」に七奪があったと主張しているが、日本は朝鮮からは何一つとして奪ってはいないのである。それどころか七恩を与えているのである。七とは、主権、国王、、人命、国語、姓氏、土地、資源である。李氏朝鮮のあの堕落した朝鮮が、アジアの中でもいち早く近代化できたのは、日本により合邦があったからである。

日韓併合100年を機に、民主党日本政府は「謝罪談話」を計画しているようだが、それは間違っている。
河野談話、村山談話、管談話日本を駄目にした三大談話として後世の笑いものにならぬよう、正しい歴史認識に立ってほしいものである。

(続く)
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